第394話 僕は君に何も返していない①
速水さんの後ろに、陽が落ちて黒くなった大きな窓がある。
鏡のような黒い窓に、速水さんの背中が映っている。
背中は何も語らないが、その背中はいつもより悲しそうに見えた。
「速水さん、一つ訊いていいか?」僕は切り出した。
「どうぞ」
「キリヤマたちは、学祭に何をしに来たんだ?」
「分からないわ・・私の高校がどんな様子なのか、見に来たのではないかしら」
速水さんはそう言ったが、どうも腑に落ちない。
彼らは速水さんが部活をしているのを知っているはずだ。ならば、ここに来ないはずはない。
「まさか、あいつら、部室に来たんじゃないだろうな?」僕は語気を強めて言った。
速水さんは僕がヤヨイに遭遇したことを聞いてもさして驚いた様子はなかった。速水さんは知っていたのだ。僕がヤヨイに出会ったことを。
「速水さんは、僕はヤヨイさんに会ったことを知っていたんだろう?」
僕の問いに速水さんは静かに頷いた。
速水さんは隠していても仕方ないと思ったのか、
「ヤヨイ義姉さん、ついさっき、部室に入って来たわ」と言った。
「さっき!」
「たった今よ」
ドキリとした。まだヤヨイがこの部屋にいるかのように感じた。
時間的に、ヤヨイは僕と水沢さんのいる所に現れ、ちょっかいを出してきた佐藤を蹴り飛ばし、部室に現れたということか。
神聖な部室、少なくとも僕にとってはそうだ。
ここは速水部長、小清水さん、青山先輩、そして和田くんが本について語らう場所だ。
言い合いもあったし、笑い合うこともあった。僕にとってはかけがえのない場所だ。
その部室が、たとえ一瞬でもあいつらが入ったことにより汚れたような気がした。
「三人揃って来たのか?」
キリヤマとヤヨイ、そして、速水さんの実母までがここに来たのか。
「入って来たのは、ヤヨイ義姉さんだけよ」
「ヤヨイさんだけ・・キリヤマは?」
「鈴木くんに殴られて、そのまま帰ったんじゃないかしら」
そう言えばヤヨイは、「こちらの生徒さんにこっぴどくやられましたもの」と言っていた。
「ヤヨイさんに、何か言われたのか?」ドキドキしながら訊いた。
「ええ、言われたわ」
「何て言われたんだ」
何かされたかもしれない。
「『沙織はここで部活を頑張っているんだね』・・そう言って笑っていたわ」
「普通のセリフだな」
少しホッとした。
だが、僕の安堵に比して速水沙織の表情は暗い。
「それだけのはずはないだろう・・ヤヨイさんは、ここまで来たんだ。他に何か言っていたんだろう?」
僕が問い詰めると速水さんは壁の書架を見ながら言った。
「最近の高校生って、こんな本を読むのねえ・・そうも言っていたわね」
速水さんが言うには、ヤヨイは部室にずかずかと入り込み、本棚に並ぶ文庫本を眺めたり、奥の窓から外の景色を眺めたりした後、僕の座っている席に座ったらしい。
ヤヨイはここに座ると、「高校の学園祭なんて、つまんないわねえ」と愚痴った。
なんだか気分が悪い。それこそ、ヤヨイの尻の温もりが残っていそうだ。
だがヤヨイが言ったのはそれだけではないはずだ。
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