第6話 二つの名前

◆二つの名前


 おばさんは説明書から顔を上げると、

「信じられないわ・・フィギュアって、こんなに大きいものなの?」

 と感嘆しながら言った。「これが井村くんの趣味なのね」

 僕は「フィギュアドールです」と言った。

「こういうのって・・高いんでしょう?」

 僕は「まあ、それなりに」と答えた。さすがに金額までは言えない。

 わかって頂けたら、部屋を出て言って欲しい。


「この中のフィギュアが・・さっき、しゃべっていたの?」

「・・みたいです」

 するとおばさんは、「世の中、いつのまにか、進んでいたのねぇ」と言いながら、這うようにして箱に近づき、煙が噴き出ている箱の出窓を覗き込んだ。


 そして、

「本当ね・・煙でよく見えないけど・・ちゃんと顔があるわ・・」

 フィギュアの顔を先に見られてしまったぞ! 何かいやだ。

「でも、これって・・人間の女の子じゃないの・・」と言って、僕の方に向き直り、「やっぱり、誘拐・・監禁じゃないの?」と真剣そのもの、疑惑の顔で僕を睨んだ。

「でも・・この顔って・・」

 おばさんはぽつりと言った。


「だから、精巧に、人間の女の子そっくりにできているんですよ」

 そう僕が言うと、

「ソンナことより・・ハヤク、ココから出してください」

と、またフィギュアの声が聞こえた。

 その声におばさんは「あら、かわいそう・・この中、狭いのね」と言った。「私の顔を見ているわ」

 僕もたまらなくなって、箱に近づいて出窓を覗いた。

 ああっ、またおばさんと近接距離だ。肩が、腕が触れ合う。年上のふくよかな女性の体がそこにある。


 そんなことも気にしながら、僕はガラス越しにフィギュアドールの顔を見た。

 僕が覗き込んだ瞬間、

 霧のようなものが引いていったのか、フィギュアの顔が綺麗に見える。

 ああっ!・・

 おそらく、これは、夢だ。

 フィギュアドールの大きな瞳がジロリと僕を睨んだ。

「アナタが、ミノルさん?」と小さな口が開いた。


 この顔・・このフィギュアドールの顔・・

 イズミ・・そのものだ。

 ん? 

 いや・・違う・・よく見ると、どことなく違う。

 年齢は17歳前後・・のような幼い顔。

 しかし・・

 AIのバグなのか? 妙な違和感がある。

 少し・・違う・・思念の伝達にミスがあったのか?


 そう思いながらフィギュアの顔を見ていると、僕の真横にいて、その体温まで感じられそうなおばさんが、

「さっき、この子、おばさんも開けるのを手伝って、と言っていたわね」

 そうだったっ! 

確かにフィギュアは言っていた。僕一人では無理だと・・箱はそんなに開けづらいものなのか?

「だ、大丈夫ですよ。僕一人でできますから・・おばさんは・・」

 おばさんはもう帰ってください!

「だから、おばさんじゃないわよ。私には、シマモトユミって、ちゃんとした名前があるのよ」

 シマモト・・ああ、表札に「島本」と書いてあったっけ。

「だ、だから、島本さん、これは僕の・・」僕が買ったものだ。どうして他人のあなたも手伝わなくちゃならない。

 そう言って僕は黒いボックスの蓋の取っ手を持った。

 そして、力を込め、持ち上げ・・「あれ?」びくともしない。

 何だこれ?

 僕は踏ん張って両サイドにある取っ手を握りしめ「うーん」と声まで上げた。

 ダメだ。


「ミノルさん。この箱は・・そちらのオバサンの手がないと、ロックは解除されません」

 フィギュアはそう淡々と説明した。


 ロック?

 何だよそれ?

