MAGIC
@emmatanuki
Ⅰ.The Young Wizard from The North Land
シンとした音のない銀世界。
厚さ50センチもあろうかと思われる雪の上に、新たな雪がしんしんと音もなく降り積もる。
見えるのは白い雪とグレーの空のみ、まともな植生などない丘に果たして人は住んでいるのだろうかと思われるような古い小屋がぐらぐらと危なげに建っていた。
およそ見えないが時間は早朝である。
冷え切った寒さに小屋の中で少年が一人目を覚ました。寝台から起き上がって伸びをする。
零下20度は堅いこの丘の上で、常人からは信じられないほど薄着である。オフホワイトの髪の毛には寝ぐせがついていた。
少年は長めの前髪を少し鬱陶しそうにはらうと、眠気を完全に覚ましたようにヘーゼルの瞳を見開いた。
小屋の雰囲気がいつもと違う。爺は星の動きを読み取ったのだろうか。素足のまま寝台から抜け出し、隣の部屋にうつる。
心ノ臓がどくどくと音を立てていた。
果たして、部屋の中には誰もいなかった。
食事の場として使っている部屋から爺の書斎を覗く。いつもは眉間に皺をよせ、まるで眠ることに呼吸のしづらさを感じているような、そんな顔の主を支えている寝椅子は空だった。
少年の心ノ臓がまたどくんと波打つ。
書斎から出て表口に周り、雪嵐が荒ぶ中靴も履かず、襟巻もまかずに裏に回った。
そこには少年と爺が星の動きを読むために使用している望遠鏡があった。
そして―――その望遠鏡の足元には崩れ落ちるようにしてかがんでいる爺―――少年の祖父がいた。
不自然にその鼓動を伝えてくる自らの心ノ臓を意識しながら少年は倒れている祖父にそっと近づく。祖父は濃紺のマントに身を包んではいたが、すでに脈は動いてはいなかった。きっと深夜から吹き始めたであろう雪にさらされて顔を覆っていた白鬚は凍ってしまっている。
いつものように眉間に皺をよせ、目をつむっている爺は眠っているように見えなくもないが、少年は爺が亡くなっていることを、生気が感じられない小屋の気配から、起きたすぐそのあとに理解したのだった。
何日も、いや何年もこの日が来ることを少年―――レオンは知っていた。むしろ、そのために己に授けられた力をコントロールする技をレオンは祖父の元で修めてきたのだった。
冷たくなっている祖父を起こす。
少年らしく小柄でしなやかなその躰に器用に祖父を支えさせ、引きずるようにして表に回った。
引きずったまま小屋の中に入り右手を書斎の方に向けて意識を集中させる。
すぐに書斎にあった寝椅子がひとりでに動き、小屋の真ん中に主を迎えるように方向を整えた。
それを確認しないまま、レオンが右手でぱちりと音を立てる。間をおかずに真っ赤な炎が炉に沸き上がった。
小屋は不思議なほどにすぐに温まり、祖父の体とレオンについていた氷や雪を溶かし始める。
レオンは祖父を寝椅子に置くとその右手を検めた。そこには黄みがかった羊皮紙が握られていた。
その手から慎重に羊皮紙を抜くと、レオンは丁寧にしわを伸ばし、真ん中の木の机に広げた。そこには祖父特有の鏡文字でこう書かれていた。
紅の瞳の脅威が近づきたり
時の変革を見定めんと天が注視したり
対峙するは仲呂の白き星
命運握るは紫の石
この対峙の終局は主でだにも予測するが能はず
古い言葉だ。言わんとしていることは何となくわかるが、どうにも曖昧に伝えられている。
もとより星は人間の言葉と同じ体系を持たない。加えて、星は疲弊している。約2000年前にに滅亡した地球と同じ原因で、自然に及ぼす負の影響が強くなっているがゆえに星の言わんとすることを読むことがさらに困難になっているのだった。
占星術は祖父の得意とすることではあったが、この予測を読み取るのに祖父とレオンは何年も費やしたのだった。そして、祖父はついに昨日読み終わったのだ。己の命を削って。
羊皮紙の隅には予言とは別に一言書かれていた。
レオンはそれを確かめて、このときはじめて泣きそうになったのだった。
じわりと熱くなる目元をそっと抑える。少し経つとじんわりとした温かさを残しつつ涙は引いていった。
羊皮紙を丁寧に折りたたみ、懐に入れる。レオンは自室に戻り、濃藍のマントをはおってでてきた。
