二三 稲本団地中央広場

 朱理と梵天丸はF棟から飛び出して、眼の前の中央公園に急いだ。


 悠輝が仕込み刀で込めた験力で巨鳥の炎を断ち割り、襲い掛かる鵺を裂気斬でけんせいしている。


 梵天丸は一声唸ると激しい勢いで駆け出し、鵺に付いている蛇の姿をした尻尾に喰らい付く。


「梵天丸!」


 悠輝が突然の援軍に気を取られた隙を突き、巨鳥は炎を吹く。


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」


 吹き出された炎は放物線を描き、巨鳥は己の炎に包まれた。


「朱理ッ、何で来たッ?」


 悠輝は鵺に斬りつけながら叫んだ。


「おじさん一人じゃ勝てないでしょッ?

 わたしが鳥の炎を防ぐから、そっちをやっつけて!」


 舌打ちをしつつ悠輝は蔵王権現真言を唱える。


「オン・バキリュウ・ソワカ!」


 輝きが増した刃を振るい、鵺の右前脚を斬り落とす。


 さらに梵天丸も鵺の尾を噛み千切ちぎった。


 鵺の動きに勢いが無くなった。


 とどめを刺せると思ったのもつかの間、千切れた蛇の尾が自分の意思で動き梵天丸の首に絡みつく。


 キュウ……と梵天丸が苦しげな声を漏らす。


「コイツ……複数の魔物を使って造られているのか!」


 鵺の姿は伊達ではなかった、それぞれの部位に魔物を使い作り上げられた式神なのだ。


 悠輝は梵天丸を助けに行こうとした瞬間、斬り落とした鵺の前脚が鋭い爪を剥き出しにして飛んでくる。


 仕込み刀で叩き落とすが、鵺本体が牙を剥き噛みつこうとする。


 飛び退こうとしたが避けきれず、悠輝は巨大な口に肩から太ももにかけて咥えられるようにして噛まれた。


「グワッ」


「おじさんッ!」


 朱理が叔父に気を取られた途端、巨鳥は炎に包まれたまま彼女に向かって突進して来た。


「あッ」


 飛び退いて攻撃を躱し、転がりつつ立ち上がろうとするが。


 そこに炎が襲った。


「キャッ」


「朱理!」


 悠輝の絶叫が聞こえた。


 朱理は験力で身体を覆い炎を吸収する、服は燃えたが身体は無事だ。思っていた以上に炎に耐性ができている。


 吸収した炎を巨鳥にぶつけるが、まったくダメージを受けていないようだ。


「よけろ!」


 悠輝の声に振り向いた瞬間、眼の前に虎の爪が迫っていた。


 もうダメッ、そう思ったが、虎の腕は時が止まったようにそのまま動かない。


「え?」


 ドンッ、という大きな音を立てて巨鳥が地に落ちた。


 まるで何かに押し潰されているように地面にめり込んで動けずにいる。


 視線を叔父に向けると、鵺が口を大きく開いたまま固まっており、彼は血だらけで抜け出した。


 そして梵天丸に絡みついていた蛇に至ってはズタズタに千切られて、塵芥となり消滅していく。


  なに、この圧倒的な験力……


 朱理は験力の主に視線を向ける。


 そこには白い秋田犬にまたがった少女がいた。


「お姉ちゃーん、おぢちゃ~ん、だいじょうぶ~ッ?

 たっすけにきったよ~!」


 当人は本気で心配しているのだろうが、場違いな明るい声だ。


「紫織ッ、マサムネくんッ?」


 彼女は朱理の妹で、乗っているのは祖父が飼っている愛犬の政宗だ。紫織は祖父の家で出会った時から彼にまたがっていたが、最近は身体が大きくなってきたので滅多に乗らない。


「考えるのは後だ!

 紫織ッ、迦楼羅を頼む」


「オッケ~!」


 軽い返事とは裏腹に迦楼羅を押さえ付ける験力が増し、さらに大地にめり込んでいく。


「朱理ッ、梵天丸ッ、鵺をたおす、力を貸してくれ!

 オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ」


 天狗真言を唱えると、悠輝の験力が梵天丸に注がれる。


「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ!」


 朱理も叔父にならい梵天丸に験力を送る。


 彼はオーラの弾丸となり鵺に襲い掛かる。


 だが梵天丸が貫く前に鵺の姿は消え、代わりに数枚の御札が現われた。


「逃げたか……」


 くやしげに悠輝がうめく。


 御札は独りでに燃え上がり、煙とは違う漆黒の霧のようなモノが宙に飛び出していく。


  魔物だ……


 あれには魔物が封じ込められていて、それが解き放たれたのだ。


 止めなきゃ、と思った瞬間、


「オン・インダラヤ・ソワカ!」


 紫織が帝釈天真言を唱えると魔物たちに雷が降り注ぎ、その存在が消滅した。


 振り返ると迦楼羅の姿も消えている。


「こっちもお札から黒いのが出てきたけど、やっつけたよ!」


 得意げに言う。


  それより……


「おじさん、だいじょうぶッ?」


 悠輝に駆けよる。


「当然だろ」


 朱理は顔を引きらせた。


「血だらけだよ! 穴、開いているしッ」


 胸の辺りと腹部、そして両脚の太ももにも鵺の歯形に穴が開き、血が溢れ出している。


「こんなのかすり傷だ」


 いや、絶対に違う。


「おまえの方こそ大丈夫なのか? ボロボロだぞ、早く手当をしないと」


 朱理はハッとして自分の身体を眺めた。服が焼けてほとんど裸だ、煤で黒くなっているのがむしろ救いだ。


 だが恥ずかしがってなどいられない。


「手当が必要なのはおじさんだよ! 誰かッ、救急車を呼んでッ!」


 刹那たちに聞こえるよう大きな声を上げる。


「ダメだ、呼ぶな!」


 悠輝も大声で止める。


「おじさん、強がっている場合じゃ……」


「違う、病院で襲撃されたら他人を巻き込む」


「でも!」


「あいつらを斃したわけじゃない、逃げられたんだ。

 紫織が斃した黒い霧は式神の材料にされた魔物に過ぎない、呪術者はほとんどダメージを受けていないはずだ。

 何の対策もしていない場所で、返りの風が吹いたら今のおれじゃ対処できない」


「それは……そうだけど……」


 悠輝の言っていることはもっともだ。


 彼は自分で薬師如来真言を唱え、応急処置をしようとしたが上手く行かない。


「おぢちゃん、アタシがやるよ!」


 朱理が手当てをしようとした時、政宗に乗った紫織が近づいて来た。


 彼女が手をかざすと、開いた穴すべてがみるみる塞がっていく。


  真言も唱えないで……


 紫織は潜在的に母や祖父に匹敵する験力を秘めている。しかし修行が嫌いで、祖父も甘やかしてしまうので中々成長しなかった。


 いつの間に……


「ありがとう、紫織。政宗も助かったよ」


「エヘヘ」


 紫織と政宗が得意げな顔をする。


「お姉ちゃんもケガなおす?」


「永遠~!」


 紫織が尋ねたとき、悲鳴に似た刹那の叫び声が聞こえた。


 転びそうになりながらバスタオルを持って建物から飛び出してくる。


「姉さん……」


「永遠、痛くない? おじさんが救急車呼ぶなって言っていたけど……」


「わたしはだいじょうぶ……」


「だいじょうぶなわけないでしょッ、あんたほぼ裸よ!」


 半泣き状態で言うとバスタオルを朱理に巻き付ける。


「写真を撮られたりしたら……」


 刹那は周りの集合住宅に視線を走らせた。


 スマホやビデオカメラを構えている人影が見える。


 朱理も正確に状況を把握し真っ赤になった。


「アタシが来てからは、だいじょうぶだよ。うーんと……なんかしてあるから」


「紫織、説明になってないぞ……」


 悠輝が苦笑する。


「だって、よくわかんないんだもん」


 その時、刹那は改めて悠輝の惨状に気付きギョッとした。


「おじさん……生きてるの?」


「見りゃ判るだろ? 」


「ゾンビって可能性もあるし」


「おれを何だと思ってる?」


「バケモノ?」


「おまえ、本当に家に帰れ」


「何よッ? 心配してあげてるのにッ」


「どこが心配だッ?」


「もうッ、本当にやめて!」


