七 新川土手

 朱理は買った食材を入れたデイパックを背負いTEMPTでしんかわ土手を疾走していた。


 春先のこの時間帯、遊歩道になっているこの土手は滅多に人が通らない。さらに川の反対側には田畑が続いているため、前さえ注意していればスピードを出せる。


 とは言え曇っているせいで大分暗くなっている、朱理はライトを付けて前方に意識を集中していた。


 TEMPTは郡山で祖父に買ってもらったMTBマウンテンバイクだ。それで今、八千代を走っている。


 朱理は感慨を覚えた。また八千代に戻ってきた、懐かしさと悲しみが詰まった故郷に。


 幼馴染みのりんすみとは別の高校に進学することになったが、朱理が戻ってくると二人は今まで通りに接してくれた。


 もう一人の幼馴染みであるが、朱理に引き寄せられた魔物に殺されたにも関わらず、二人の変わらぬ友情が何よりも嬉しかった。


 さすがに声優デビューしたことには「あんた、郡山に何しに行ったの?」と凜には呆れられ、「今のうちにサインもらっとこぅかなぁ~」と香澄にはからかわれた。


 しかし何やかんや言いつつ二人とも御堂永遠が出演したアニメを観てくれていて、由衣を失った悲しみから立ち直り、新たな道を進んでいる朱理を応援してくれた。


  充実しているな。


 幸せを実感する、不安が全くないわけではないが未来には希望の光が溢れている気がした。


 カサカサ……


 何かが近づく音が朱理の思考を断ち切った。


  なに?


 イタチか猫だろうか。この河原にはイタチやキジなどの野生動物はもちろん、朱理は母猫が小さな子猫たち七匹と一緒に丸まっているのも見たことがある。


  でもこの気配……


 動物の物ではない。


 朱理はMTBを止めた。このまま稲本団地にまで連れては行けない、ここで決着をつける。


 バイクから降り、辺りの気配を探る。


 朱理は周囲が異様に静かなことに気付いた、風の音もしない。


  魔物……?


 今は自分一人しかいない、はたして魔物をたおせるだろうか。


  それでも、やらなくちゃ!


 いつまでも叔父たちに頼ってはいられない、自分と自分の大切な人たちを守る力が欲しくて戌亥寺に修行へ行ったのだ。まだまだ未熟だがそれを言い訳にはできない。


 眼を閉じて精神を研ぎ澄ます。


  そこだ!


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前、破ッ!」


 九字を切り魔物の気配がするところに験力を放つ。


 それと同時にくさむらからイタチに似たモノが飛び出した。


 全身が赤黒く爪と牙が黄ばんでいる。


 朱理は紙一重で攻撃をかわした。いや、デイパックの肩紐が切られダウンジャケットも裂けた。


 動きを妨げるのでデイパックを投げ捨てる。


「ヒートブレイド!」


 右掌から伸びた炎のやいばで魔物に斬り掛かる。


 刃が届くより早く魔物は草叢に逃げ込んだ。


 炎の刃を構え直し再び辺りの気配を探る。


  来る!


 飛び出して来た魔物を斬りつけようとする。


 と、その時、背後に別の気配を感じた。


 とっさに地面に倒れて素早く転がり距離を取る。


 立ち上がり相手に視線を向けた。


 魔物が二体に増えている。どちらも赤黒くイタチに似た姿たが二回りは大きい、小型犬ぐらいの大きさがある。


  一度に魔物が二体……


 背筋が冷たくなる、魔物と独りで対峙すること自体初めてなのに相手は二体だ。


  負けない!


 朱理は背後を振り返り、炎の刃で薙ぎ払った。


 ギャヒッ!