手には小さな小包を持っている。もしこの小屋の周りに商店があったのなら、そこにお遣いに行くのかと思うほど小さな荷物だ。だが、レオンは―――魔法使いは、この小さな荷物に千里をも旅できるほど多くのものを詰めているのだった。
一瞬で身支度を済ませたレオンは相変わらずいつものように寝椅子に苦しそうに眉間に皺を寄せて横たわってる祖父を見る。
レオンは祖父の正面に向かうと床に荷物を置き、片膝をつき、両のこぶしを体の横の床についた。そのまま深く頭を垂れる。目をつぶり、静かに「ボルベール」とつぶやく。とたんに祖父の体はつむじ風にまかれたように宙に浮いた。足先から砂のように細かい粒子となって消えていく。
レオンはその祖父の髪の先が消えるまで、瞬きもせずに見つめていた。
まるでその粒子の行方を一粒も見逃すまいとするように。
何千年、何万年前となるだろう。人類は2000年余り暮らしてきた地球(ファースト・アース)を捨てた。止まらない核開発、地球温暖化、環境汚染、拡大しつづける人口爆発・・・地球に存在する貴い資源を搾取するにし尽くした地球は、もはや人類を支えることができなかったのだ。人間は持てるあまりの最先端の技術を尽くして、数十の巨大な宇宙船をこしらえ、できうる限りの多種多様な人間と動植物をごちゃまぜに宇宙船に乗せ、地球を旅立ち、長い長い旅を宇宙船の中のみで独自の文化を築き、経て、そして1500年前この地セカンド・アースに降りたった。セカンド・アースは、質量が地球の4.5倍、エネルギー源と水を持ち、地球とほぼ同じ条件をそろえた人類にとってまさに第二の地球と呼ぶにふさわしい星だった。大きな大陸を二つ持ち、あとは小さな島国が何千と並んでいる。人々は、自分たちが再びすでに古代とも呼べる時代に祖先が地球で暮らしていたように、暮らすものだと考えた。だが、長い宇宙船の旅を経るうちに、彼らの中には明らかに彼らの祖先が持ちえなかった特別な能力をもつ動植物が生まれていた。それにはヒトも含まれていた。
その特別な力が魔力である。
地球からセカンド・アースまでの道のりをほとんどの宇宙船は同じ道のりをすすんだが、一機のみ少し軌道をそれた宇宙船が存在した。NO.28と呼ばれる宇宙船である。NO.28は宇宙の不思議な電磁波を受け、乗船していた人類と動植物に奇妙な力―魔法の力をもたらした。魔法は人々が想像で考えていた以上に万能だった。天候を自在に操り、人々の暮らしを助けて国を豊かにしたのだ。だが、魔法にも闇の力は秘められていた。魔法の操り方を覚えた人々は、しだいに己の私利私欲のために扱うようになり、様々な場所で争いを起こした。人を陥れようとする者、思うがままに支配しようとするもの、ついには戦争にまで用いようとするものが現れた。加えて、魔法を持つ者と持たない者の間にも亀裂が生まれた。魔法を持たない者は人類が地球で生活を営んできたころから発達させつづけた科学をさらに極め、魔法を持つものを妬み罵って魔法を持つものを差別した。魔法を持つものはそれに怒りを覚え、醜い感情に支配されるままに魔法を持たない者を虐げた。最もひどい様相を見せたのは、セカンド・アースに存在する、やや大きい方の大陸に位置するリリオス王国だった。もともとは肥沃な土と広大な領土、多くの人口で栄えた国だったが、その分諍いも多く、人々の大きな負のパワーに国が疲労していった。時のリリオス賢王アルデリヒトは国と民が
疲弊していることを憂い、この魔法に関する諸問題に果敢に取り組んだ。当時最高の魔法使いと言われていたロアンを王宮に招き、魔法使いと魔法動植物を北の大地に追放することに決めたのだ。北の大地に閉じ込められることを恨んだ魔法使いから国を守るために、国にはロアンが強大な魔法陣でバリアを築き、魔法使いが一歩も踏み入れることのできないようにした。それが終わるとロアン自身も魔法使いとして北の大地にこもり、国は平穏を見せた。魔法を持たない者ばかりで構成された国は順調に科学技術を発展させ、地球で人々が栄えた以上の繁栄を謳歌し始めた。1500年前の話である。
祖父の死の儀式を終えたレオンは、小屋を出ると雪が降り注ぐ中立ち尽くし、目をつむった。頭の中で、本の中にでてきた町、リリオス王国の都の東シエルデンを思い描く。隅々までイメージし終えると、レオンは、小さく「ムーヴ」と呟いた。
