第285話 裏庭の光景①

◆裏庭の光景


 体育の授業の後、皆の視線が変わった気がした。男子ばかりでなく、女子の目もそう映るのは、気のせいではないだろう。おそらく一部の男子が女子生徒に広めたのだろう。

 僕が前田を突き飛ばした・・そんなところだろう。


 授業の開始前・・前の座席の速水さんが横顔のまま、

「鈴木くん、噂になっているわよ」といつもの冷ややかな声で言った。

 僕が小さな声で「なんて言われているんだ?」と訊ねると、

「女の子の話題ですぐにムキになる・・って」と言って意味ありげに微笑んだ。

 影が薄いと思っていた人間が、表舞台に出て来たことで、話題にしているんだろう。

 実に不毛な話題だ。

「あまり、嬉しくない噂だな」

「あら、影が薄いって言われるより、よほどいいと思うのだけれど」

「あまり変なことで目立ちたくない」と僕はキッパリと返した。

 すると、速水さんは顔を窓側、つまり加藤の席を見ながら、

「でも、その方が、薄い鈴木くんより女の子にはモテると思うわよ」と言った。

 僕が「そ、そうなのか」と言葉を詰まらせていると、

 速水さんは、加藤の席から更に後ろを見やって、

「あら、鈴木くんの想い焦がれる水沢さんも、鈴木くんのことを見直して、さっきからずっと見ているわよ」と言った。

 僕が、「本当なのか?」と言わんばかりに水沢純子の方に目をやろうとすると、先に横の席の加藤と目が合った。

「鈴木?・・」加藤がキョトンとした顔をしていると、

 速水沙織が、

「ウソよ・・」と淡々と言った。

 速水さん特有の笑えない冗談だ。そのせいで、加藤に不審な顔をされてしまった。


 速水さんと話を交わしながら僕はあることを思っていた。

 クラスでの存在が目立つものになれば、透明化はなくなるのだろうか、と。

 又は、消えてしまいたい、と思う気持ちが無くなってしまうと、もう自主透明化もできなくなるではないか、とも思った。

 本来なら、嬉しいと思うはずが、妙な寂しさが沸く。それほど、僕はこの透明化という現象に慣れ切ってしまっているのだろうか。


 放課後、部室に向かって旧校舎の階段を上がると、部室の方から、速水さんが向かってきた。

「あら、鈴木くん。こんな場所で奇遇ね・・待っていたわ」

 意味が分からない。どっちなんだ?

「何か用なのか?」

 廊下のど真ん中で訊ねると。

「今度は本当に、鈴木くんの想い人、恋い焦がれる水沢さんのお話よ」と意味ありげに微笑んだ。

「妙に引っかかる言い方だな」

「ええ、すごく引っ掛かっているわ」

 その変な言葉は無視して、「早く話してくれ」と促すと、

「水沢さんが、クラスの女子たちに絡まれているわ」と言った。

「えっ、それって、今の話なのか?」

 今だったら、もっと早く話してくれよ!

「何か揉めているようだったから、鈴木くんに早く教えてあげようと思って、さっきから廊下を行ったり来たりしていたのよ」速水さんは恩着せがましそうに言って、

「水沢さんに詰め寄っていたのは、クラスの中でも性質の悪い浜田さんと安藤さんよ」と続けた。

「場所は?」と訊ねると、速水さんは、「すぐそこ・・旧校舎の裏庭よ」と言った。


「速水部長、ごめん! 今日の沈黙読書会は少し遅れる」

 僕が了承を求めると、「別にかまわないわ。どうせ、沈黙しているだけだもの」と言って、

「やっぱり、鈴木くんは、彼女に想い焦がれているのね」と小さく言った。

「いや、そんな気持ちで言っているんじゃないんだ」

 気が急く僕はこう答えた。

「水沢さんは友達同士じゃなくても、僕の知り合いだ。水沢さんは、自分のことを僕に話してくれた。そんな人が不良に囲まれてるって聞いたら、やっぱり放ってはおけないんだ。きっと何か事情があるはずだ」

 速水沙織をキリヤマの暴力から救うのとは訳が違うかもしれない。ただの条件反射的な行動かもしれない。

 だが、そんなことはどうでいい。体が勝手に動くんだ。

 心がそうしたがっているんだ。

「鈴木くんらしいわね」速水さんは、そう言って微笑んだ。その笑みは、僕の心を後押しするように見えた。

 その言葉を最後に僕は階段を降りた。

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