第14話 保健医の吉田先生

◆保健医の吉田先生


 保健室に着くと、佐々木が部屋のドアノブに手をかけながら、「まだ、大崎先生がいそうね」と言った。

 まず飛び込んできた声は保健の女先生の声だ。

「大崎先生、落ち着いてください」

 イヤな感じがして、僕らは保健室に飛び込んだ。

 体育の大崎はベッドの上にいる。白衣を着た保険医の女先生・・吉田先生が付き添っているが、どうもその様子がおかしい。

 大崎は上半身を起こして、何やらしゃべっている。吉田先生はその大崎の上半身を覆うような姿勢だ。

 吉田先生は「落ち着いてください」と言っているが、どう見ても彼女が大崎に抱きついているようにしか見えない。


 保健室に入った僕たちはそんな様子を見て、

まず佐々木が「あの、吉田先生・・大崎先生は大丈夫なんですか?」と尋ねた。

 佐々木の声に吉田先生はすぐに振り向いた。

「ええ、大丈夫よ」

 そう答えた白衣の吉田先生は40歳前後の男子生徒に人気のある艶っぽい先生だ。

 短めのタイトスカートから自慢の脚が伸びている。

 その吉田先生の顔が紅潮しているように見えるのは気のせいか。

 まさか、と思い、僕は佐々木奈々と顔を見合わせた。

 大崎は血気盛んな男だ。それに吉田先生も負けずのお色気先生だ。取り合わせとしてはこの上ない。性的なことを連想させる。

 それゆえ、さっきの光景は男女として抱き合っていたのではないか? とも推察できた。

 佐々木も同じことを考えていたのか、含みを持たせた表情を僕に向け「でも、ここ保健室よねえ」と顔で語っている。

 まさか、そんなことはない。こんな誰でもすぐに入って来れる場所でそのようなことをするはずはない。


 そんな僕たちの心とは関係なしに、

 僕の後ろに立っている伊澄瑠璃子が、

「あら、吉田先生、首筋に小さな穴が」と指摘した。

 その言葉に驚いた僕と佐々木は、白衣の吉田先生の首筋に白い肌と対照的な赤い点を見つけた。

 それが「穴」だと認識できるには時間がかかった。


 吉田先生は首筋の丁度その部分に手を当てると、「あら、変ね」と言って、自分の指に付着したものを眺め「血が出てるわね」と言った。

 血・・が出ている。

 吉田先生の体中のどこをとっても色っぽいその肢体と血があまりにも似合っていて、そんなに驚きはしなかったが、

 逆に血が出ていることにそんなに驚きを見せない吉田先生の様子が不自然に思えた。

 

 そんな吉田先生を見上げている体育の大崎の顔は包帯やら、絆創膏だらけで、その虚ろな目と、更に厭らしさの増した口しか見えない。それ故に顔に穴が開いているように見えるかどうかも確認のしようもない。


 吉田先生は血を確認した後、首筋に手を当て、「あら、伊澄さんの言う通り、穴も・・」とぼそりと言って微笑んだ。

 僕の後ろに立つ伊澄瑠璃子は「大崎先生が噛んだのかしら?」と問うた。


 まるで吉田先生と伊澄瑠璃子に責められているような大崎は不自由な口で、

「あわわっ。違う。違うんだ」と言って、僕と佐々木に向かって、

「き、君たちっ・・吉田先生の穴は・・最初からっ・・」

 大崎はそこまで言うと、

「あ・あ・あ・・」と変な声を出し始めた。

 上手くしゃべれないようだ。

 けれど、その声、僕は憶えている・・あの物置小屋から洩れていた声と同じだ。

 大崎は僕たちに何か伝えようにも話すことができないもどかしさに、自分の首筋を掻きだした。「あ・あ・・あうっ」

 その様子を見て佐々木奈々が「吉田先生、大崎先生の様子、おかしいですよ」と言った。

 吉田先生は「そうねえ。もう大丈夫のはずなんだけど」とあっさりと答えた。

 どこがだよ・・この様子で大丈夫って・・

 吉田先生の目はどうかしてるんじゃないのか?

 それに、吉田先生の様子もおかしい。この先生、色気はある方だとは思ってはいたが、その顔、体つき・・色気の上に毒々しさも加わって、

 まるで男たちを性的に操る女郎蜘蛛のような雰囲気も兼ね備えている。

 体育の大崎は吉田先生の首の穴が最初から・・と言っていた。

 最初から・・と言うのは、穴は元々あったと言うことだ。


 僕はそんな吉田先生に、

「あの・・大崎先生、すごく苦しそうに見えるんですけど」と言った。

 すると、艶やかな吉田先生は僕の顔を見て、

「確か・・君は上里先生のクラスの子ね」と確認し、

「この体育の先生は、健康そのものなのよ」と言った。「だって、こんな無様な顔なのに、また学校の女の子に手を出したい、なんて言ってるんですもの」と言ってあざ笑うような声を上げた。

 その言葉に佐々木が驚き、「ええっ、大崎先生はそんなことを言っているんですか? また女生徒に手を出すって・・」と訊いた。性懲りもなく・・佐々木はそんな風に訊いた。


 佐々木の投げた質問に吉田先生の顔がくるりと回転し、

「ええ・・そうよ」と答えた。

 え・・

 吉田先生の首が必要以上に曲がった気がしたのと同時に、

 部屋の空気がいきなり湿気だした。

「だから、大崎先生は心配はいらないわよ」

 その瞬間、吉田先生の声にザーッと雑音のようなものが混ざった。

 なんだ、この音は?

 そして、その声は僕の真後ろに立っている人間と声が重なっていることに気がついた。

 僕の真後ろにいる人間・・

 それは伊澄瑠璃子だ。

 僕は伊澄瑠璃子が真後ろにいることはわかっていても、なぜか振り返ることができなかった。体が震える・・怖かった。

 吉田先生の声・・伊澄瑠璃子の声が重なり、くぐもったぶ厚い声になる。

「汚れている者は、どんどん穢れ(けがれ)を増していくのね」

 と言う声が聞こえた。

 吉田先生が言っているのか、伊澄瑠璃子の声なのか、区別がつかない。

 つまり、それは同じ人物だ。

「もう止められないわ」

 くぐもった二人の重なった声が言った。


 何が止められないのだ? と思ったその時、

 僕の横の佐々木奈々が「ひッ」と細い叫びをあげた。

 佐々木の目は、保健室の壁に掛けられている姿見用の鏡に注がれていた。

 そこに映る保健の吉田先生の顔を目を凝らして見た。

 その顔は腐っている・・確かにそう見えた。

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