 朱理が声を荒げたので二人はシュンとした。


「そうね、中で話しましょ。たとえ撮られなくても、永遠をこんな格好でさらしておけない。それにおじさんも、見た目、絶対にヤバイし」


 刹那が朱理を建物の中にいざなう。


「じゃあアタシ、帰るね」


「紫織ちゃんもせっかく里帰りしたんだから、家の中に入りなよ」


「ううん、そろそろ戻れってジィジが」


「戻る前にジィジと代われる?」


 一瞬、紫織がうつむくと、紫織と政宗の姿が法眼に変った。


「なッ?」


 わけが解らず刹那が唖然とする。


 朱理にも紫織が実際にこの場所にいないことは判っていたが、何がどうなっているのかまでは理解できていない。


「何の用だ」


 不機嫌な声で法眼は言った。


「決まってんだろ、どうして紫織と政宗をよこした。

 物理的な攻撃は効かなくても、呪術なら幽体でもダメージは受けるんだぞ」


 悠輝が鋭い声で問いただす。


「フン、お前に言われんでも解っている」


「解っているならよこすなッ?」


「愚か者ッ、俺が紫織ちゃんと政宗を危険にさらすわけがなかろう!」


「実際にしただろ」


「実際は攻撃を受けるようなことは無かった」


「一〇〇パーセント安全だったと言えるかッ?」


「俺を誰だと思っている?」


「間抜けなボケ老人」


「親に向かって何という口を利くッ」


「うるせぇッ、孫と犬を危険な目に遭わせて偉そうなこと言うな!」


「危険などあるか! それを言うなら、お前は昨日何をしていたッ?」


 悠輝が眼を細めた。


「知っているのか?」


「俺が梵天丸のリードを外さなかったら朱理ちゃんがどうなっていたか」


 法眼は遥か離れた郡山から八千代の朱理の様子を見守っていたのだ。


「えッ、あれ、法眼先生がやったの?」


 刹那がとんきような声を上げる。


「偶然かと思ってた……」


「そうそう都合良くリードが外れたりするものか。

 どうしてあの時、今みたいに幽体で現われなかった?

 朱理は肩を傷つけられたし、御堂に至っては背中に大怪我をしたんだぞ!」


 悠輝の瞳に怒りの焔が燃える。


「自分の落ち度は棚上げか」


「おれのミスは認めるッ、人助けをする前に朱理から目を離すべきじゃなかった。

 でも、そっちは気付いていたんだろッ?

 助けるなら、ちゃんと助けろよ!」


 悠輝と法眼は睨み合う。


 朱理は二人をなだめようとしたが、余りにもピリピリしすぎていて声を出せなかった。助けを求めるように刹那を見上げると、彼女も取りなしたかったのだろう何かを言おうとして口を半開きにして固まっていた。


「俺とて万能ではない」


「そんなことは解ってる! でも今できるんなら、昨日もできただろッ」


「今日は備えがあったから出来たのだ」


「どういうことだ?」


「昨日は拝み屋の帰りで、そばに紫織ちゃんと政宗がいなかった」


 朱理はようやく理解できた、祖父は妹と愛犬の験力を使い幽体を送っているのだ。


 紫織と政宗が現われたのも祖父の意思ではなく、恐らく妹が行きたいとままを言ったのだろう。


「朱理ちゃんの危機は察したが、俺一人の験力では梵天丸のリードを外すことしか出来なかった」


「おまえだって副業に行ってたんじゃねーか!」


「父を『おまえ』呼ばわりする奴があるか!」


「うるせぇ!」


「クシュン!」


 思わずクシャミが出た、考えてみればさっきからほぼバスタオル一枚で外にいるのだ。


 これを切掛に悠輝と法眼のくちげんも止まった。


「永遠、中に入ろう、風邪ひいちゃうよ」


 刹那が朱理の肩を抱き今度こ部屋に戻ろうとする。


 朱理は頷きつつ、


「ケンカなら電話でして、紫織とマサムネくんがかわいそうだよッ!」


 とここぞとばかりに叔父と祖父を叱った。


 二人ともハッとしてすぐに申し訳なさそうな顔になる。


「ごめん、朱理。

 じいさん、とっとと消えろ」


「お前に言われるまでもない。

 朱理ちゃん、ごめんね。

 刹那さん、孫を宜しく頼みます」


 頭を深々と下げると祖父の姿は消えた、きっと向こうで今度は紫織と政宗に平謝りだろう。

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