第277話 逃げる方法②

「人に好き、と言われたりすることと、助けることは関係ない! それに人の家のことだ。僕とは関係がない」

 ああ言えばこう言う。その繰り返しだ。

 更に速水さんは薄らと微笑み、

「鈴木くんが、私のことが好きだから、助ける・・そう言ってくれることを期待したのに。僅かでもそう思った私がバカだったわ」と言った。

 一瞬、ドキッとしたが、すぐにそのセリフは速水さん一流の冗句だと理解した。


 それは冗談だろうが、僕は心のどこかで思っていた。

 僕は水沢さんよりも速水沙織を選んでいる。

 それは、サークルメンバーとしてなのか、それとも、同じ秘密を持つ者同士としてなのか?


 お互い言葉に詰まると、速水沙織は穏やかな表情に変わった。

 そして、「鈴木くんが私のことを心配してくれるのは嬉しいわ」と言って、

「でも、私は大丈夫よ」と微笑んだ。

「あの暴力男のキリヤマが家にいるのに、それでも大丈夫なのか?」僕は強く訊いた。

「ええ、あの男がいても大丈夫よ」

 僕はキリヤマに二度会っている。会ってもいるし、速水さんから話も聞いているし、速水さんがキリヤマから受けた暴力による体の傷も見た。

 そのような暴力を振るう男と同じ屋根の下にいて、無事に過ごせるわけがない。

「本当なのか?」僕は念を押した。

「本当よ」

「僕を心配させないでおこうと思って、言っているんだろ?」

「違うわ」速水さんはそう否定して、「鈴木くんを安心させようなんて、これっぽっちも思っていないわ」といつもの調子で言った。


「だったら、教えてくれないか? あのキリヤマと同居しているのに、大丈夫だと言うその理由を教えてくれ」

 すると、

「・・姉よ」

 速水さんは、そう答えた。

「キリヤマの連れ子の義姉のことか?」

「あら、よく憶えていたわね、そんな話を」

「そりゃ憶えているよ。速水邸で速水さんから聞いたし、つい最近、池永先生からも聞いた」と僕は言った。

「おしゃべり先生ね」と速水さんは微笑み、「確かに、義姉と買い物をしているところを、池永先生に見られたわね」と言った。

「見られた・・って、見られたらまずいことでもあるのか?」

「あまり、他人には知られたくないわね」と速水さんは小さく言った。


「そのお義姉さんの存在が、キリヤマと同居していても大丈夫だということと、どういう関係があるんだよ?」

 僕が問うと、速水沙織はこう言った。

「私はね、義理の姉を上手く利用することにしたのよ」

「お義姉さんを利用?」

「ええ、利用よ」

 そう答えて、速水さんは椅子を後ろにずらし、横を向いた。僕と向き合って説明するよりその方が楽であるかのように見えた。

 速水さんはその目を窓の外にやって夕暮れの風景を見た後、今度は部室の壁の本棚を見ながら、

「キリヤマだって、一日中、家にいるわけではないわ」と話を切り出した。

「そもそも、あの男は、働いているのか?」と僕は訊いた。

「如何わしい事務所に出入りしているようね」と速水さんは答えた。

 ろくな事務所じゃない気がする。


「夜もいないことが多いわ」速水さんはそう言って、「だから、キリヤマがいない時間は私は難を逃れることができる。そういうことよ」と続けた。

「お母さんは、どうなんだ?」

「母はキリヤマの言いなりよ。キリヤマが私を叩けと言えば、そうする。そんな女に成り下がっているわ」

 酷い・・

「もしかして、速水さんは母親にぶたれたことがあるのか?」

「今はないわ。キリヤマもそんな命令はしていないし、そうすることよって、キリヤマにいいことは何一つないのよ」

「今、『今はないわ』と言ったけど、昔はあった、ということなんだな」

 僕が訊くと速水さんは「ええ、あるわ」と言って、

「中学生の時よ。『お義父さんの言うことを聞きなさい!』・・そう言って、まるで聞き分けのない子供を躾けるように叩かれたわ」

 更に酷い話だ。

 以前見た速水さんの体の傷の中には、母親から受けた傷もあったのかもしれない。

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