第32話

 フランスはロンシャン競馬場。佐藤はまず、ジャンガスコーニュの初陣としてMeidenに出走することになった。他にも、小室がとってきた依頼でStakes級競走にも2鞍、騎乗予定である。

「ああ、緊張するなあ・・・」

「ヤッパリ、ソウデスカ?」

 ジャンヌが聞いてくる。今日は佐藤のバレットとしての役目を持って競馬場入りしていた。

「いやあ、ダービーがどうのこうのじゃなくて、初めての場所は緊張するじゃない」

「ワタシ、ハ、アマリ、ソウイウノガ、ナイデス」

「そうかあ・・・いいなあ。船乗りの娘さんだもんなあ」

 弱気に見えるが、顔はいたって大真面目に話している。話している間も、展開、戦術がひっきりなしに頭の中を駆け巡る。そんな様子の佐藤に対して、キュッと、ジャンヌが袖口をつかんできた。

「ダイジョウブ、デス」

「・・・・・・」

「アナタハ、DerbyJockeyデス」

 だから、負けない。日本ダービーは、『最も幸運な馬が勝つ』という。騎手も同様に。ジャンヌがそのことを知っているかはわからないが、とにかく、彼女に言わせると大丈夫らしい。

「大丈夫ねえ…?」

 確かに、自分は日本のダービージョッキーだ。こんなところで負けられるか。

「merci beaucoup」

「!」

「これくらいしか知らないよ。ありがとう、ジャンヌ」


ドドドドド…

《さあ、日本の佐藤、ジャンガスコーニュは中団!フォルスストレートに入ってきました!》

 フォルスストレート。その名のとおり、『偽の直線』。ロンシャン第4カーブから、直線の前には、僅かにカーブしたもう一つの直線があった。

「これはどっちだ!?」

ブルル!

 ジャンガスコーニュは行きたがっていた。周りには動きが見られない。つまり、まだ勝負どころではない。ここで動けば、本当の直線で、力を使えないかも知れない。

「ジャンは行きたがってる…2000メートル、残り800以上追い切って行けるのか?」

 しかし、鞍上の迷いをよそに、ジャンは自分から馬銜をとる。そして、進路を外に向けた。

「やれってか!」

 佐藤も、腹を決め進出を始めた。


「早すぎる!」

 ジャンヌは一人、悲鳴を上げた。フォルスストレートに嵌まったら、負ける。ロンシャンの常識。しかし、それがどうしたとばかりに、ジャンガスコーニュはポジションを上げていく。

 2番手につけた頃、本当の直線が姿を表した。

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