第316話 合同読書会①-3

 僕と同じように、主人公の喪失感を読者が感じることが出来るかどうかで作品の評価も大きく分かれることだろう。

 司会者の部長があらすじをざっと説明した後、部員たちが感想を順番に述べる。


 読書会が始まると、その不手際が早くも露見した。

 皆の前にある「冬の夢」が所収されている「フィッツジェラルド短編集」がそれぞれ訳者の違う本だった。

 我がサークルの場合は、前回もやっているので、「野崎孝」の訳で揃えている。

 だが、神戸高校の本は違った。野崎孝訳も含めて三種もある。

 部長の二人は気づいたようだが、それほど問題とは思っていないらしく、

 お堅い銀行員のような森山が、

「ストーリーが分かれば特に問題はないんじゃないかな」と言った。

 欠伸男の阿部も「それが何か問題が?」と惚けた顔で言った。

 確かにそうかもしれない。話の筋が分かればそれでいいという意見もあるだろう。

 だが、表現次第で受け取り側の心情が変わってしまうことがある。以前、小清水さんにそう聞いた。僕は小清水さんの意見を尊重したい。

 僕は、抗議の意味も含めて、「ストーリーだけだったら味気ないし、表現の工夫とか読み取れないんじゃないのかな?」と言った。

 僕に同調したのか、茶髪の榊原さんがカールされた髪を指でくるくる回しながら、

「そうよねえ、ストーリーだけだったら、誰かが書いたあらすじでも読んでればいいんじゃないの?」と森山の言葉を否定した。

 青山先輩も「私も鈴木くんと榊原さんに同意見だな。ストーリーだけだったら、私は小説を読むより、映画でも見るよ」と言った。


 らちの明かない議論に、小清水さんがたまりかねたのか、

「翻訳は、作品にとって重要なんです。筋が分かればいいと言うものではないと私は思います」と声を上げた。少し感情的な声だ。

 すると、

「君・・小清水さんと言ったっけ、小清水さんは、翻訳じゃなくて、原文を読んだことはあるの?」そう言ったのは銀行員もどきの森山だ。意地悪な言い方だ。

 僕は、小清水さんが原書を読んではいないことを知っている。

 小清水さんは、いつかこう言っていた。

「原書は、難しくて読めないけど、それぞれの翻訳から、原文に書かれていることを想像するのが面白いの」

 なるほど、と僕は思った。それに、原文を読んだとしても、その文章に含まれる微妙な意味合いを日本人の我々が汲み取るのは至難の技だ。


 小清水さんは、申し訳なさそうに、「原文は読んでいません。翻訳しか知らないです」と小さく言った。

 森山は小さく「原文に目を通していないのに、偉そうに・・」と言った。

 その横の欠伸連発の阿部の標的は小清水さんらしく、さっきから小清水さんの方ばかり見ている。それも露骨な視線だ。小清水さんは気づいているらしく、更に小さくなっている。

 そんな小清水さんのピンチに颯爽と騎士のように登場したのは和田くんだった。

「原文を読んだとか、読んでいないとか、この本を読み解くのに何か関係があるって言うんですか!」

 和田くんの発言で不穏な雰囲気が更に険悪なムードとなった。

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