第99話

 7、8月の御蔵まきなは色々と忙しい。基本は桜牧場の新馬たちの調教のために鵡川にいるが、週末はレースがあるため函館や札幌、門別へも行ったり来たり。また、北海道遠征している競走馬の調教もあるため、北海道内を絶えず移動していた。当然、疲れは溜まる。

 とはいえ、この生活も2年目、まきな自身が稼ぎもある騎手であるため、今年は対策をいくつか整えていた。その一つがなんと、専属運転手だった。騎手会では生意気だと若干、白い目で見られることになってしまったが、運転手を引き受けたのが引退したばかりの3000勝レジェンド、金子学。誰も文句が言えなかった。


 その金子は、函館で新潟から帰ったまきなを出迎えていた。

「お嬢、今日は何処に行けばええか?」

「はい、今日は一日鵡川で、明日はセレクションセールで日高に行きます」

 普通、運転手と言えば業務上、上役の予定は抑えておくなど、秘書的な性質も持つ。だが、金子の人柄的に、そんな細かいことはできなかった。まきなもまた、年齢やキャリアでは圧倒的に上の、不屈のホースマンを尊重し、好きにさせていた。元々、自分のことは自分でするタイプだ。

「いっちゃんはどうですか?」

 金子は息子の一郎を伴って、鵡川に来ていた。その一郎は、競馬学校の騎手課程を目指している。勉強が得意で運動神経も悪くはない。あとは馬に触れる経験だけのところに、桜牧場の環境にあるのはかなりのアドバンテージである。

「カガヤキに跨がらせてもろうて、スマンなあ…あれも、カガヤキクラスの馬が始めじゃ、後々苦労するが、贅沢は言えん」

「いいんですよ。あの子にとって、一人でも多くの鞍を置くのは、大事なことです」

 以外なことに、カガヤキがまきな以外に心を許したのは、一郎だった。まきながいない日の馴致は、一郎の仕事になっている。

「ありがたいこっちゃ。まだこうして、競馬の最前線にいられる。息子にも良い環境じゃ。アンタには、感謝してもしきれん」

「どういたしまして!」


 話している内に、桜牧場に着いていた。放牧地の柵の向こうに、馬が走っている。白い馬が揃う桜牧場産駒の中でも、一際白い馬体。

「まきなさん!」

 ヒヒーン、という嘶きと聞こえたのは若いというより、まだ幼い牧童の声。カガヤキと金子一郎だ。

「いっちゃん。だいぶ、様になってきたね?」

 鼻を擦り寄せてくるカガヤキの相手をしながら、まきなは答える。

「馬が良いから…」

「うん、そうだね。でも、背筋もしっかりしてきた」

 一郎は栗東で乗馬クラブにはいたが、お世辞にも腕が良いとは言えなかった。カガヤキに乗り、まきなや父の指導を受けてはじめて、形になってきたのだ。

「カガヤキも嫌そうにしてないよ。いっちゃんがダメだったらこの子、振り落としてる」

「最初は怖かったな…」

 乗り始めた当初は、乗り方だけは気に入らないとばかりに、降りたところを噛みつかれていた一郎だが、それでもまきなが止めないため、カガヤキに乗り続けた。ようやく最近になってそのお叱りの噛みつきも無くなってきたのだ。

「じゃ、手綱預かるね?」

 まきなはカガヤキの手綱を引くと、馬房に歩き出した。よそ行きの格好をしていて、馬を扱えないなら恥だというのが御蔵家の教えだった。

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