第23話 吸血鬼①
◆吸血鬼
死んだはずの白山あかねが、黒崎みどりの血を吸っている。
それは間違いない。
黒崎の顔は仰け反り、白山は黒崎の喉元に顔を埋めるようにして吸っている。
黒崎みどりは体の力を失ったように、
「あっ・あっ・あっ・・」と変な喘ぎ声を上げながら、体をピクピクと小刻みに痙攣させている。その口は金魚のようにパクパクと動いている。人間はこうも小刻みに体を振動させることができるのか・・そんな動きだ。
「んおおッ・・んふむうふうッ」
「ヒッ」と神城は小さく声を上げ、僕の体にしがみ付いてきた。
闇の中で生身の人間の温もりが伝わる。
神城涼子が見る視線と同じ方向に目をやると、
血を吸われている黒崎の両脚が宙に浮いている・・おそらくそれは吸血鬼と化した白山の体が強いことを示すものだ。羽交い絞めの強さのあまり、体重の軽い黒崎の体が宙に浮き上がっているのだ。
そして、黒崎みどりの両脚の間から何やら液体が流れ出るのを見た。失禁か・・
「屑木くん・・こんな時、どうしたらいいの?」と神城は僕に助言を求める。
どうすれば?・・って・・十字架とか。
いや・・あれは西洋の場合だ。ここは日本・・それに太陽は沈んだばかりだ。
「神城・・悪い、僕はどうしたらいいのかわからない」
そう言って僕は辺りを見回した。暗闇の中に目を凝らした。
何か、使える物はないか? 吸血鬼となった白山を黒崎から引き離すもの・・棒でもいい。何か・・
そう思案する中、神城は「救急車・・遅いわね・・奈々、何をしているのかしら?」と言っている。
伊澄瑠璃子はこの様子に驚きの顔を見せず、淡々と状況を見物している。
僕は辺りに何もないことに気づくと、
「神城・・逃げよう。ここから出よう!」と言った。
「二人を置いて・・三人だけで逃げるの?」と神城は非難するように言った。
三人? その言葉に違和感がある。伊澄瑠璃子はこの状況を楽しんでいるように見えるからだ。
すると、伊澄瑠璃子は闇の中を指差し、
「屑木くん、あれは、道具箱じゃないかしら?」と落ち着いた声で言った。
その方向を見ると、なるほど、更衣ロッカーのような細長い箱がある。
闇の中、足元に気をつけながら進みロッカーに手をかけると難なく開いた。
中には、ただのハンガーや、上着、その他に大きな植木用のハサミや、金づち、のこぎり。鉈まである。庭園の剪定用なのだろうか?
僕はその中から木づちを手にして、黒崎の体に絡みつく白山に、
「おいっ、白山! 黒崎から離れろ! 今すぐ離れるんだ!」
僕の大きな声に気づいたのか、白山は僕の方に向き直った。
その時、僕はおそらく女の子のような悲鳴を上げていたかもしれない。
それほど振り向いた白山あかねの顔は凄まじかったからだ。
「あ・・あっ、んあっ」
つい先日まで、彼氏が出来たことを黒崎に非難されていた白山の姿はどこにもない。
そこにはいつも教室で見かけた女の子の姿は微塵も感じることはできなかった。
健康的な肌が青くひび割れ、目はカッ見開き、しかもその瞳孔は小さくなっている。
その顔は「血を吸うのを邪魔するな!」と言わんばかりの形相だ。
とても、僕の言うことに耳を傾けるような顔ではなかった。
心が一瞬、遠くに飛んだ気がした。
仕方ない。
僕はこんな所で最後を迎えたくはない。
僕はまだ恋もしていない・・
だから・・
「白山・・すまない」
気がつくと僕は白山あかねの頭に向かって木づちを振り上げていた。
木づちを振り上げながら僕は考えていた。
誰が白山あかねの血を吸ったのだ?
同時に神城が「屑木くん。やめてっ!」と叫ぶ声が聞こえた。
だが、もう遅かった。
コンッ、と軽やかな音と同時に、鈍い感触が手に残った。
僕はその時、どうして木づちではなく、金づちを手に取らなかったのだろう、と激しく後悔した。
木づちではダメだった。
白山あかねの目がギロリと僕を凝視する。「んぐうっ」僕を敵だと認識したのか?
その時、
「他に誰かいるわッ!」
神城が大きく叫んだ。
「佐々木が戻ってきたんじゃないのか?」
だったら、助かる。救急車がじきに来るということだ。
「違うわ・・もっと別の物よ」
物?
ゴトゴトッ、と大きな物が移動するような音が聞こえた。
「どこだっ?」僕が訊ねた瞬間、
背中に誰かの気配を感じるとの同時に、首筋に違和感があった。
体がゾクゾクッとし、体の芯を悪寒が走り抜けた。
そして、体の周りが一気に湿気た空気に包まれたように感じた。
ああ、僕はどうしてこんな油断をしてしまったのだろう。
神城涼子が再び叫んだ。
「屑木くん! うしろ!」
神城の僕を呼ぶ声が遠くに感じた。
いつ、この女は僕の背後にまわったのだ?
僕の喉元に歯を当てているのは、ついさっきまで白山に血を吸われていた黒崎みどりだった。体が動かない。
痛い・・痛いのと同時に、頭がぼんやりとしてきた。
目の前が白くなる。
そんな僕のぼんやりした視界に、
伊澄瑠璃子が白山あかねの体に覆い被さっているのが見えた。
僕はこれと似たような光景を見たことがある。
それはあの物置小屋で見たものを連想させた。あの時は体育の大崎が伊澄瑠璃子を押し倒していた。
今と逆だが、同じようなことが行われていた。
伊澄瑠璃子は白山あかねと接吻・・いや、そんなものじゃない。
口で行われる交配だ。
白山あかねの口が信じられないほど大きく開ききり、伊澄瑠璃子はその中に自分の舌のようなものを押し込んでいる。
大崎先生の時と同じだ。舌よりもっと大きく太いもの。
この世で最も醜悪な光景・・目をそむけたい光景・・のはずなのに、
だが、その時の僕はその交配を、美しい、そう思っていた。
ああ、こんな意味不明の風景を見ながら、僕はこのまま死ぬのか。
その時、大きな声が広間に飛び込んできた。
「救急車、呼んできましたよっ!」
佐々木奈々だった。
「もうすぐ隊員の方が来ます・・今、外で担架の準備をしてますから」
神城が体の力が抜けたように「もうッ奈々っ・・遅いわよ」と親しみを込めて言った。
そんな佐々木の声が何かの合図だったかのように。
僕の首筋から黒崎みどりの口が離れた。
次の瞬間、部屋がぱっと明るくなった。救急隊員がライトで部屋を照らしたからだ。
数人の隊員が広間になだれ込んできた。
「助かったのね」と神城が安堵の声を洩らした。そんな神城を佐々木が支えながら、
「屑木くん、何があったんですか?」と尋ねた。
神城と僕が「何がって・・」吸血鬼が・・と言おうとして、
白山あかねを見ると、
さっきまで伊澄瑠璃子に組し抱かれていたような白山はその場に立っていた。
同じく黒崎みどりもだ。
白山を押し倒していたはずの伊澄瑠璃子は、二人を両脇に並べ、静かに微笑んでいる。
更に驚くのは、
あんなに崩れていた白山の顔が、元に戻っていることだ。
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