きつくつむっていた目をレオンがそっとあけると、景色は雪がふぶく小屋の前ではなく、のどかな田園風景だった。都の東に位置する町シエルデンだ。そんなことを考えるまもなくレオンは身を固める。けたたましい騒音がなっている。聞き覚えのある音だ。魔法の結界が破られたときに鳴る警告音。
「ロアンの結界…」
まだ魔法が生きていたのかと驚く。爺との見立てでは結界は薄まっているはずだった。
リリオス王国の王都ジャルダンは、国一番の繁栄を見せる町だ。乗り物はすべて空か地下の交通手段を使うため、人々が歩む地上は乗り物はほとんどなく、広々としている。王の趣向で花と緑が咲き乱れ、人々は楽しく安全な生活を営んでいる。王都の中央に存在する王宮と元老院は薄い青に輝く宮殿で、広大な土地を治めていた。そんな輝く王都の少し東南にはずれたところ、趣ある白い大理石の壁に蔦が這う大きな家に、伯爵令嬢ソフィア・シモン・ド・チェルシーは暮らしていた。流れるような黒髪に黒い瞳、長く濃いまつ毛に縁どられた小柄な少女は、この国では非常に珍しい浅黒い陶器のような肌をしている。小柄だが端正な顔立ちには、気位の高さがうかがえる。長い黒衣を身にまとい、家の一番上、令嬢にしては少し小さな、しかし品の良い部屋の寝椅子で、静かに本を読んでいた。チェルシー家は由緒ある伯爵家であり、王宮からの信頼も篤い。ソフィアの父ウィリアム・チェルシーは賢才な弁論家で、元老院にも席を持つ。柔軟な思考で人望も厚く、ソフィアが歴史上の偉大な人物と並べて尊敬する人物であった。
「ソフィア様、馬車の準備ができましたわ」
ドアを開けたメイドが声をかける。
ソフィアは読んでいた本を閉じると、立ち上がり外に出た。馬車を使う者は貴族とはいえこの時代には珍しい。動物は空や地下の交通網を使うことは法律上できないからだ。ソフィアも普段の移動は自家用車だが、今日は王宮で宴が開催される。趣ある行事なので移動も優雅に、という観点からこの日は馬車なのだった。多忙な父の代わりに出席するソフィアだが、心のなかは憂鬱だ。そもそも王宮や王宮の人々が好きではないし、華やかな場所も好まない。専門分野である医術の研究をしたり、本を読んだり、伯爵家嫡男の義母弟に勉強を教えたりしている方が数倍好きだ。そんなことを考えながら馬車に乗り込む。普段身に付けている黒衣の上に、多少は華やかに見えるだろうから、と義母が貸してくれたショールをはおう。ソフィアの実の母ではないが、心優しく裁縫を好む母は、ソフィアにも実子である弟と同じような愛情を注いでくれる。伯爵婦人である母が宴に出席すればいいのに、と心の中で思いつつ馬車に揺られる。物思いに耽りながらしばらく揺られていると、突然馬車が止まった。不思議に思って窓から首を出す。
「どうしたの?」
「何か騒ぎがあったようですね。少し様子を見ます」
御者が首をかしげながら馬を鎮める。
何があったのかしら。
不思議に思いながら首から下がっているアメジストのペンダントを触る。いつも身に付けているそれは、ソフィアが考え事をするときいつも触るものだ。ぼんやりと物思いをしながら外見ていると視界の外に何かがよぎった。はっとして窓から目を凝らす。何か青いものがよぎったのだ。青空の青というよりは、深い紺色の何かだった。
窓の外に目を凝らしていると、御者が戻ってきた。
「屋台が突風で吹き飛ばされたみたいです。お待たせいたしました、参りましょう」
突風なんか吹いていたかしら。
今日は晴天で、穏やかな風が吹く日だ。不思議に思いつつも、特に突っ込まず馬車に揺られる。
しばらくすると麗しい王宮の正門にたどりついた。
御者が手続きをし、中に入る。
王宮のパーティホールは、天井に描かれた天の絵が美しく、真っ白だった。
その中で人々が華やかなドレスを身に着け、既に軽い酒で乾杯している。
ソフィアがホールに入ると、人々の目がこちらに向いた。
「チェルシー家伯爵令嬢よ、ほら、名門の…」
「ええ、あの肌…それにあのドレス…」
不躾な視線を交わし、侍女と共に奥へ進む。
陛下はまだ姿を見せていないが、いらっしゃったら一番に挨拶をするためだ。
ソフィアはパーティが苦手だった。
華やかに着飾るのも苦手だし、人々の遠慮のない視線も苦手だ。
