9章 こっちの世界とあっちの世界について

第1話 行き来とか出来たら凄い!

 ホームシックと言うには大袈裟おおげさだが、浅葱あさぎ迂闊うかつにもぼんやりとしてしまう事が増えた。


 その時、浅葱の意識はこの異世界には無い。


 お父さんとお母さん、どうしてるだろう。仕事先の皆は元気だろうか。友達は? 恋人、はいなかったな。


 この世界に来てから、まずは馴染むのに精一杯だったし、慣れて来る頃には様々な人々との関わりでばたばたしていたので、ゆっくりと考えるすきが無かった。


 ロロアとカロムは、そんな浅葱をそっと見守ってくれていた。勿論ロロアの助手として失敗は出来ないし、ご飯も美味しいものを作りたいので、そういう時は浅葱も集中したのだが。


 そんな状態が何日か続いたある日の夕飯時。トマトケチャップとウスターソース、ブイヨンでベースを作ったビーフシチューを食べながら、ロロアが何気無く口を開いた。


「アサギさん、ふたつお隣の村に、僕たち錬金術師の大お師匠さまがお住まいなのですカピ。アサギさんが良ければ、お話をお伺いしに行きませんカピか?」


「大お師匠様?」


 浅葱が首を傾げると、カロムが「ああ」と反応する。


「聞いた事があるぜ。この世界で1番偉い、頂点の錬金術師だろ。え、街じゃ無く村外れに、しかもふたつ隣の村だって?」


「そうなのですカピ。最初から街にお住まいの錬金術師は、街の便利さを手放すのが難しい様なのですカピが、村外れにお住まいの錬金術師は、静かな環境が良いと言って、村に留まる事が多いのですカピ」


「そうなの? 街って村外れみたいに外れじゃ無いの?」


「街にお住まいの錬金術師は、外れでは無く街の中に居を構えておられるのですカピ。と言ってもやはりお家がまばらな端の方ではあるのですカピが。村の錬金術師は自分の研究とお薬の調合が主なお仕事なのですカピが、街の錬金術師は街の発展にもご尽力じんりょくするのですカピ」


「へぇ。村ではそういうのは無いの?」


「無い事は無いのですカピが、村はそう発展を急いでいないのですカピよ。最低限があれば良いのですカピ。お電話だけはとても便利なものなので、各村でも取り入れられているのですカピが。そう言った環境にいたいと言う方がおられれば、街にお引越しされますカピ」


「この村でも、便利な街に憧れて越してった奴もいるしな」


「そうなんだ。へぇ。じゃあその大お師匠さまって方が村におられるのは、研究に打ち込む為なのかな」


「そうだと思うのですカピ。僕は1度だけお会いした事があるのですカピ。レジーナお師匠さまの弟子になる時に、挨拶にお伺いしたのですカピ」


「へぇ。どんな人なんだ?」


 カロムが聞くと、ロロアは「むぅ」と眉間みけんしわを寄せる。そして首を傾げ、ゆっくりと口を開いた。


「とても個性的なお方なのですカピ」


 また言葉を選んだものだ。


「もしかしてロロア、その大お師匠さまが苦手だったりする?」


 浅葱がストレートに聞くと、ロロアはまた困った様な表情で眼を閉じた。


「……そんな事を言ってはいけないのですカピ。大お師匠さまは尊敬するべき偉大なお方なのですカピ。でも実は、独立する時にも挨拶にお伺いするべきだったのですカピが、つい先延ばしにしてしまったのですカピ」


「苦手なものは仕方無いさ。そう気にむなよ」


「そうだよ。そんな事もあるよ。相性って言うのがあるんだもん」


「ありがとうございますカピ。そう言っていただけると、少し気が楽になるのですカピ」


 ロロアは言って、苦笑する。


「挨拶の事もあるのですカピが、大お師匠さまなら、もしかしたらアサギさんが元の世界に戻れる方法をご存知では無いのかと思ったのですカピ」


「あ」


 ロロアの言葉に、浅葱は声をらす。そうか。そんなに凄い人ならば。しかし。


「でもロロアに無理はさせたく無いよ」


「大丈夫なのですカピ。そのお話も勿論重要なのですカピが、独立したのに挨拶をしていないなんて、そんな失礼をいつまでも続けてはいられないのですカピ。本来ならひとりで行くものなのですカピが、今回は世界転移のお話があるのでアサギさんと、そしてよろしければカロムさんにもご一緒していただきたいのですカピ」


