第262話 奥の席より①

◆奥の席より


 小西は、「ちょろい。誘いやすい・・だましやすい、とか言ってたって聞いたぞ」と僕の心を追い詰めるように言った。

 こんな話を聞くんじゃなかった。そもそも、この二人と喫茶店に入ったことが間違いだったのだ。

 自分たちの憧れの対象が崩れていくのが楽しいのか、小西は更に「この秋の模試の結果も悪いって聞いたぜ」と言った。

 それも、そんなはずはない。

 石山純子は男子に好意をもたれるのも一番だったが、成績も一番だった。

 中学三年の時、数学担当の厳しい先生が言った。

「この問題を解いたのは石山だけだったぞ。他には誰もいない」

 あの時の言葉を僕は忘れない。

 石山純子は、誰も解けない問題を解いたただ一人の子なんだ。

 そう、彼女は完璧だった。


「堕ちた偶像っていうやつだな」岡部が感慨深く言った後、

 小西が、「鈴木、おまえ、すごい顔をしてるぞ」と言った。

 その時、僕がどんな顔をしていたのか知らないが、全身の力が抜けたように感じていた。

 いったい、僕はこれまで何を見ていたのだ。

 自分の中で、石山純子という女性を創り上げていたのではなかったのか。

 それまで身を乗り出して話を聞いていた僕は、どかっとシートにもたれ込んだ。 もちろん、透明化などしなかった。


 僕の中で石山純子の偶像が音を立て崩れるのと同時に、

 奥の席の女子高生の一人が急に立ち上がった。髪がショートの子だ。

 その女の子はツカツカと勢いよく僕らの席に歩み寄ってきた。そして、僕を見下ろし、

「あれえっ、やっぱり、鈴木じゃん」と言った。

「加藤・・」

 僕は加藤を見上げた。

 大きな瞳がくりくりと動いている。髪を伸ばしていると言っていたが、またショートに戻っている。

「だと思ったんだよねえ。聞いたことのある声だったし、なんか激しくしゃべってたからさ」

 恥ずかしい・・どこまでの話が聞こえていたのだろうか。水着の話から石山純子の話まで聞こえていたのか? どっちの話も女の子に聞かれるのはまずい。


 岡部は加藤を見上げながら、僕に、

「プールで会った子だよな?」と小さく訊いた。

 プールの時はこんがりと陽に焼けていたが、今はすっかり白い顔だ。それで分からないのだろう。

 僕が「そうだよ。加藤さんだ」と紹介した。

「お二人さん、プールで会った人たちだよね」加藤が快活な声で言った。

 二人は憶えてもらっていて嬉しかったのか、「俺、小西です」「岡部です」と続けて大きな声で名乗った。

 加藤は微笑み、「プールでも一緒にいたし、鈴木と仲がいいんだね」と言った。

「加藤も、友達とお茶をしてたのか?」と僕が訊ねると、

「部活の子らと駄弁ってたんだよ。この店、よく使ってるんだよ」と言って、「鈴木とも来たことあったよね」と続け、ニコリと微笑んだ。

 その会話を聞いていた岡部が、「おい、やっぱり、鈴木の彼女だろ?」と小さく言った。

 加藤はその言葉を拾い上げ、笑いながら「ないない。ありえない」と大きく手を振って、

「だって、私、鈴木に振られたんだもん」と言った。


 鈴木に振られた・・小西と岡部はその言葉に大きく反応した。

「鈴木! おまえ、なんという勿体ないことを! 天罰が下るぞ」

 岡部が非難するように言った。

 続けて小西が、「さっき、誰ともつき合っていない、って言っていたよな!」と言って、

「こんな可愛い加藤さんを振っておいて、中学ん時の女の子の話をしてたのかよ!」と、石山純子の話を持ち出した。

 岡部が言ったことで、加藤が思い出したように、

「鈴木が中学だった時に好きだった子って、図書館のラウンジで見かけた子のこと?」と訊ねた。

 あの時、加藤はラウンジで、

「もしかして、鈴木、あの子のことが好きだったの?」と囁くように訊いた後、

「鈴木って、尾を引くタイプなんだね」と言って、「けれど、そこがまた鈴木らしい」と笑っていた。

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