 という叫び声が頭に響く。


 三体目の魔物が地面に転がる。


 まだ斃せてはいない、そいつは牙を剥いてこちらを睨んだ。


 魔物は霊的存在で、普通はある程度の異能力ちからがなければ視ることも声を聞くこともできない。

 もっとも声が聞こえても会話が通じるとは限らない、魔物には知性の高いモノと低いモノがいる。


 そしてこの魔物たちは知性が高いとは思えない。ただ気になるのは、


  実体化してる。


 この魔物を朱理は肉眼で認知していることに気が付いた。


  まだ他にもいる……


 さらに、草叢の中にあと二体の魔物の気配を感じる。


  全部で五体……


 これほど多くの魔物は一度に見たことすらない。


 朱理は恐怖を抑え付け戦いに集中しようとした。叔父がよく言っている、気持ちが負けていては絶対に戦いに勝つことはできないと。


 魔物たちがジリジリと間合いを詰める、草叢にいる二体も強い殺気を放つ。


 朱理は炎の刃を消した。


 次の瞬間、一斉に魔物が朱理に襲い掛かる。


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」


 不動明王真言を唱えると朱理の周りに炎の壁ができた。


 ゲーッ!


 飛んで火に入る夏の虫のごとく、五体の魔物が焼かれる。


 ところが斃せたのは先ほど傷つけた一体だけだ。


 力尽きると魔物は身体がちりあくたとなって消える


 残り四体は身を低くして朱理を取り囲む。


 知能は高くはないが、獲物の狩り方は知っている。朱理がこの状態をそう長く維持できないことを察しているのだ。だから彼らは待っている、彼女が力尽きるのを。


  どうする……


 不動明王呪は強力な炎を呼び出せるが、その分験力を消耗させる。この状態から攻撃をできれば勝ち目があるが、朱理にはそれだけのスキルがない。使える呪術は一度に一つだ。


 つまり魔物を攻撃するには炎の壁を消さなければならない、そうすれば間違いなく魔物は襲ってくる。四方からの攻撃をかわしつつ攻撃する技量も朱理には無かった。


  でも、やるしかない……


 どちらにしろもうすぐ験力は尽きる、そうすれば確実に魔物に殺される。


 朱理は大きく深呼吸をした。


  レディ……ゴーッ!


 炎の壁を消すと、朱理は身を翻して後ろに飛び出した。


 待ち受けていた魔物も同時に飛び掛かる。


「ヒートブレイド!」


 両掌から炎の刃を伸ばし、後ろにいた二体の魔物に斬りつけた。


  グギャッ!


 一体には見事刃が命中した。が、一体は避けられた。


「キャッ!」


 朱理の口から悲鳴が漏れる、背後の魔物に襲われたのだ。


 うつ伏せに押し倒され、肩に鋭い爪が食い込む。


「うぅうう……」


 痛みに呻き声が漏れる。


 クワァー!


