第18話 国産B型ドール
◆国産B型ドール
会社に戻っても、仕事に身が入らない。
山田課長と話した内容もそうだったが、家で待っているドールのイズミが気がかりだからだ。
一人身の男が家で大型犬を飼っていたらこんな心境なのだろうか? ちょっと違うな。
まさか、父子家庭の男が保育所に子供を預けるように、ドールを誰かに託すわけにもいかない。
ふと、隣の島本さんの顔が脳裏をかすめたが、彼女も一人身のようだ。昼間は働いていることだろう。留守中をお願いすることなんてできない。
残業の少ない会社にいることを有難く思いつつ、何度も時計を見る。
それにしても、この前から、驚くことばかりだ。
ネットでフィギュアプリンターの販売サイトを見つけてから、いきなりのプリンターの即購入。ドールの作成。イズミの誕生。そして、隣のおばさん、島本さんとの関わり。
それに今日は国産型ドールを見ることになった。
まるで、僕の周りの世界が一変したようだ。
一変したと言っても、この会社・・僕の会社にはそんなフィギュアプリンターで作られたようなドールは一人もいない。ごく普通の会社だ。
そんな普通の世界に、山田課長所持の美人秘書ドールや、僕のイズミが現れたら、社員はみな驚くことだろう。
そんなことを思いながら、取引先の山田課長から預かった資料をコピーしている時、声をかけてきたのは同期の植村だった。
「よお、井村、この後、飲み会があるんだけど、行かねえか? 残業ないんだろ」
僕は即座に「すまん。今日は、早く帰らなくちゃならないんだ」と即答した。
「何だそれ。家でママでも待っているのかよ」
そんな冗談を返すこともできないし、まさか、フィギュアドールが家で待っているとも言えない。
植村とは会社の上司の悪口とか言える仲だが、こればっかりは僕の秘密にしておかないと。
植村は「今日は、経理の清水さんも来るぜ」と言った。
経理の清水さん・・少し心が揺れる。
「ごめん。やっぱり。今日は無理!」と言って僕は会社を出た。清水さんが来るのは少し魅力的だったが仕方ない。
今は、ドールがどうなっているか? というよりもドールのイズミが部屋を荒らしてはいないかどうか、それが心配なのだ。
急ぎ足で駅に向かった。
こうして街の中を歩いていても、電車に乗っても、AIドールなんて見かけない。
やはり、AIドールは誰も持ち出していないのか、会社の中だけにいるのか、それともわからないように・・例えば車の中にいたりするのだろうか?
僕自身がAIドールとすれ違っても気づいていない可能性だってある。
車・・
そうか、車か・・車に乗せてなら、イズミをどこかに連れ出すこともできる・・
喜ぶかもな・・イズミ・・
・・って、僕は何を考えているんだ!
どうして、ただのフィギュアドール、ただの玩具を喜ばせてやらなくてはならないのだ!
そんなことをずっと考えながら町を歩く。
いた!
対岸の舗道を急ぎ足で歩いている女性。
一見、どこかの美人OLのようだが、あれはAIドールだ。
遠目でも認識できる。端正過ぎる顔立ち、そのスタイル。
山田課長の所持しているタイプと似ている・・が、その制服は異なる。どこかの会社の制服なのだろうか?
ドールは一人きりで歩いている。
買い物か何かの用事を頼まれているのだろうか?
だが、様子がおかしい。歩みが速い。
何かから逃げているように見える。時々後方を振り返りながら様子を伺っているようにだからだ。
知りたい・・
ドールのイズミのセリフ「ワタシはシリタイ」じゃないが、無性に知りたくなった。
あのAIがどこへ向かっているのか?
何から逃げているのか?
どうする?
体の奥底から湧き出るような好奇心を満たすため、道の向こう側に行くか?
自分の家・・イズミの元へと急ぐか?
電話でイズミの無事を確認できればいいのだが・・イズミが今どうしているか、 それも気になって仕方がない。
ドールは信号待ちのため立ち止まった。その間、僕も考える。
家の固定電話にかけてみるか?
イズミ・・電話の出方、わかるかな?
