第318話 合同読書会②-2
誰かが部室の中を覗きいては、すぐに出て行く。その単調な繰り返しの中に、遠い記憶を呼び起こされる顔があった。
それは忘れもしない顔だ。
・・石山純子。
石山純子は、部室を一目見るなり、きびすを返し髪を揺らしながら去っていった。その瞬間がスローモーションのように僕の記憶に刻み込まれた。
気づいた時には、立ち去るところだったので確信はないが、
あの横顔、あの雰囲気は、記憶の中の彼女と合致する。
中学時代の三つ編みと違い、セミロングとなった髪。伸びた背丈。そして服装は神戸高校の制服だ。
初めて会った時、廊下で一人で泣いていた時の彼女とはほど遠いが、間違いなく石山純子だ。
その後、二度ほど見かけたが、その度に中学の時のイメージとは、どんどんかけ離れていった。
彼女は僕に気づいて出ていったのか? それとも石山純子は文学に興味があったのか。そして、彼女は一人だったのか、連れ合いはいなかったのか?
彼女に手ひどく扱われ、みっともない告白の晒しものにされても、その顔を見れば、条件反射的に心臓の鼓動が激しくなる。サラッと流してしまうことができない。
我がサークルの部員たちは彼女には気づかないだろう。誰も石山純子の顔を知らない。もし知っている人間がいるとしたら、加藤だけだが、加藤はこの場にいない。
様々な思考が駆け巡り、感情の乱れる中、
「鈴木くん!」と速水部長の大きな声が飛んできた。
ハッとした僕は「ご、ごめん。聞いていなかった。どのシーンについての感想だったんだ?」と慌てて訊いた。
「まだ何も言っていないわ」速水さんは言って、
「鈴木くんの心が、どこかに飛んじゃったように見えたのよ。それとも見学者の中に気になる人でもいたのかしら?」と冷ややかに微笑んだ。
速水さん一流のジョークだが、的を射過ぎている。速水さんは、水沢さんのような能力とは別に心を見透かすようなところがあるから怖い。
その後も様々な感想が飛び交った。
銀行員のような森山が、作者のフィッツジェラルドの栄光と破滅の人生を得意げに話し出すと、和田くんが、「読書会は、この作品について話す場であって、作者の人生は関係ないよ」と力強く反論したりしたが、
小清水さんに、
「和田くん、作者の人生は、作品とは関係ないと言えばそうなんですけど、その小説にとっては深い関わりがある場合があるんです」と言われたりした。
小清水さんが言うには、代表作の「ギャツビー」やこの「冬の夢」は作者の人生そのものだということだ。和田くんはへこむかと思われたが、「もっと勉強しないといけないな」と小さく言った。
そして、「冬の夢」の最後のシーンとなった。
主人公がジュディの変貌した姿を第三者から聞き、嘆くシーンだ。
「・・ずっと昔、僕の中には何かがあった。でもそれは消えてしまった。それはどこかに消え去った。僕には泣くこともできない。思いを寄せることもできない。それはもう二度と再び戻ってこないものなのだ」
これは、誰もが持つかもしれない読者の喪失感を呼び起こすセリフだ。
だが、どんな場合でも作中に共感できない人間がいる。
「彼は、いつまでもその人のことを思っているわけだね」と森山が言った。
「非合理的だね」と言ったのは絶え間ない欠伸をする阿部。
もしかすると偏差値が高くなると、余分な感情は無くなってしまうのだろうか。
「非合理的って・・何だよ、その感想は!」
思わず僕は叫んでしまった。皆が一斉に僕を見るのが分かった。
「非合理的だとか、言うけど、文学の主人公なんて、皆そうじゃないのか?」
僕は堰を切ったようにしゃべりだした。感情の高ぶりを抑えられない。
「例えば、梶井基次郎の『檸檬』の主人公なんて、本屋に檸檬を置いて帰るんだ。 それを非合理的だと言ったら、何のために本を読んでいるのか分からないし、それについて皆で読書会をする意味もないじゃないか!」
青山先輩が「ふむふむ」と頷いている。小清水さんと和田くんが僕を見ているのが分かる。
「読者は、主人公の心情をいかに汲み取り、共感するかどうかなんだよ!」
僕はそう言った後、
「いつまでも、消えてしまった彼女にこだわって何が悪いんだ!」と大きく言った。
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