四三 稲本団地中央広場 壱

 刹那は永遠と満留の背中を追いかけて中央広場へと急いでいた。二人とも鍛えているせいか脚が速い。それよりも速いのが、鍛えているところを一度も見たことがない遙香だ。いつの間にかいなくなっている。


 壷内尊は広場から逃げ出したものの、どういうわけかすぐに夢遊病者の様な足取りで戻ってきた。いや、理由は判っている。遙香が精神を操ったのだ。


 それから彼は地獄を彷徨さまようう亡者のごとく、広場の中をウロウロし続けていた。近くを通り過ぎる人々は誰も魔人に気付かず、広場に足を踏み入れようともしない。これも遙香が施した人払いのしゆのせいだ。遙香の仕込みは完璧だった。


 魔人が広場に戻ってくると、刹那たちは永遠に憑依していた遙香の指示を受け、室内に戻った。


 そして、昼食の支度をして、遙香の精神と肉体が一緒に戻って来るのを待って、英明を起こして、食事をして、おやつを食べて……と、ダラダラしていた。


 刹那は特に何かをする必要はなかった、メイドの満留がすべてやってくれるからだ。楽だが彼女の料理はお世辞にも美味しいとは言えず、夕食は自分で作ろうと心に決めた。


 その間も、尊は広場をフラフラし続けている。そして時間が経つにつれ、彼の身体はしぼんで・・・・いった。


 霊力はあっても呪術に関しては完全に素人の刹那だが、魔人化が長時間持たないことは想像がついた。どんな呪術かは判らないが、霊力を大量に消費することは間違いない。


 彼の身体はしぼんだだけではない、鋼の様だった皮膚は張りが無くなり、ミイラのごとしわだらけで、色も黒いが最初とは違い病的な感じがする。


 満留が夕飯の買物に行こうとして、鬼多見が広場で尊を殴っているのに気付き、慌てて飛び出して来たのだ。どさくさまぐれに梵天丸とザッキーも付いてきている。


 広場に近づくと、彼女たちより先に遙香が到着していた。


「おわぁッ」


 倒れている尊に殴りかかろうとした鬼多見が吹っ飛んできた。


「ったく、死んだらどうすんのよ。これ以上、苦しめられないじゃない」


 呆れた口調で遙香が言う。


「おじさん、ムチャしないで」


 永遠が鬼多見を助け起こそうとすると、梵天丸も心配そうにクーンと鳴く。


「言ったはずだ、そいつだけはおれが生皮剥いで八つ裂きにする!」


 立ち上がりながら姉を睨み付ける。


 その視線を遙香は静かに受け止め、


「あたしも言ったわよね? ゆずる気は無いって」


 揺るぎない口調で答えた。


「こいつは……」


あたしの娘・・・・・を殺そうとして、あたしが担当している声優・・・・・・・・・・・・を傷つけた。そして、伏見さんから身を護る仕事もあたしが引き継いだ・・・・・・・・・。ついでに満留はあたしの下僕・・・・・・よ。

 あんたにとって、朱理は姪だし、刹那はクライアント、伏見さんから依頼も受けてない。式神に噛まれたのは、あんたが未熟なせい。

 だから、あんたが唯一あたしと対等なのは、こいつに殺された声優に対する義憤だけ」


 遮る様に言われ、鬼多見は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「おじさん、お母さんにまかせよう」


 永遠が鬼多見に寄り添い、手を握った。


「お母さん、本気で怒っているもの」


 彼女は遙香の瞳を見つめた。


「だから、お祖父さんも、わたしたちを助けに来なかった」


 言われてみれば、あの状況を法眼が気付かないはずがない。来なかったのは遙香の怒りを理解していたからなのか。


「こいつをどうするかは、あたしが決める」


「貸しだからな」


 ムスッとした声で鬼多見が言った。


「あんたね、どれだけあたしに借りがあると思ってんの?」


 呆れた顔をする。


「じゃあ一つ相殺だ」


「フフ、全部チャラでいいわよ」


 不敵に微笑む。


「じゃあ、それで頼む」


 鬼多見も遙香と同じ顔をした。


「安心しなさい、あんたに殺されたかったって、後悔させてあげるから」


「か、勝手なことを……」


 尻すぼみになりながら掠れた声で尊が言った。


「なに? 聞こえなかったわ、ハッキリ言いなさい」


 暗い瞳で遙香は見下ろした。


「………………」


 さしもの尊も自分の置かれている状況が判ったのだろう。


「今さら、しおらしくしたってムダ」


 遙香の身体から験力が溢れ出す。昨日、満留を威圧した時よりも圧倒的に強大だ。それは尊を包み、浸透していく。


「や、やめろ……」


 怯えた声が口から漏れた。


「あんたはどうしたの? 朱理と刹那が『やめて』って頼んだときに?」


 遙香は身を屈め、尊の眼を覗き込んだ。


「答えなさい」


「………………」


 刹那の位置からでも、尊が震えているのが判った。


 鼻を鳴らして遙香は身体を起こした。


「あたしがやめる理由なんて、ある?」


 験力の動きに変化が起こった。


 尊に浸透していった験力が、一気に遙香に戻り出したのだ。


「くかぁああぁああああ!」


 尊は耳障りな悲鳴を上げながら仰け反った。


「あんたには、わたしが欲しくても手に入れられなかった物をプレゼントしてあげる。あんたのパパとおそろいでね」


 尊は声にならない悲鳴を上げ、涙やよだれ、鼻水に脂汗を垂れ流した。


「験力……霊力を奪うつもりだ」


 永遠がボソリと呟いた。


 その一言で刹那は思い出した、遙香がかつて験力をうとみ封印していたことを。


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