父が人望も厚く、国王からの信頼も厚いため誰も何も言わないが、明らかに他の人々と違い南生まれの血が流れていることを主張するこの浅黒い肌は、人々の格好の噂の的だとソフィアは知っていた。そこに少し侮蔑を投げかける人がいることも。
ソフィア自身はそんな人々の視線は気にしない。王立学院を飛び級、主席で卒業し、現在は伯爵家嫡男である義母弟に勉学を教え、そのほかの時間は専門である医術を研究していた。
自分は充実しているし、環境に恵まれている。ただ、自分だけではなく、父や実の母、義母、義母弟に触れる噂話をコソコソとつぶやかれるのは疲れる。
王室に近い人々はその手の噂話が大好きなので、ソフィアは年頃の娘にも関わらず、まったくパーティーに足を運ばないのだった。
侍女がとってきてくれた軽食とペリエ(王国で酒が許されるのは17からだ)に口をつけつつ、物思いにふけっていると、人々がどよめき、静かになった。国王が現れたのだ。
慣習に従い、ソフィアを含め人々が腰から折る深い礼をする。
国王が軽く手をあげると、王室付きのオーケストラがメロディを流し始めた。
それに合わせて、人々はダンスをしたり、軽食をとって交流する。
ソフィアが国王への挨拶の列に並ぶと、こちらを見つめる視線に気づいた。
ぱっと右を向く。そこには長めのブロンドの前髪にヘーゼルの瞳の少年が、じっとこちらを見つめていた。
ブロンドは珍しくはないが、不思議な存在感を示す少年をもっとよく見ようと瞬きをする。
その瞬間、少年はすでに消えていた。
「ソフィア様」
小さな声で急かす侍女の声にはっとする。王への挨拶の順番が回ってきていた。
急いで王の近くに歩み寄り、正礼をする。
国王はリラックスした様子でソフィアを近くに招き、にこやかに話しかけた。
「ソフィア、久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい、陛下。父の代理で参りました」
「その黒いドレスは、伯爵が用意したものか?」
華やかな場に失礼だったかしら。
少し身を固くしながら「いいえ、自分で選びました」と告げる。
国王は優しげな表情を崩さず、「そうか」とうなずいた。
「弟の教師をしているとウィリアムから聞いた。医療の研究もしているそうだね」
「はい」
ウィリアムは父の名だ。
「君は年頃の娘たちと違って、パーティなどは興味がないようだ」
「恐れながら陛下、華やかな場は私には似合いませんし…パーティに参加するよりも研究や教師をしている方が性に合うのです」
ソフィアの言葉に国王が少しうなずく。
「人にはそれぞれ向き不向きがあるものだ。君は父上の賢さを受け継いでいると聞いている。父上のように国のために貢献してくれ」
国王の言葉にはい、と力強くうなずく。
挨拶をして王のそばから退室すると、ソフィアは侍女に帰りましょう、と声をかけた。
「えっ、もう帰られるのですか?せっかくのパーティですし、ゆっくりされては…」
「昨日終わらなかった研究がしたいの。陛下には挨拶したし、もう用事はないわ」
分かりました、と侍女がうなずく。
パーティ会場を抜け、控室に入る。
馬車を呼んで参ります、と侍女が部屋を出ていき、ソフィアはやっと人々の視線から逃れられた、と息をついた。
「…?」
突然、床がゆらめいた気がした。
めまいかと、顔を抑える。昨日遅くまで研究をしすぎたかしら。
おさまったかとゆっくり手を外し顔を上げると、そこには会場で見たブロンドの少年が立っていた。
「!?」
突然の出来事に後ずさる。
他のパーティの参加者かと思ったが、雰囲気が違う。
ブロンドだと思った髪は乾いた白色に近い。それによく見ると、男性が身に着ける礼装ではなく、濃紺のマントを羽織っている。
身長はソフィアより少し高いくらいで、華奢な感じがした。
ヘーゼルの瞳でまっすぐこちらを見つめ、一歩ソフィアに近づいた。
ソフィアはさらに後ずさる。
少年は足を止め、口を開いた。
「ソフィア・シモン・ド・チェルシーか?」
少年の見た目に似つかわしくない、老齢な口調に違和感を感じつつ、ソフィアは返す。
「どこかでお会いしたことが?名を尋ねる前にご自分が名乗るのが礼儀では?」
ソフィアの強気な口調に全く構わず、少年は「それは失礼」と詫びた。
「名はレオンだ。一度も君に会ったことはない」
「ファミリーネームは?」
「ない」
