四三 稲本団地中央広場 弐

「や、やめろ……」


 尊の声が微かに聞こえた。


 遙香は彼の訴えを無視して験力を己の身体に戻していく。


「やめて……ゆるして……ゆるしてください……遙香、さま……」


 遂に尊は遙香に許しを請うた。


 満留にも聞こえたのだろう、彼女の顔にサディスティックな笑みが広がる。


 刹那は彼女が遙香と会ってから初めて見せる笑顔だと気付いた。


  それはそうよね、マネージャーに怯え続けているんだから。


 だが、今この瞬間だけは、遙香の恐ろしさに感謝しているに違いない。


「あッ」


 永遠が小さく声を上げ、鬼多見が彼女の頭を抱き寄せて尊の姿を視せないようにした。


  なに、アレ?


 尊の身体から肉塊のような物が引きずり出されている。


「あれがヤツの霊力だ」


 鬼多見がぶっきらぼうに言った。


 刹那にもそれが霊視により見えているモノであることは判っていた。


  霊力があんな形をしているなんて……


 皮膚も筋肉も脂肪もドロドロに溶けた人間、刹那はそう感じ吐き気をもよおした。


 鬼多見が永遠の眼を覆ったのは大正解だ。一方、本人は平然と見つめている。満留はどうしているのかと視線を向けると、もう微笑んではいなかった。


 尊はとうとう耐えきれず、泡を吹いて白眼を剥いた。


「まだオネムの時間じゃないわ」


 遙香がそう言うと、尊は意識を取り戻し、再び悲鳴を上げた。


  失神することもゆるさないんだ……


「しっかり視ておきなさい、あんたが一般人になる、記念すべき瞬間なんだから」


 腕を伸ばし手を広げると、尊の霊力が吸い込まれている。


  違う、喰らってるんだ……


「うぉえぇえええ!」


 それを理解した途端、耐えきれず刹那は近くの植え込みにもどした。


「ぎぃやぁああぁああああッ、やめてぇ!」


 尊は断末魔の様な声を上げる。


 だが、すぐにそれは止んだ。


 キョトンとした顔で尊は辺りを見回し、次に自分の身体を見回す。彼の身体は皺はそのままだが、黒ずみが消えていた。


「そんな……感じない……霊力が……」


 彼は今まで視えていたモノが視えなくなり、聞こえていたモノも聞こえない、そして感じていたモノも感じられなくなったのだ。彼の世界は半分になってしまった。


「視てたでしょ? あたしが食べちゃったんだから、当然よ」


 隠してあったお菓子を食べたぐらいの軽い口調だ。


「返せッ、返してくれ! オレが特別でなくなるッ!」


 尊は遙香にすがり付くが、彼女は表情一つ変えない。


「一度くり抜かれ、噛み砕かれた目玉を、再びがんに詰め込めば見えるようになる?」


 遙香の言葉に、尊の表情が凍り付く。


「ウソだ……オレは特別だ、特別なんだ! 特別でなきゃならないんだッ!」


「心配しなくても特別よ。特別なバカ、このあたしにケンカを売ったんだから」


 尊の頭を鷲掴みにする。


「な、なにをする気だ?」


 すでに心も砕かれ体力も限界なのだろう、彼は抵抗をしない。


「ここまではあたしを脅したあんたのパパと一緒。でも、ここからはあんたが犯した罪への罰」


 楽しげな口調だ。


「オ、オレも満留みたいに奴隷にするつもりかッ?」


 遙香はバカにした様に鼻で笑った。


「言ったでしょ、あんたは可愛げが無いから嫌だって。それ以前に、レイプ魔の殺人鬼をそばに置くわけないでしょ。

 あんたは寿命が尽きるまで、自分がしてきたことを自分自身にされ続けるの。傷つけ、犯され、殺され続けなさい。

 なれることもなく、発狂して逃れることもゆるされない、決して覚めることのない最悪の悪夢の中で、現実の肉体が滅ぶのを祈り続けるといいわ」


 揺るがぬ意思を秘めた瞳で尊を見下ろす。


「や、やめて……やめてください! 殺すならせめて……」


一思ひとおもいに? 残念だけど、それじゃカワイイ弟に申し訳が立たないもの」


 笑わない眼で済まなそうに微笑む。


 鬼多見は「カワイイ」と言われたところで、気持ち悪そうに眼をすがめた。


「おねがいです……遙香さま……殺してください……おねがいします……耐えられません……」


 尊は人目をはばからず、泣きながら懇願した。既に彼は遙香の幻覚を味わっている、その恐怖を理解しているのだ。


「安心して、耐える必要なんてないから。好きなだけ苦しみなさい」


 遙香の掌から験力が放たれた。

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