第206話 こんな時に・・①

◆こんな時に・・


 映画が終わっても、まだ夏の昼間だ。アーケードの中とはいえ、暑い。

「加藤、お茶でも飲んでいこうか」

 そんなお決まりの誘いしか出来ない僕に加藤は快く、「そうだね」と応えた。

 だが、現実は映画よりも遥かに厳しいものらしい。

 そして、様々な試練を与える。


 三宮のセンター街を並んで歩く。よく歩く道なのに、時間が長く感じられる。

「どこの喫茶店でもかまわないよな?」

「どこでもいいよ。鈴木の行きたい所で」と加藤は言った。

 そんな加藤の言葉で、僕は改めて気づいたことがある。

 今日の加藤は、圧倒的に口数が少ない。

 どうしてなんだ?

 相手は、この僕だぞ。この存在感のない鈴木道雄だ。

 教室の中で目立たない僕は、活発で健康的なスポーツ女子の加藤にとって、目に留まらない存在のはずだ。

 そんな加藤に、いつも「鈴木、鈴木」と呼び捨てられ、

 ふいに喫茶店に呼び出されたかと思うと、あの佐藤に彼女がいないかどうかを訊かれ、

 水沢さんと共に水族館にダブルデートすることになった。そんな仲だ。

 あの日、佐藤にないがしろにされた加藤は泣いていた。

 そんな加藤が、今日は口数が少ない。

 あの水族館の時でさえ、加藤はみんなとしゃべっていた。


 僕は思う。

 加藤が口数が少ないのは、あまりしゃべらないのは、僕のせいだ。

 その理由は、

 今回のデートを僕の方から申し込んだとはいえ、僕は加藤が好きでもなんでもないからだ。ただ僕は、石山純子に見栄を張りたい一心で、衝動的に「デートしよう」と言い出したに過ぎない。

 だったら僕は結果的に、

 佐藤と同じことをしているんじゃないだろうか?

 佐藤は自分に告白してきた加藤の気持ちを知りながら、加藤の前で、速水さんや水沢さんの話ばかりをしていたらしい。

 僕は、そんな佐藤のように、純粋な加藤の心をもて遊び、傷つけているだけなのではないだろうか。

 そして、加藤はそのことに気づいている。

 僕が加藤にその気がないことも、デートを衝動的に申し込んだことも知っている。


「なあ、加藤。今日はいつもより大人しいよな」

 僕はそう訊ねた。

 すると、加藤は「えっ、そうかな」と言って、しばらく間を置き、

「いつもと一緒だけど」と答えた。

 そんな加藤に、「そうかな? さっきの映画館だって、全然、加藤は話さなかったし」と言いかけると、

 加藤は笑って「映画館の中で、話したりするものじゃないじゃん」と言った。

 それもそうだな。僕の考えすぎか。

 少し気を取り直し、センター街を通り過ぎていく人の波を見ていると、

 加藤はいきなり立ち止まり、

「ね、鈴木」と言って僕の腕をくいと引いた。

「な、なんだ?」

「先に、本屋さんに行かない。喫茶店に寄る前に」

「本屋? 今、デート中なんじゃないのか?」

 僕はそう言うと、加藤は「ぷっ」と吹き出し、「デート中に本屋さんに行ったら、ダメっていう決まりでもあるの?」と返した。

「それもそうだな」


 本屋は目の前にある。アーケードのあるセンター街のど真ん中にある三宮で一番巨大な大型書店。つい先日、青山先輩と共に訪れたばかりだ。

 本屋に足を運びながら、加藤は、「やっぱり、図書館で借りるんじゃ、読まないんだよね」と妹のナミのような口調で言った。

 僕が「出費すると、どうしても読まなければと思うからな」と言うと、加藤は「そうそう、そうだよねぇ」と同調して笑った。


 文庫が所狭しと並ぶ書架の間を歩いていると、

「ねえ、文芸部の今度の読書会の本って何?」と加藤は訊ねた。

「読書会って、本気で読書会に参加する気なのか?」

 僕が訊ねると、

「そのつもりなんだけど」加藤はあっさりと言った。

 加藤が読書会に参加するって・・面白そうな、迷惑のような、複雑な気持ちだ。

 だが、陸上に挫折している加藤の気持ちは、大事にしてあげなければいけない。

「次の読書会用の本なら、新潮文庫のコーナーにあるよ。そんなに高くない」


 秋の読書会は、合宿で出来なかった梶井基次郎の「檸檬」と川端康成の「雪国」だ。

 加藤は書架から薄い文庫本二冊を手にすると、

「自分で買うから」と言って、買う気満々でレジに向かった。

 そして、本を買って戻ってくるのかと思っていたら、

「ねえ、鈴木!」と、加藤はレジから大きな声で僕を呼んだ。

 なんだよ、一体? と僕が寄ると、

「文庫本にカバーって、かけるものなの?」と加藤は言った。店員に訊かれて迷っているようだ。

 なんだよ、それ。加藤は本を買うのが初めてなのかよ。

「それは、加藤が決めるものだ」と僕はすかさず返した。

 すると、加藤は「鈴木が決めてよ」と甘えるように言うので、「加藤は、読書初心者だから、付けてもらえ」と言った。

 僕がそう言うと加藤は店員に「カバー、付けてください」と言った。

 レジから戻ってくると加藤は、

「読書初心者って、面白い言葉だよねぇ」と笑顔で言った。「なんかいい感じ」

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