「僕は構わないよ。むしろ一緒に行きたい。元の世界に戻れる方法なんてものがあるんだったら聞いてみたい。行き来とか出来たら凄い!」


「俺も興味があるぜ。それにさ」


 カロムは言うと、可笑おかしそうに「ひひ」と歯を見せて笑う。


「普段穏やかなロロアがそんな事を言う相手にも興味がある」


「僕もまだまだ未熟なのですカピ」


 カロムの冗談に、ロロアはしょんぼりと項垂うなだれる。そんなロロアを見て、カロムはまた可笑しそうに笑い、なぐさめる様に背中をでた。




 さてその2日後の朝、浅葱たちは支度したくを整え、ふたつ隣の村に向かうべく馬車に乗り込んだ。


 御者台ぎょしゃだいにはいつもの様にカロムが入り、いつもより長く馬車に乗るので、お尻が痛くならない様にたたんだ毛布を椅子に敷いた。


 手土産として、村の菓子商店で購入したパウンドケーキを用意した。ラム酒漬けのドライフルーツとナッツがたっぷり入った、浅葱たちも美味しいと思っている菓子である。


 大お師匠さまの所に向かう時には、術師が住んでいる街や村の名産を持って行くのが習わしとなっているのだそうだ。


 それとは別に、浅葱は生姜しょうが胡麻ごまでクッキーを焼いた。今回はロロアの挨拶だけでは無く、浅葱の用でもあるのだから。


 そして今のところ浅葱たちの村でしか手に入らない、短粒米たんりゅうまいの米酒も包んだ。


 このセレクトにしたのは、レジーナに電話で大お師匠さまの好みを聞いたからだ。


「大お師匠はだね、うん、菓子と酒が好きだね。でも菓子は甘過ぎるものはあまり食べない様だよ。言っても酒飲みだからね」


 喜んで貰えると良いのだが。


 向かう先の村の宿にも電話をし、部屋も取ってある。


 馬車はがたことと音を立てながら、ふたつ隣の村に向かって進んで行った。




 そう広くも無い村をひとつ越えるだけだから、そう長時間掛かる訳では無い。それでも途中で間の村で昼食などを摂り、休憩を挟みながら数時間後、目的の村の外れに到着した。まだ空は明るかった。


 やがて見えて来るのは1軒の家。それを見て浅葱は「あれ?」と声を上げる。


「大お師匠さまのお家ってもしかしてあれ? 普通のお家なんだね。僕たちの家とそう変わらないと言うか」


 大お師匠さま、もの凄い錬金術師と聞いて、浅葱は大豪邸だいごうていに住んでいるものだと想像していた。


「大お師匠さまも、そのお立場になるまでは僕たちと同じ一介いっかいの錬金術師なのですカピ。その時にお住まいのお家にそのまま住まわれているのですカピ。きっかけで建て替える方もおられたのかも知れないですカピが、お家の建て替えや一時住まいのお引っ越しの方が大変だと思うのですカピ」


「確かに。長く暮らしていると荷物も増えるだろうしねぇ」


「独立の時でこそ、色々なものを村で用意するが、建て替えとかになるとそれも無いしな。手伝いぐらいは出来るだろうが」


「そっかぁ。錬金術師は村や街から歓迎される立場だから、新しく来られるならお世話もするけど、そうじゃ無いもんね」


「そうなのですカピ。建て替えなどは術者持ちになるのですカピ。大工さんを手配して、設計してと、自分でしなければならないのですカピ。それに大きなお家にしても、これは僕個人の考えなのですカピが、特にメリットを感じないのですカピ。僕も今のお家と研究室で充分なのですカピ」


「確かに研究室は初めから広く取った設計にするからな。俺はロロアの世話係りって決まってたから、設計から関わったんだぜ」


「そうなんだ」


 そんな話をしている内に、馬車は家の前に到着した。大お師匠さまには事前に電話で連絡をしてあるので、浅葱たちが来る事は了承済みである。


 そして馬車の音や馬の声が聞こえたのか、家のドアがばんと勢い良く開かれ、ひとりの人物が飛び出して来た。


「まあぁぁぁ! いらっしゃ〜い、ロロアちゃぁ〜ん!」


 ピンクのゆったりとしたワンピースをまとった人物が嬉しそうに言い、胸元で両の指を組んでしなを作った。


 浅葱とロロアは驚いて呆気あっけに取られ、ロロアを見ると、ロロアは遠い眼をしていた。

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