「僕以外の人間の手がないと解除されないって・・それ、おかしいだろ!」

 僕はこの商品に対して、怒りが込み上げてきた。


「お二人のチカラでなら、この箱はカンタンに開きます」

 そうフィギュアは説明を続けた。

「井村くん、この子もそう言ってるじゃない・・私、左の取っ手を持つから、井村くんは右を持って持ち上げてちょうだい」

 もうすっかり、僕はフィギュアと島本さんのペースに飲まれていた。


 はいはい、と島本さんの言う通り、右の取っ手を持ち、力を込めた。

 あれ・・力を込めずとも、

 箱の蓋はふわりと、まるでカーペットくらいのものを持ち上げるかのように開いた。

 開くと同時に、

 中のフィギュアドールは半身を起こした。

 セミロングの髪が風圧でふわっと持ち上がったかと思うと、すぐ肩に落ちた。

 裸じゃないんだな・・てっきり何も着ていないのかと思っていた。

 フィギュアは、すっごく安物っぽい紺色の・・ゴシック調のワンピースを着ている。これも中○製だろう。

 下着とか、どうなってるんだ? と、つい余計なことを考えてしまう。


 そして、フィギュアは僕と島本さんの顔を見て、

「ダメです・・これ以上、チカラが入りません」と言った。


 その時だった。

 島本さんは「みちる?」と小さく言って、

「まるで、ミチルみたい・・」と遠くを見るような目で言った。


「ミチル?・・その名前はまだ知りません・・私の名前はミノルさんが付けてくれます」

 そうフィギュアは機械的に説明した。

 そうそう、このフィギュアの名は持ち主であるこの僕が付けてあげるんだ。

 イズミ・・と。

 しかし、このフィギュア・・さっき・・「ミチルの名は、まだ知りません」と言ったな。

 まだ・・って、どういうことだ。


「井村くん・・この子、本当に、フィギュア? ドールなの?」

「本当です・・」僕も信じられないがそうなのだ。これは商品。

「私、信じられない・・」また島本さんは感嘆の声を上げた。


「ミノルさん、ボーっとしてないで」

 フィギュアは僕に乱暴に呼びかけ、

「早く、充電してください!」と命令口調で言った。

 

 フィギュアドールには初期設定の分だけしか、充電されていない。

 満タンにするのは購入者である僕の役目のようだ。

 そう・・

 フィギュアの稼働はあくまでも充電だ。人類の文明はこの電気の充電に関して、さほど進歩していないと思われる。自己発電というものがいづれできると思うが。


 フィギュアの少女はワンピースを脇の方まで持ち上げた。「ココです」とフィギュアが差した先には、なるほど・・何かを差し込むような小さな穴がある。

 あ、そうか・・付属のコードはここに差すんだな。

 僕は壁の差し込み口にコードを差し、コードを伸ばし、その先をフィギュアの脇腹の穴に差し込んだ。カチリと乾いた音がした。


「ジュウデンをカイシします!」

 なぜか今度は機械音のように言って、フィギュアは目を瞑った。

 姿勢が半身を起こしたまま・・そのまま体が硬直してしまったようた。

 しゃべらない・・

 再び説明書を読むと、充電時間は2時間・・その間、フィギュアに触れてはいかないそうだ。今度は静かにブーンという音がし始めた。


 僕の様子を見ていた島本さんは「本当にすごいのねえ」と感嘆の声を漏らし「私はお邪魔みたいね・・そろそろ、私、失礼するわ」と言った。

 確かに邪魔だ・・

 邪魔なんだけど、なぜか、このおばさん・・

 島本さんは悪い人では全然なく・・

 もしかして寂しい人なんじゃないか・・と、ふと思った。


「ねえ、井村くん」部屋を出る際、島本さんは、

「また遊びに来てもいいかな?」と言った。「厚かましいとは思うのだけど・・」

「お、落ち着いたら・・別にかまいませんが・・」

 僕は適当に返事した。今はフィギュアの初期設定が先だ。

「そう・・ありがとう・・またお邪魔するもしれない・・」と言葉を残して「お休みなさい」と言って去った。去ったと言っても隣の部屋だ。すぐに隣でドアの鍵を開ける音がした。

 後には上品な香水の匂いだけが残った。


 商品を開梱して、ヘッドホンを付けての思念の伝達、

 プリンターでフィギュアドールの作成。

 箱を開ける作業・・そして、今は充電・・

 大変だな・・

 次第に、何のためにこのような作業をしているか、わからなくなってきた。

 そして・・この先には何が待っているというのか?


 一つ、この商品に関して気になることがある。・・

 フィギュアの少女はこの箱を開ける時、

 僕と、島本さんの二人でないと、ロックが解除されないと言っていた。

 あれはどういう意味だったのか?

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