第52話 地を這うもの③

「あれって・・何なのよ!」君島さんの声が闇を裂いた。

「君島さん、どうしたんだ?」

 僕が訊くのと同時に、君島さんは、「ひっ」と声を上げ僕の腕にすがり付いた。

 ・・ずるっ、ずるっ・・

 這うような音と共に、「はああっ」とねっとりした息を吐くような音も聞こえる。

 生物であることには間違いない。だが、とても人間とは思えない。


「屑木くん、あれよ」

 僕に寄り添ったままの君島さんが暗闇の中を指差している。

 何か大きな物が闇の床を這っている。黒くグニャグニャしたものに見える。

 得体が知れない。黒い雲のようにも見えるが、雲には手と足があり、四肢を使い這っている巨大な山椒魚のようにも見える。

 生物であることがわかるのは、動いている以外にも、大きく呼吸していることがわかる。

 その胴体が、膨らんだり、縮んだりしているからだ。

 そして、それは、黒い影のようなものは確実にこちらに向かっている。


 そう思った時だった。


 僕の目の前を・・ツーッ、と糸のようなものが横切っていった。

 赤い糸だ・・綺麗だ。

 いや、糸ではなく、それは血だった。

 闇の中、その血は美しく見えた。この世に「赤い糸」があるとするならば、これがそうではないだろうか。

 そして、その長く赤い糸は、闇の中へ、

 その床を這う物の方に向かっていった。そいつが血を吸い上げたように見えた。


 だが、それよりも今、目の前を通り過ぎた血は・・

 いったい誰の血だったんだ?

 松村は前方に立ったままだ。

 君島さんは僕にすがり付いている。何の変化もない。

 まさか・・

 僕は後方の佐々木奈々の方に顔を向けた。


 見ると、佐々木のいつもの笑顔が歪んでいた。泣いているように見えた。

 ・・佐々木は首筋を手で押さえている。そこには穴が開いているのか。


「屑木くん・・私、血を吸われちゃったみたいです・・」

 暗闇ではっきりとは見えないが、その顔からは血の気が失せている。

 そして、徐々に顔が萎んでいくように見えた。

 前回、屋敷に来た時に白山あかねの首筋に穴が開き、闇の中に血が噴き出していったのと同じ現象だ。

 だが、それほど、血を吸われなかったのか、それほど、顔はへこんでいないし、話せるようだった。

 そう思ったのも束の間、

 佐々木は、そのまま、その場に体を崩してしまった。

 いつも元気だった佐々木のそんな姿を見るのは初めてだった。

 同時に・・ずるっ、ずるっ・・黒い影の這う音が遠ざかっていく。


 君島さんが両手を口に当て、溢れ出そうな叫び声を押し殺している。

 叫ぶとよけいに感情が壊れてしまう・・そんな風に見える。


「おい、佐々木!」

 僕が声をかけるよりも先に、大声を出し、仰向けに倒れている佐々木に駆け寄ったのは、松村だった。

「奈々ああっ!」

 幼馴染の呼び名で松村は佐々木の名を呼んだ。

 呼びながら佐々木を抱き起した。「しっかりしてくれっ」

「ま、まつむらくん・・」

 佐々木は松村にされるがままになっている。声も出すことが出来ないようだ。


 松村・・さっきまで君島さんのことばかり見ていたくせに、いざ、幼馴染の佐々木がこんな事態を迎えると、男としての感情がこうも変わるものなのだろうか。


 松村は「ちくしょうっ」と叫び、なぜか暗闇に目を走らせた。

「あれは・・どこへ行ったんだ?」

 あれ?

「松村、あれとは何だ?」と僕が問い詰めると、

「あれが、血を吸うんだ」と松村は応えた。

「松村・・お前・・」

 松村は、あの得体の知れない黒い影を知っているのか?

 知っていて、君島さんをここに連れて来たのか? あれに君島さんの血を吸わせるためにここへ。

 しかし、君島さんの代わりに佐々木が血を吸われることになった。

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