Paradise Lost in Futon
茶屋休石
ある朝目覚めると
ある朝目覚めると
という書き出しはいかにもお定まりで、時候のあいさつかと思うほどに頻出される記述である。どこか道路標識のような記号にすら見え、それはある種の句読点や段落下げのようなものだと思えなくもない。競技のスタートや共同作業のタイミングを合わせるための掛け声にも似ており、創作者はあくまで慣習化したルールに従って暗黙の裡にこう書き記すのである。
ある朝目覚めると
結局のところ、いつまでも寝ているわけにはいかないのだ。
最悪なことに、朝はやってくる。
グレゴール・ザムザは巨大な毒虫にならなければならないし、得体のしれぬ美少女が隣で寝ていてラブなコメディが始まるかもしれないが、かすかに記憶される夢の残滓が特殊な力の目覚めと戦いの幕開けを予感させるかもしれない。遠くにキャラバンの影を見出す可能性も無きにしもあらず、もしかしたら滅亡した世界でのサバイバルへとつながる目覚めかもしれない。どちらにしろ起床は残酷で無慈悲に布団の中から何者かを引きずり出し、物語の始まりをうるさいほどにかき鳴らすのである。
この起床という苦痛は通過儀礼の様なもので、ある種の断絶とさえ言えなくもない。毎日繰り返される。死と再生。民俗学的響きが嫌いならこう言い換えてもいい。物語リサイクル工場。
だがそれは日常と物語の比喩的関係にすぎず、本当は物語の前に物語なんて存在しない。物語は生まれるが、その前の死は何か別のモノの死なのである。
物語でなかった何かは起床によって終わり、眠りから覚めることよって物語は始まるのである。
始まらことのない物語などというものがあるのかという問いは恐らく、言葉の誤使用を弄ぶような言葉遊びに過ぎないのかもしれない。でもそれは原初の物語、物語が物語になる以前の何かであって、あるいはそれを夢と呼んでも差し支えないのではあるまいか。
終わりもなく、始まりもない、そして物語ですらない。
フランツ・カフカはまだ微睡みの中にあって、紙には未だ何も書き記されていない。
私は、夢を見ている。
グレゴール・ザムザがみた夢だ。
私はまだ、目覚める気はない。
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