第8話 淫行幻視
◆淫行幻視
松村の怪我は大したことはなく、順調に回復しているということだ。
ただ、顔が歪んでいるらしく、頬に大げさな包帯を当てている。それに頬の肉がおかしくなっていると人伝てに聞いた。
そんな状態で大したことがない、というのかは分からないが、松村は学校に出てきて、休憩時間に僕の席まで来ると、
「屑木、この前はありがとな」と言った。ごく普通の口調だが、左の顔が痛々しい。
僕が「顔、大丈夫なのか」と訊ねると、
松村は「ああ、たいしたことはない。すぐに元に戻るよ」と答えた。
すぐに元に戻るって・・あの瞬間、けっこうへこんでいたぞ。
それとも、人間の体っていうのは一瞬へこんでも、何日かすれば元に戻るっていうのか。
しばらくすると、松村にデッドボールを当てた近藤がやって来た。
近藤に松村は、「近藤、病室までわざわざ見舞いに来てくれてすまん」と言った。
近藤は松村の見舞いに行っていたようだ。
近藤は学校に出てきた松村を見て「もういいのか。学校に来ても」と不安そうな顔で訊ねた。
包帯顔の松村は「ああ、大丈夫だ。体育の授業以外なら」と答えて、
「僕も悪かったよ。ちょっとぼうっとしてしまったんだ」と言った。
ぼうっとしていた・・
目撃したある男子によると、普通はかわせるはずのボールだったという話だ。
松村は迫りくるボールを意識しないくらいぼうっとしていたというのか。
「でも、ぼうっとするもんじゃないってわかったよ」
松村は普通に反省するように言った。
近藤が「そりゃそうだ」と笑った。自分の落ち度を和らげたいのだろう。
だがその後、松村は、
「でも、ボールがぶつかった瞬間、変な光景を見たんだ」と言った。
そう言った次の瞬間には話を続けるのを躊躇うような表情を見せた。
変な光景?
僕が「幻覚でも見たのか?」と訊ねると、
近藤まで「女の子と裸とかかよ」と茶化すように訊いた。
「いや、女の子は、女の子なんだけど」と松村は小さく言った。
近藤が即座に「やっぱり、女の子じゃんか」と嬉しそうに言った。
近藤は更に「それで、松村、女の子はやっぱり裸か」と、くどく訊き始めたので僕は「もういいじゃないか」と制した。
すると、松村は、
「女の子は・・上半身裸だった・・」と小さく言った。
近藤は吹き出すように笑うと、「そりゃ、ボールが飛んできてもわかんないよな」と言った。
しかし、松村はその先を言いたそうにしている。
僕が「その女の子って、もしかして松村の知ってる子なのか」と訊ねると、松村はコクリと頷き、
「僕の知っている子、というより、ここにいるみんなが知っている」と言って、
「このクラスの津山静香だ」と言った。
津山静香・・クラスの中では目立たなく大人しい女の子だ。
近藤は津山静香の名を聞くと「おまえ、あいつのことが好きだったのか」と笑った。
品のない近藤の声を遮るように松村は、
「違うんだ」と大きな声を出した。
憤った松村の声に僕と近藤は、真面目に聞く姿勢を見せた。
そんな僕と近藤に松村はこう言った。
「そこに、あいつがいたんだ」
「あいつ、って誰だよ」と僕。
「体育教師の大崎だ」と松村が答えた。
「意味がわからん」と近藤がうなる。
すると松村は声のトーンを落とし、
「大崎先生が彼女に、無理やりにいかがわしいことをしていたんだ」と言った。
性的な内容の話に僕は周囲の目をうかがった。おそらく誰も聞いていない。
近藤は「それ、リアルな幻覚だな」と感想を言った。
だが、松村は首を振り「幻覚なんてものじゃない・・見えたんだ。実際にしているところを・・」と小さな声だが、強く言った。
近藤が、「その幻覚、俺のボールが当たった瞬間だよな」と確認するように言った。
すると、松村は、
「すごく長く感じた」と答えた。
確かに、デッドボールは異常なくらいに松村の頬に停止していた。
松村は更に声を落とし、
「大崎先生が、上半身裸の津山さんの体に覆いかぶさっていた」と言った。
大崎先生が津田静香を犯していた。
しかも、その場所は、時間は?