僕はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。自分の家に電話をかけるのは初めてだ。家に固定電話はいらないと思い、つける予定はなかったのだが、実家の母が「やっぱり電話はちゃんとしたのがないと」と不安がるのでつけただけだ。かかってくるのは、母とおかしなセールス電話だけだ。
信号が変わった。
ドールは対岸の道を直進するものだとばかり思っていたが、こちら側に渡ることにしたようだ。
ドールはこの舗道に渡ると、僕の前を通り過ぎた。
当たり前だが、僕には目もくれない。彼女は駅に向かうようだ。僕と同じ方向だ。
僕は急ぎ足のドールを追いかけながら、登録されている自分の家の電話にかけた。
プルルと呼び出し音が鳴る。
電話の向こうで「ハイ」と声がした。
イズミだ。幼い少女の声。すごく懐かしい気がした。朝出かけるときに聞いたばかりだというのに。
「ソチラは、知らない人ですか?」
イズミはそう言った。ソチラって、言い方が何かおかしいぞ。
僕は「イズミ、僕だよ」と言った。
するとイズミは「『ボク』ですか? ショウショウお待ちください」と答えた。
まさか、「僕」を認識するのに時間がかかるんじゃないだろうな。
「ミノルさんですね・・声をニンショウしました」
認証って・・何だよそれ。
「ちょっと、帰るのが、少し遅れるけど、僕が帰るまでじっとしてろよ」
「・・」イズミの沈黙。
「おいっ! 聞いているのか?」と問いかける。
「そう言われましても、デンワが鳴りましたので」
電話をとるのに動いたということかよ。応用の利かない奴だな。「デンワが、かかってきたのは想定外・・」とイズミは機械的な口調で言い足した。
「いいか・・ちょっと遅れるだけだから。じっとしとくんだぞ」
「でも・・またデンワが鳴ったら・・」
「もうかけないよ。忙しいんだ」
「ドウシテですか?」
「仕事だ・・仕事って、わかるだろ?」
「はい、サラリーをもらって生活している人は、会社のためにオソクまで残ることがあるそうです」
そうそう。その通りだ。いろんな一般常識が頭に入っているみたいだな。
「ミノルさん、息がアライように思いますが」
イズミの声は昨日より少し滑らかになっている気がする。
「今、ある人を追いかけているんだ」
前を行くOLドールとの距離は20メートルほど・・徐々に間を詰めていく。
あのドールは何をそんなに急いでいるのか?
知りたい・・
するとイズミは、
「ミノルさんのお仕事はタンテイさんですか?」
探偵? と言ったのか?
そうか、イズミは僕のことを何も知らないんだな。僕の仕事。僕の家族。
「いや、違うが、ちょっと気になることがあって」
「お仕事ではないのですか?」
「違う」
話に応じるのがだんだん面倒くさくなってきた。
そんなやり取りをしている間だった・・
それはあっという間の出来事だった。その出来事を僕は忘れない。
僕の脇を数人の男が通り過ぎたかと思うと、僕の前を行くOLドールの体を男たちが左右から押さえ込んだ。
男たちは全員黒のスーツを着ている。
OLドールは男たちの腕を振り解こうともがき始めたが、その抵抗が無駄なことは誰が見ても明らかだった。ドールは非力だ。
一人の男が、警棒のような物を振り上げ、OLドールの脇腹に叩き込んだ。
ただの警棒ではない。一瞬だが、光った気がした。いやな光に見えた。まるでドールの生命を絶つような光だった。
次の瞬間、その体、ドールの上体があらぬ方向にぐにゃっと曲がった。
同時にドールの頭も力を失ったようにダラリと垂れた。
命が失われたように見えたが、その目がこちらを向いた。
一瞬だが、ドールと目が合った。
それは悲しい目だった。決して無表情ではない。感情が詰まっているような瞳に見えた。
そして、その目は僕に言っていた。
「どうして、ワタシを助けてくれないの?」
気がつくと、周囲で通行人と見物客のような男たちが口々にこう言っているのが聞こえた。
「あれは、B型のドールだな」
「工場用のドールだ」
「逃げ出してきたのか?」
そんな声に混じって僕は立ち尽くしたままドールと男たちの様子を見ていた。
B型? 逃げ出す?
そう言えば、山田課長は自分のドールをA型と呼んでいた。会社の業務用のドールはB型だと言っていた。
なぜ、見物客達がそんなことを知っているのかわからない。僕が知らないだけなのか? それともこれは僕が何にも関心を持たず生きてきた報いなのか? 世界はいつのまにか変わっている。
男たちはドールを折り畳むようにして、路肩に停めてあった大型のバンに詰め込んだ。
まるで、物のように、荷物を搬入するように。
「ミノルさん。どうかされましたか?」
ずっと耳をそばだてていたのか、イズミの声が携帯から聞こえた。
今見た光景と対照的にイズミの声は暖かく聞こえた。
通行人や見物客の声よりも遥かに人間的に聞こえた。
「いや・・何でもない」と言って、「遅くなることはない。もう帰るよ」とイズミに伝えた。
すると、イズミは、
「探偵のお仕事・・ビコウは終わったのですね」と訊いてきた。
「ああ・・尾行は終わった・・」
電話を切った時には、ドールを積んだ車は道の向こうに消えていた。
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