霧生かなめ奮闘編

第121話

 明くる月曜日。早速、御蔵まきなは動き出した。

「ねえ、なんでスーツ?」

「だって、これは乗鞍を得る交渉だよ?相手があるんだし、ちゃんとした格好しなきゃ」

 まきなは霧生かなめを連れ、年頃のリクルートスーツと言うには、かなりお高い服を採寸させていた。

「今から伺うのは、『ファントム』の風間オーナーだからね!」

「ヒュッ…」

 かなめは息を飲んだ。関西の有力馬主で、神戸の海運会社社長。見る目のある人だ。

「ちゃんとした服を着てないと、その場にいるとも思ってもらえないよ?」

「ワカリマシタ…」

 いきなり、関西のドンと会わされることになっているらしい。騎手としてのまきなでは無理でも、牧場長としてなら付き合いがあり、無理やり時間を作らせる。祖父の教育から、若い女である自分を活かした立ち回りもする。

「ホント、スゴい差ね」

「会わせるだけならできる。けど、馬を勝ち取るのはかなちゃんだからね?」

 実際、まきなも『ファントム』の馬に乗ったのは片手で数えるくらいで、それも実家生産の馬だけだ。本当に付き合いで回された経験しかない。それでも、彼女が風間オーナーを営業の最初に選んだのは、

「上手く行っても、零細馬主の馬質はそれなりでしかないから」

 勝ち星を積み上げる必要がある中で、タイムリミットもある。有力な馬を多く手に入れることは必須だった。


 風間オーナーが指定した面会場は会員制の喫茶店だった。大阪駅のビル街の一角にあり、眺望が良いことで有名だ。

「おお、御蔵さん。秋華賞は残念でしたな?」

「本当ですよ!後、1センチだったんですから!」

 まきなは殊更、若い女の顔で振る舞う。こういう大人は、彼女くらいの年頃の女がそのトシなりの態度をとるのを好む。

「はっはっは。ウチのもなあ、菊は取れんかったわ…」

「3冠のチャンスが6着ですからね…」

「まあ、勝った馬が強すぎた。君の同期はすごいなあ?」

「ええ、本当に。ちなみに、この子も同期なんですよ?」

 まきなはかなめを指して言った。かなめはビクッと立ち上がり、一礼する。

「ああ、去年の新人の、誰でしたかな?」

「き、霧生かなめ…です…」

「霧生さんはスゴいんです。ユングフラウさんの騎乗機会連勝記録を5連勝で止めちゃったんですから!」

 最多連勝記録は横山典弘騎手の同一日内、6レース連続勝利だ。

「ほう、あのもみじステークスには記録がかかっていたのか!」

 ほんの少し、潮目が変わったのをかなめは感じた。少なくとも、今まで風間オーナーの視界にも入らなかった自分が、オーナーから、視線を感じるようになる。


 効果を確信したまきなも、かなめの数少ない実績を押して行くことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る