ない?からかっているのかとレオンをにらむ。
少年は気にせず、「君はチェルシー家の長女だろう」と続ける。
怪しい少年…レオンの尋ねる、というより確認のような疑問に、違う、と言い張るのは無理がある。自分は目立つのだ。
ソフィアはくっと顎を引き「ええ」と短く告げた。
少年がまた一歩近づく。
「君に頼みがあるんだ」
見ず知らずの人間に頼み?ソフィアの警戒心がマックスになる。
侍女はまだかしら。早く警備兵に知らせないと。
怪しい人物が王宮に紛れ込んでいると。
ソフィアが後ずさりつつレオンをにらみつけていると、ソフィアの考えを読んだかのようにレオンが言った。
「侍女はしばらく戻ってこない。警備兵も」
驚いて眉を上げる。
その時、背中にボヨンと何かが当たった。
びっくりして後ろを振り返る。何もない。だが確かに何かあたった。
困惑するソフィアにレオンが言う。
「この空間を透明な壁で囲ったんだ。外から私たちの姿は見えないし、声も聞こえない」
「そんなこと…」
「声が響いているが分かるか?壁で囲っている証拠だ。ドームのように響くだろう」
レオンの言うとおり、言葉尻が響いている。ソフィアは小さくつぶやいた。
「あなた、何者…?」
ドキドキと不自然に心拍が乱れる。レオンが口を開いた。
「私は、魔法使いだ」
魔法使い…?
ソフィアは昔読んだ歴史書の記憶をたどる。
「冗談言わないで。魔法使いは王国には入れないわ。ロアンの結界があるもの」
500年前の魔法使い、ロアン。王国の混乱を収めるために時の賢王アルデリヒトに頼まれ、
魔法使いたちが国に入れないよう強力な結界を貼った。
魔法使いが侵入しようと壁に触れれば少なくとも大怪我をする。それに警戒音が鳴り響き、すぐに王国中に魔法使いの侵入が知らされる。
もしレオンが本当に魔法使いなら、ここにいれるはずはないのだ。
「私は結界を特別に突破できる力があるんだ。それに、ロアンの結界は弱っている」
レオンが静かに言う。そして突然両手のひらを地面に向け、何かを引き上げるかのように持ち上げた。
その瞬間、床から滝のような水が手のひらに吸い付く用に湧き出る。
レオンが手をぐるりと回すと湧き出た水が氷のように固まり、一瞬にして粉々に砕けた。
ドーム内に砕けた細かい氷が舞う。雪だ。だけど全然寒くない。
動けないでいるソフィアをレオンは静かに見つめた。
「信じたか?」
こんなことが一般の人にできるわけがない。マジシャンだって無理だ。
「なぜ、魔法使いがここに…」
ソフィアの言葉に「やらなければならないことがある」とレオンは答えた。
「そのために君の力が必要なんだ。力を貸してほしい」
「なぜあなたが信頼できると言えるの?」
ソフィアは鋭く返す。
レオンは少し驚いたように眉を少し上げ、考え込んだ。
「あなたが何も私に危害を及ぼさないとの補償もないし、怪しい人に手は貸せないわ」
現にこの変な空間に私を誘拐しているでしょう、とソフィアは続ける。
レオンは少し考え込んで、「何をしたら君は信じるんだ?」と尋ねた。
今度はソフィアが黙り込む。そしてふっ、と思いついた。
「あなたの”真の名”を教えて」
「真の名…」
強気な瞳でこちらを見つめるソフィアをレオンは見つめ返す。
レオンのつぶやきにソフィアはくっと顎を引いて「そうよ」とうなずいた。
真の名―それは、魔法使いが人に名乗る仮名とは違う。
魔法使いは通常2つ名を持つ。それが真の名と仮名だ。
仮名とは普段生活する中で使われる名で、ソフィアに名乗った「レオン」も仮名のはずだ。
真の名は、親など、その魔法使いに近しい者しか知らない。
魔法使いにとって真の名を知る者は、その魔法使いの魔法を使えなくする力があるからだ。
つまり、魔法使いにとって真の名を相手に教えることは、相手に自分の命を握らせることとイコールだった。
「あなたの真の名を教えて。そしたら信じてあげるわ」
ソフィアの要求にレオンが黙る。そして、口を開いた。
「真の名は、教える者だけではなく教えられる者にもリスクが伴う。私の名を知れば、私のことをよく思わない者から狙われることになる」
「私が知ってると悟られなければいいのでしょう。それが無理なら私を開放して」
「…分かった」
レオンが息をつく。
そして素早くソフィアに歩み寄り、その右腕をつかんだ。
