第60話 祝福の日々④

 だったら、サツキさんに今のこの瞬間を大事にしてもらうことだ。

 けれど、そのことは、サツキさん本人が一番良く知っているようだ。

 その証拠に。充電の途中だったサツキさんはイズミの忠告を振りきり、カレーの支度の続きを始めている。

 互いに「イズミさん」「サツキさん」と呼び合いながら、動き回っている。

 そんな二人はAIドールだ。

 ああ・・この瞬間、この心温まる時間は、サツキさんにとっては祝福の時間なのだ・・そう理解した。


 そして、カレーが出来上がったらしく、何やら二人で小さく話している。

 それで肝心の味の方はどうなんだろう?

 僕が「出来たのか?」とイズミに訊くと、

「サツキさんが味見をしています」と答えた。

 味見? 

 水と錠剤しか口にすることのできないドールが味見だと?

 そう思っていると、サツキさんが僕の方を向いて、

「味見くらいはできるのですよ」

 と言ってニコリと微笑んだ。

 なるほど、サツキさんはルーを少し口に入れ含み、すぐに戻した。あれが味見なんだな。

 そして、

「完成です」と僕に報告して「平行思考の嗜好通りに出来ています」と言った。

 通算一時間ほどで、そのカレーは出来上がった。


 サツキさんとイズミは、ご飯と本日調達した食材で作ったルーを食卓に配した。

 僕はカレー鍋を覗き込み、「ちょっと多くないか?」と言った。

 二人が協力して作ったカレーを食するのは僕一人だけだ。


 僕は「頂きます」と言ってカレーを食べ始めた。

 美味しかった・・信じられなかった。

 この状況も信じられないようなことだが、その味は更に信じられないものだった。

 何だ? このうまさは! 母親の和風カレーでもなく、昔、レストランで食べたインドカレーもどきでもない。 辛口を指定したが、甘口のような感もする。

 何度口に運んでも信じがたく旨い!


 それにしても・・

「イズミ、サツキさん・・これ、少し、美味し過ぎやしないか?」

 僕の興奮気味の問いに比して、至極冷静なサツキさんは、

「カレーの完了のお味です。つまり、完成形です。この味には全ての条件が揃っています」

 何か、よくわからない回答だな。

「全ての条件って?」僕がそう訊ねると、イズミが、

「ミノルさん。甘からず、辛からず・・ですよ」と言った。

 なんだそれ? たぶんサツキさんが言ったのと違う意味だろ。

 まあ良しとしよう。旨いものは旨い!


 一人の食事は寂しかったが、二人のドールに見守られながら、僕はお替りまでしてしまった。コンビニ弁当では不可能なお替りだ。

 サツキさんがご飯をよそい、イズミがカレーを足した。

 二膳目を食べながら、僕は自分が泣いていることに気がついた。

 それを指摘したのはイズミだった。「ミノルさん。目から水が」と言うとサツキさんが「イズミさん。あれは涙というものですよ」と訂正した。

 イズミはしばらく沈思黙考した後、

「そうですね。人間は目から水を出したりはしません・・了解です」と言った。

 なぜ、僕は泣いているのだろう。

 何も悲しいことはないのに・・どうしてだか涙が止まらなかった。


 イズミが僕を見て、「涙を流すほど美味しいのですか?」と言った。

 いや、カレーの味が原因ではないと思うが、

 僕が「そうかもな」と答えると、

「そんなに美味しいのなら、明日の夜も食べてください」とイズミが真顔で言った。

「ああ・・明日も食べるよ。カレーは二日目がおいしいと言うからな」

「でしたら、明後日も、食べてください」

「ああ・・そうだな」

「その次の日も」

「わかった、せっかくだからな」

「又その次の日も・・」

「ああ、食べるよ」

「ミノルさん・・よかったです」

 そう言うイズミの瞳が優しくなった・・気がする。

 ああ・・わかったよ。

 いつもなら「おい、この会話、いつまで続くんだ!」と切るところだが、今は、そんな会話の連続が心地よかった。

 そんな僕とイズミの会話を聞いているサツキさんの顔にも微笑が浮かんだ。



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