 一体の魔物が口を大きく開け、朱理に噛みつこうとした。


 と、その時、


「ガルルル!」


 うなり声と共に黒い弾丸が魔物たちを蹴散らした。


「ボンちゃん!」


 思わず笑みがこぼれる、梵天丸は今までに何度も朱理のピンチを救ってくれたヒーローだ。


 彼は普段の愛くるしい仮面を脱ぎ捨てて、牙をき出し瞳をギラギラと輝かせている。朱理を傷つけた魔物たちに怒りを燃やしているのだ。


 朱理は痛みに耐えて立ち上がりたび炎の刃を構える。


 一体は動けないようだが、残り三体の魔物が彼女と梵天丸を取り囲む。


 魔物がまた間合を少しずつ詰めてくる。


 梵天丸は低く唸り声を上げながら動かない、しかし彼から強いを感じる。梵天丸はただの柴犬ではない、験力を持つ霊犬だ。


 ついに弾かれたように魔物たちが襲い掛かってきた。朱理に二体、梵天丸に一体。


 朱理と梵天丸も動く。朱理は自分に向かってきた一体の相手をし、梵天丸は自分に向かってきた魔物と朱理を襲おうとしたもう一体を凄まじい速さで攻撃する。


 一刻も早く眼の前にいる魔物をたおして梵天丸を援護したい、その思いとは裏腹に朱理の攻撃はことごとく避けられている。


 激しく攻撃しているので魔物も彼女を攻めあぐねている。


 攻撃が当たらないことで朱理に焦りといらちが生まれ、隙を生みだしてしまった。


 それをたんたんと狙っていたモノがいる、傷付き動けないと思われていた魔物だ。


 魔物は最後の力を振りしぼり、朱理に襲い掛かった。


 彼女が気が付いた時にはもう遅かった、もう一匹の魔物が攻撃に転じそれを防ぐのが精一杯だ。


 その爪が朱理の首筋を切り裂き生命いのちを奪う、はずだった。


「うッ」


 声が上がる、だがそれは真藤朱理の口から出た物ではない。


「姉さんッ?」


 魔物の爪は朱理を庇った刹那の背中を切り裂いていた。


 もたれ掛かる姉の背中に血が滲むのが、朱理の視界に入った。


 脳裏に失った友の顔や傷付いた家族の姿が蘇る。自分のせいで犠牲になった人たち、自分が無力なせいで助けられなかった人たち。


 マグマのように熱い何かが身体からだの中に吹き出し、心が深紅に染まる。


「うわぁあああああああッ!」


 眼の前にいる魔物に怒りとも悲しみともつかない感情を叩き付ける。


 魔物は激しい炎に包まれ一瞬で燃え尽きた。


 梵天丸が一際大きな唸り声を上げた、朱理の精神に感応し彼の験力も強まる。


 一体の魔物ののどぶえを喰い千切り、逃げようとしたもう一体を背後から襲い、後頭部を噛み砕く。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 朱理は荒い息をしていた。


  なに、今の……


 自分の両手を見つめる。


  力が、験力が湧き上がってきた……験力が溢れて……


 飲み込まれた。意識が験力に包まれどこかへ連れ去れるような感じがした。


  これが験力の暴走……?


 悠輝から聞かされていた、験力は暴走する可能性があると。


 験力が暴走した場合、理性を失いどんな行動を取るか判らない。今自分はその状態になったのではないのだろうか。なにより朱理を恐れさせたのは、


  気持ちよかった……


 かつてない快感を覚えた。朱理は性交渉の経験は無いが自慰行為をしたことはある、その時の感覚と似ていた。


  でも、もっと……


 強い快楽だ。魔物がかいじんに帰し、少し頭が冷えると自分がとても危険な状態にあったことを自覚した。


「永遠、だいじょうぶッ?」


 ハッとして視線を降ろすと、刹那が自分の力で立とうとしていた。


「姉さん、ごめんなさい」


 朱理は慌てて彼女を支えた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 刹那は優しく微笑ほほえんだ。


「どうして謝るの?」


「わたしのせいで、また姉さんが怪我をした」


「妹を守るのは当然でしょ? 紫織ちゃんがピンチだったらどうする?」


「それは……」


「だから気にしない。

 永遠、琴美みたいでカッコよかったわよ」


  琴美……


 刹那が言っているのは二人がオーディションに受かった『デーヴァ』のヒロイン、日下琴美のことだ。彼女は己の超能力に溺れて敵側に付くが、最後には主人公の活躍で自分を取り戻し世界を仲間たちと共に救う。


 刹那は琴美のように炎を使って魔物を斃したと言いたいのだろう、それはわかっている。わかってはいるが、朱理には力に溺れて闇に走った琴美と自分が重なった。


  わたしは昴にはなれない……


 強大な力に惑わされることなく世界を救う主人公、自分はそんなに強い人間ではない。


「取りあえず帰ろう、永遠……

 でもその前に病院、開いているかな?」


 動揺して手当のことを忘れていた、朱理の中にさらに自己嫌悪が募る。


「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


 刹那の背中に手を当て薬師如来真言を唱える。


「ありがとう、痛みが楽になったわ」


「ううん……」


 ごめんなさい、とまた朱理は心の中で詫びた。


 傷跡は残るのだろうか、声優も水着グラビアの仕事が来ることがある。プロダクションブレーブはもともと女性アイドルを専門とした事務所で、水着の仕事を容認している。


 もし水着の仕事が来ても刹那は傷跡のせいでできないかも知れない。


  仕事だけじゃない、傷跡が残れば姉さんは一生……


 どれだけ自分は周りに迷惑をかけるのだろう。朱理の中で積み上げてきたものが揺らいでいった。

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