「ちょっ…何するの!?」
もがいて離れようとするが、その華奢な見た目からは意外なほど力が強い。
「真の名の儀式をする」
ソフィアの腕を左手でつかんだまま、レオンはグルリと足元に円を描くように右手の人差し指を回した。
その瞬間、レオンとソフィアの足元に歴史書にあるような魔法陣が現れる。
ソフィアが一瞬気をとられていると、レオンは「ヴレイ・ノム」と小さくつぶやいた。
その瞬間、ソフィアの右腕とレオンの左腕を、どこから現れたのが蔦が巻き付け始める。
蔦は輝きながら2人の腕に絡み、2人が離れないようにした。
レオンがじっとそれを見つめる。
ソフィアは、レオンのヘーゼルの瞳の中に、微かに青い輝きがあることに気づいた。
最初は明るく光っているが、しだいに小さくなっていく。
レオンの目に見入っていたソフィアは、レオンが顔を近づけてきたことでハッと我に返った。
離れようとするが、蔦が絡んで離れられない。
レオンは耳元に口を近づけると、小さな声で「ーーーーー」と呟いた。
それにはっとする。これがこの魔法使いの真の名…
レオンがそっと離れる。
気づくと輝く蔦は消えていて、レオンが腕を掴んでいた手を緩めた瞬間、ソフィアは腕を引いた。
「これで君は、儀式をすれば、私が魔法を使えない状態にすることができる。君が死んだら、私の魔法も死ぬ」
「………」
「蔦は、契約の証なんだ。君は私の真の名を得た代わりに、私に協力しなければならない」
「…もとより、約束を破る気はないわ」
ソフィアは呟く。
そして、きっとレオンを見つめ、「あなたの頼みは何?」と尋ねた。
レオンは息をついて言った。
「国王に会いたい」
レオンは薄暗く小さな書斎にいた。
爺の書斎とここはまったく正反対だった。
天井まで伸びる本棚にぎっしりの書物、窓は小さく、真ん中に荘厳だが小さめの机と椅子が置いてある。
机の上は綺麗に整頓されていて、アメジストの南風のランプがひっそりとたたずんでいた。
魔法使いを北の果てに追いやって以降、魔法を使わない人々の生活は科学的に飛躍的発展を遂げたはずだ。
現に、ここまでの移動の間も、空を行き交う車や最新機器を見た。
この部屋にも、机の上に小さなパソコンはある。
しかし、調度品のせいか、部屋のせいなのか、この部屋にはどこか懐かしいような雰囲気が漂っていた。
レオンが北の大他を出たのはこれが初めてだった。
爺が予言を残して死んだ直後、レオンはすぐに小屋を出てリリオス王国のジャルダンに踏み入った。レオンはその血のため、結界に侵入しても怪我をすることはない。しかも、ロアンの結界は爺との見立てでは弱まってるはずなので、迷うことなく結界の中に「現れ」たのだ。結界がまだ生きていて、レオンの魔力に反応して勢いよく鳴り響いたのは計算外だった。
警報を聞いて駆けつけた衛兵が2人、待ち人が1人。3人の記憶を警報が起こった瞬間からそれまですぐに消し、すぐに突風を巻き起こして近くの屋台を倒した。そうすることで、衛兵は突風で倒れた屋台を起こすために自分たちはここに来たのだと納得し、レオンは魔法使いだと気づかれず逃れることができたのだ。そのあとは、旅人の振りをして王宮への道を聞き、歩いてきた。服を藍色のパーティ仕様に変え、裏門から鍵を開け、パーティ会場に潜り込んだ。
そこで、ソフィアを見つけたのだった。
レオンがソフィアに注目したのは、王への謁見の列に並んでいたことももちろんだが、その容姿にあった。
ジャルダンには珍しい、浅黒い肌。
確か南方生まれに多い色だ。
レオンはリリオス国内にある差別などには疎かったが、会場内で彼女が好奇や侮蔑の視線を向けられているのは分かった。
レオンでさえ分かるのだから、彼女にわからないはずはないのだが、ソフィアはそんなもの心から気にしていないかのように毅然としていた。その姿勢が、何だか慣れ親しんだ北の大地の妖精に似ているような気がして、レオンはソフィアに協力を求めたのだ。まさか真の名を教えろと迫られるとは思いもしなかったが。
しばらくぼーっと部屋を見つめていると、浅黒い肌に黒衣をまとった少女がコップを2つ持ち部屋の中に入ってきた。
そのうちの1つを黙って書斎のテーブルに置く。
そして自分はお盆ごとコップを持ったまま、窓の枠に腰掛けた。
「そちらの椅子に座って」
「わたしが窓で良い」