僕は松村に、
「それってさ、そのリアルな夢は、場所とかも見えたりしたのか」と尋ねた。
僕の勘が正しければ・・
僕の問いに松村は、
「場所は体育倉庫の横にある物置小屋だよ」
体育倉庫の横にある物置小屋は、誰も近づかない。単純に汚いからだ。
もしかして、体育教師の大崎は、体育の授業中にそんなことを。
そんな幻覚を話し終えた松村に僕は、
「あのさ、今度の金曜日に神城たちと、おまえの言っていた、例の屋敷に行くんだがな」と言ってみた。おそらく松村はつき合わないだろうが。
すると、松村は「僕が屑木を誘った時に一緒に行って欲しかったよ」と残念そうに言った。
そう言った松村の顔はやはり何かがおかしい、そう感じた。
昼休み、僕は佐々木奈々と駄弁っている委員長の神城涼子に訊いた。
「なあ、この前の体育の自習の時、津山さんはいたか?」
すると、神城は僕を不審な者でも見るように、
「何よ。屑木くん。彼女のことが気になるの」とつっけんどんに答えた。
「違うんだよ」
ああ、面倒臭い。
そんな僕の不快な表情を見て神城は、
「津山さんなら、体育の時は、休みをとっていたわよ。たぶん、あれの日」と答えた。
あの日の自習授業に、津山静香は参加していなかった。
・・ならば、松村の幻視は現実の出来事を見ていたっていうのか。
なぜ?
神城が「何よ、屑木くん。変な顔をして」と問い質すように言った。
女の子に、松村の見た幻視を言うのは、ちょっとためらわれる。
そう思っていると、神城の駄弁り相手の佐々木奈々が、
口に手を当て小さな声で、
「津山さん、色々と事情があるみたいですよ」と僕と神城に囁いた。
佐々木の話に神城が「奈々、色々って何よ」と尋ねた。
「彼女、誰かに脅迫されているとかって、聞いたし」と佐々木奈々は言った。「あくまでも噂ですよ・・う・わ・さ」
津山静香を脅していたのが、体育の教師の大崎先生っていうことか。それをネタに彼女の体を貪っていた。
そんな話をしていると、佐々木が「それにしても最近、屑木くんと涼子ちゃん、仲がいいですよねぇ」と冷やかすように言った。対して神城は「ちょっと、奈々、屑木くんが勝手に話しかけてきてるだけでしょ」と抗議した。佐々木は「そうですかあ」と笑った。
いずれにせよ、あの体育の自習時間・・その時間内に、大崎先生が彼女に性的な行為をしていた。そんな気がした。
問題は松村がどうしてそのような幻視、リアリティ溢れる幻覚を見たのか、ということだ。
そう言えば・・
デッドボールの瞬間、松村の頬にボールが激突した瞬間、
同時刻、テニスをプレイしていた伊澄瑠璃子のスマッシュが打たれた。
ボールが打たれた瞬間、妙な違和感があった。僕はその時の音が頭にこびり付いて離れない。
僕は想像を巡らせた。
つまり、
あの学園の女王のような伊澄瑠璃子が、松村にある幻視を見させた。
それは何のために?
・・それは松村に体育教師の淫行を知らせるためだ。同時に僕たちにも。
だが、なぜ、伊澄瑠璃子は淫行を知ることができ、はたまた、何故、そのことを皆に知らさなければならない義務があるというのだ。
まるで、この世界から汚れたものを排除したいかのように。
もちろん、邪推かもしれないが、しかし・・仮に僕のつたない推測が正しければ、松村は、あの伊澄瑠璃子の手下のような存在になっているのではないか。
それも、伊澄瑠璃子は直接手を下さない。松村に指令もしない。
・・いや、空想が非現実的すぎる。
僕はそこまで考えて、その先に思考を及ばせるのはやめた。非現実的なことから思考を脱することにした。そんなことを考えても何の得にもならない。
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