第249話 檸檬が見える人と見えない人①

◆檸檬が見える人と見えない人


 それから、文芸サークル活動は何度か沈黙読書会を繰り返し、その後、土曜日恒例の読書会が始まった。

 その課題図書は、ハプニングの続いた夏の合宿で保留となった「檸檬」と「雪国」だ。

「檸檬」は青山先輩の司会。「雪国」は僕が担当だ。

 読書会は一般の参加も可能だ。

 その部会者である加藤は、僕と本屋さんに行った際に、本を二冊とも買ったが、今回は参加しなかった。声をかけたが、「この次、出るよ」と言って断られた。


 速水部長がいつも座っている上座に青山先輩が進行役として座っている。夕刻の光が後光のように見える。僅かな風に揺れる白いカーテンが更にその美しさを際立たせている。

 そして、僕の向かいにいる速水さんの表情を見る限りでは、今の生活を苦にしている様子は感じられない。少しは改善されていると思いたいが・・

 速水さんの横には小清水さん。僕の隣に和田くん。つまり、僕と速水さん。和田くんと小清水さんが向い合わせになっている。


 梶井基次郎の「檸檬」は肺病病みの主人公が、本屋さんに積み上げられた本の上に檸檬を置いて店を出るという数ページの短編小説だ。

 短い中に、作者の見る風景の美が盛り込まれているのが印象的だ。

 主人公は、檸檬を爆弾に見立てて「本屋が爆発すれば面白いのに」と思う。

「そうすれば、あの気詰まりな本屋も木端微塵だ」

 そんな清々しい思いで主人公は本屋を出ていく。それだけの小説だ。

 逆に短いので、読者の心が主人公に投射できる。それがこの本の魅力だろう。


 感想のフリートークで、まず和田くんが

「この主人公、僕は好きになれないよ」と言った。

「あら、どうしてなのかしら?」すぐに速水部長が眼鏡をくいと上げ訊く。

「だって、本屋さんの平積みの本の上に、レモンなんて置いて帰ったら、店員さんが困るだろうし、その下の本を買おうとする人が困るじゃないか」

 和田くん、すごく現実的な観点から見るんだな。だが、そう言う僕も最初読んだ時はそう思ったから和田くんのことは言えない。

 速水さんが「はあっ」と息を吐き「これは、そういう話ではないのよ」と言った。

 そんな二人の様子を見た小清水さんが、

「今と昔では、清潔の概念や価値基準が異なるのではないでしょうか?」小清水さんが丁寧に言う。すると、和田くんが、少々ドギマギしながら、

「そうだよな、確かに今の感覚とは違うよな。僕も主人公の心情が理解できるような気がするよ」

 和田くんは、自分の意見が小清水さんによってすぐに変わるんだな。


 僕は考える。

 本屋さんにレモンを置いて立ち去る主人公の気持ちを・・

 だが、それはあくまでも主人公の気持ちの増幅であって、そこに第三者はいない。

 僕の感じたことを代弁するように、青山先輩が、

「私はね、人によって、レモンの比重、重さが違うと思うのだよ」と言った。

 すると、和田くんが「レモンって、重さが人それぞれなんですか?」と大きく言った。

 また小清水さんに突っ込まれそうだ。青山先輩が咳払いをすると、案の定、小清水さんが、

「たぶん、青山先輩が言われているのは、人によって物事の感じ方が違う。そういうことだと思います」

 なるほど、と思っていると、

「レモンは主人公の自己満足の象徴ということかしら?」と速水部長が言った。


 主人公にとっては重かったレモンでも、第三者や、本屋の店員さんには見向きもされず、捨てられるしかない物だったのかもしれない。

 こういうことだ。

 つまり、物事は、それを観察する人によって異なって見える。


 すると速水さんが、薄らと笑みを浮かべ、

「ある人によっては見えているものが、また違う人によっては見えなかったりする・・ということね」と言って「それは人間とて、同じことよね」と続けた。

「そこにいるのに、誰からも認めてもらえない・・」

「おいっ!」 

 速水さん! また話を透明化にもっていこうとしてるだろ。丸わかりだ。

 速水さんは僕の顔を悪戯っぽく見て微笑んだ。

 彼女の様子を見る限りでは、家庭内で何かの問題があるようにはとても見えない。何事もない、と祈りたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る