「客人を窓の縁に座らせるわけにはいかないわ。万が一誰かに外から見られても困るし」
少女ーソフィアはそう言うと、黒いドレスをふわっと広げてお茶を1口飲んだ。
「ーなぜ国王に謁見したいの?」
レオンをまっすぐに見つめて言う。
その黒い目も、なんだか懐かしいような気がしつつレオンは答えた。
「王国に危機が迫っている。それを国王に伝えたい」
「危機…?」
「そうだ」
レオンは胸元から羊皮紙を取り出し、ソフィアに渡した。
「これは…」
「私の祖父の書いたものだ」
ソフィアは、渡された文字がなんと書いてあるのかわからなかった。ソフィアにとってはミミズ文字のようにしか見えないが、魔法族の文字なのだろう、と予測はついた。
「紅の瞳の脅威が近づきたり
時の変革を見定めんと天が注視したり
対峙するは仲呂の白き星
命運握るは紫の石
この対峙の終局は主でだにも予測するが能わず」
レオンがつぶやく。すぐに羊皮紙に書いてある文字が言わんとしてることだとソフィアは理解した。
「紅の瞳の脅威…」
「紅の瞳の脅威、白き星、紫の石。キーワードはその3つだろう。具体的に何を意味しているのかわからないが、私の祖父はリリオスに何か起こると考えていた」
「あなたのお祖父様が予言したものではないの?そしたら紅の瞳や白き星が何を示すのか分かるでしょう」
「祖父の予言じゃない。祖父が星の予言を書き写したものだ」
「星の予言…?」
「祖父は星読みの魔法使いだった。星は私たちの何光年か先を見ている。そこで自分たちにも危機がふりかかると感じたとき、メッセージを発する」
「祖父は、祖先から伝わる予言で、リリオスに何か起きると考えていた。何か大きく深刻なことが。それを星を読むことで読み取ろうとしていたんだ。そして、読み取った」
「祖先から伝わる予言…」
「魔法使いロアンの予言だ」
レオンの言葉に、ソフィアは息を呑む。
魔法使いロアン。リリオスに結界を張り、魔法使いをリリオスから追放した魔法使い。
「じゃああなたの祖先は…」
ソフィアの言葉にレオンが軽くうなずく。
「私には、ロアンの血が流れている。だから、結界の中にも怪我することなく入ることができる」
「あなたのお祖父様は?一緒に来てはいないの?」
ソフィアの言葉にレオンは少し目を伏せて首を振った。
「祖父は亡くなった」
「星を読むには、それなりにパワーが必要だ。大きな予言になればなるほど、読む人のエネルギーを奪う。祖父はこの予言を読んだ時すでに十分老齢だった。だから私に託した」
「…そう。ごめんなさい、私…」
「気にしなくていい。私も祖父もそうなることはわかっていた」
レオンはそういうと、顔を上げてソフィアを見た。
「国王に会って、話がしたい。何か問題は起きていないか、聞きたい。必要とあれば、私の魔法の力を使って解決する。君の力で会わせてくれないか」
レオンの申し出に、ソフィアはため息をついた。レオンの話を信じるか、そもそもレオンは信頼できるのか、その決断を下すには話を聞きすぎた。
だが、はいわかりましたというわけにはいかない。
「国王陛下はそう簡単に謁見できる方ではないわ」
「君は近しい身分があるんじゃないのか。王に謁見していただろう」
「パーティの場はね」
ソフィアは窓枠から降り、立ち上がる。
「基本的に国王に個別に謁見できるのは、力がある議員だけ。私は父が上級議員で弁論家なの。今日謁見したのは父の代理よ」
「……」
「予言だけではとてもじゃないけど会いにはいけないわ。問題は何かを明確にして示す必要があるし、周到な根回しも必要」
「…じゃあ君は協力できないと?」
ソフィアはふぅとため息をついた。
「正直あなたを100%信頼はしていない。けど、真の名の約束を交わしたし、リリオスに何か深刻な問題が起きているのなら、一社会人として調べたい。だからとりあえず貴方に協力する」
「…ありがとう」
レオンが少し驚いたようにお礼を言う。
「なぜ驚くの?」
「いや…君は、男性のようだなと思って」
「はい?」
失礼ね、と眉を上げる。
レオンはソフィアを気にせずに続けた。
「いきなり魔法使いにあってもパニックになったりしないし、理論的に判断できる。女性はもっと感情的なものだと思っていたけど…君は違う」
それって褒めてるのかしら?バカにされてる?
