第35話

 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。アスコット競馬場2406メートルコースに1億8000万円を争う、イギリス競馬の一大イベントだ。チャンピオンディスタンスと呼ばれる中長距離のカテゴリでは凱旋門賞、ダービーステークスと並んで、最高峰のレースとされている。


≪さあ、日本からは佐藤騎手が参戦!その年の日本ダービージョッキーが、キングジョージに挑戦するのは初めてのことです!≫

『日本の誇り、佐藤慶太郎!』『頑張れ!ベイカーラン!』

 日本からも競馬ファン、佐藤ファンが詰めかけている。日本国内では、実況中継もされている。にもかかわらず、わざわざ見に来た少女が一人。御蔵まきなであった。


「わあ・・・さすが本場のGⅠね。あと、わざわざこんな格好をしなくてはいけないん?」

「そう言わんの。ここは社交の戦場や。正装は常識やの」

 晴れ着袴姿の彼女は祖母・勝子と共に、遠路はるばるイギリスにやって来たのである。ここはロイヤルアスコット開催なので、

「ほら、あの方はハダ・カーン殿下。お偉い宗教指導者で、大富豪の事業家様や。あちらには某国の王様もおるん」

「殿下に・・・陛下!?」

 人に対しては滅多に物怖じしないまきなでも、肩書でわかりやすく説明されてしまうと、さすがに委縮する。しかし、彼女の祖母は違う。

『殿下、お久しぶりにございます』

『おお、マダム・御蔵!長らく姿を見なかったな!?』

「!?」

 喪服を着た祖母が、普通に英語を話している。相手も、それを当然のように受け止めている。なおかつ、親しい様だ。

『こちらがうちの孫ですの』

『ヘっ!?あ、まきなと申します、殿下!』

 ぺこりと一礼するまきな。日本で騎手をしていると紹介されると、カーンの目つきが変わる。

『君は、騎手なのかね?』

『はい、殿下』

『日本ダービーは?ジャパンカップは勝ったのかね?』

『いいえ』

 フム、と一息ついて、カーンは尋ねる。

『なら、君はなぜこんなところで遊んでいる?今すぐにも帰って練習に励むべきじゃないかな?』

『それも違いますわ、殿下』

『なに?』

 まきなは、カーンの眼を見て、答える。

『私は、一瞬たりとも無駄な時間を過ごしているとは思っておりません。私は、御蔵の当代ですもの』

『ほう、マダム』

 カーンは勝子の方を向いて、破顔した。

『テルの次は、この娘か!面白いな!』

『はい、その通りでございます』


『くくく、良い物を見せてもらった!御蔵、まきなというのか!覚えておくぞ!』

 大いに機嫌を良くしたカーンであった。

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