第402話 恋の行方⑥

「ヒカルの方こそ知っているんだろ?」

 多重人格のヒカルとミズキは本体の小清水さんと記憶を共有している。だから、ヒカルも超文学少女のミズキも小清水さんの心を知っている。

 すると、

「そんなの当り前じゃないか!」ヒカルは叫ぶように言った。

 知っていても辛い。そんな感情がヒカルの声や顔から溢れていた。

 ヒカルは、僕の顔を見据えたまま、ベンチの上をお尻を滑らすようにして僕の方に寄った。

 僕が「ヒカル、どうしたんだ?」と訊ねる隙も与えず、

 ヒカルの両腕が上がった。そして、それは僕の肩の後ろに回った。

 ヒカルが僕を抱き締めてる? 一体どうして?

 そう思った時には、僕はヒカルの両腕の中にいた。

 次にヒカルは何かを思い出したように、

「あの男・・須磨で会ったあの男に・・」と言った。

「キリヤマのことか?」

「ああ、たぶん、そいつだ。そして、その後ろにいた女・・」

 それはキリヤマの娘、ヤヨイのことだ。

 ヒカルはキリヤマとヤヨイの名を並べると、

「鈴木、あいつらに勝てよ」と励ますように言った。そして、言いたいことだけ言ってしまうと、ヒカルは僕の胸に顔を埋めた。


「どうしたんだ、ヒカル!」

 僕が声を上げるのと同時に、ヒカルのくぐもった声が僕の胸から聞こえた。

「沙希、聞こえているか?」

 ヒカルはそう訊いて、「今から、お前の体、返すぜ」と言った。

 ヒカルは本体の小清水さんに話しかけている。

「ヒカル・・まさか小清水さんに、人格を返すのか?」

 こんな状態でヒカルから小清水さんに戻ったりしたら、まずい!

 ヒカルの体を押しのけようとしたが、ヒカルの両腕の力は圧倒的だった。


 ヒカルは僕の問いに応えず、

「沙希、バトンタッチだ・・鈴木を渡すぜ」と小さく言った。

「頑張りな!」それがヒカルの最後の声だった。

 ヒカルはそれだけ言うと、その顔を僕の胸に深く沈み込ませた。

「ヒカル!」

 僕が呼んだ声は、もうヒカルに届くことはなかった。

 その代わりに、別の聞き慣れた声が耳に届いた。

「あれ?」

 それは紛れもなく多重人格者の本体、小清水沙希の声だ。

 だが、その両腕は僕の背中にがっしりと回っている。

 そして、その顔は僕の胸の中にある。

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