レオンの表情を見るが、特にバカにしているようでもない。
ソフィアはふぅ、とため息をついて言った。
「1つ約束してほしいのだけど」
「何?」
「私の協力を仰ぎたいのなら、私の言うことは守って。貴方が魔法を使えるけど、人間には不慣れでしょう。リリオスにはリリオスのルールがある。守ってもらえないと、混乱が起きる。そしたら私だけでなく私の家族にも迷惑がかかる」
「…わかった」
レオンが神妙にうなずく。
ソフィアはそれを見て言った。
「じゃあ、行きましょう」
レオンが連れて来られたのは、街から少し外れた、レンガ造りの古い建物だった。
ソフィアが鍵を開け、中に入る。
中は見た目にそぐわず近代的で、何やらレオンの知らない実験器具などがたくさん置いてあった、
「こっちよ」
ソフィアに付いて玄関からすぐにある階段を登ると、2階にはリビングとキッチンがある。
さらに奥には扉があり、ソフィアはそこを開けた。
「ここをしばらくは貴方の寝室として使って。ベッドとベッドテーブルしかないけど…シャワーやトイレは隣のリビングにつながってるわ」
ソフィアの言う通り、最低限のものしかないシンプルな部屋だが、レオンには十分だった。
正直、王に謁見するまでの滞在をどうしようか考えていたのでありがたい。
レオンは感謝しっつ、ソフィアに「君は?」と尋ねた。
「私もほぼ毎日ここにいるわ。寝泊まりすることも多いけど、義弟の家庭教師や用事もあるから、用があるときはこれで呼んで」
そう言ってピーナッツのような形をしたものを3つ渡される。2つが白で、1つが黒だ。
「これは…?」
「イヤホンとピンマイクよ。白い方はこうやって両耳にはめるの。黒いのは衣服の胸元につけて。丸い部分が口の近くにくるように…そう。黒い方に小さなボタンがあるでしょう。そこを押せば私と連絡がとれるわ。…やってみて」
言われたとおり白いイヤホンを2つ耳につけ、黒いのを胸元につける。
ボタンを押すと、ソフィアの声が耳につけているイヤホンから聞こえた。
「もう一度ボタンを押すと切れるわ」
なるほど、と初めて使う機械に感心する。その様子を確認して、ソフィアが言った。
「リリオスで暮らすなら、最低限機械の使い方を知らないと怪しまれる。リビングの電化製品も、勝手に触っていいから使えるようになって。わからないことがあったら逐一聞いてもらえれば教えるわ」
「わかった。勝手に外をであるいても良いか?」
「…しばらくこちらで不自然じゃなく暮らせるようになるまではあまり出歩かないほうが良いと思うわ。必要なものは言ってもらえれば用意する」
「何か問題が起きていないか街を見て調べたい」
「私が王宮と議会のツテを使って調べようって考えてるけど…」
「魔法使いの視点から見て問題が見える場合もある」
「…わかったわ。ただし、1人で出歩くのはしばらくよして。なるべく早く信頼できる人を連れてくる」
「…わかった」
レオンの返事にこく、とソフィアがうなずく。そして腕時計を見て言った。
「私は今から一度屋敷に戻るわ。この塔は実験器具さえ触らなければ自由に歩き回っていいから」
ソフィアの言葉にうなずく。じゃあまたあとで、と言ってソフィアはドアの外に消えた。
ソフィアのなびく黒髪がドアの向こうに消えたのを待ち、レオンは藍色のマントをぬぐ。
マントの下、腰の部分に巻きつけていた荷物をベッドに置き、レオン自体も寝転がる。
ベッドはレオンが今まで寝転がったことがないほどふわふわで、北の大地に降り積もる雪に体をうずめたようだ。
いきなりドロンとした睡魔に襲われる。
寝ちゃいけない、と思う暇もなくレオンは眠りに落ちていた。
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