第175話 君には僕が見えない
◆君には僕が見えない
しばらくして、小清水さんは話し出した。
「私ね・・鈴木くんのことがずっと好きだった」小清水さんはそう言って「好きな気持ちなら誰にも負けないくらい・・」
その後、小清水さんは言葉を出せなくなった。泣いていたからだ。
もし、こんな状況じゃなかったら、
僕の心は揺れ動いていたかもしれない。
けれど今は、僕は心を動かしてはならない。
今、心を動かさなければならないのは、小清水さんの方だ。
そう思った時、小清水さんの体がガクンと揺れた。
同時に小清水さんは「ああっ」と小さな叫び声を上げた。
彼女の心の糸が切れたような声だった。線が細く儚げで、すぐに消えてしまいそうな声だった。
小清水さんは顔を上げた。その表情は見たことのない少女だった。ただ、その顔は先ほどまでの小清水さんが泣きはらした顔の延長にあった。
小清水さんの別人格だ。
「だ、誰? あなたは・・」
あどけない表情で、少女は僕に訊ねた。
それは信じられないような光景だった。先ほどまでの小清水さんが消え去り、別の少女の人格が姿を現した。
しかも、いつもの小清水さんより、更に大人しげな少女の口調だ。
いつか見かけた別人格の小清水さんとは違う人格だ。
「僕は、鈴木道雄・・文芸サークルのメンバーだ。小清水沙希さんと同じだ」
僕がそう説明すると、
「あなたが、鈴木くんね、知っているわ・・」と言った。
「どうして、知ってるんだ?」
僕が訊ねると、
「だって、沙希がいつも、心の中で思っている人だもの」と答え、僕の顔をまじまじと見つめ「ふーん。こんな顔をしてるんだね」と感想を述べた。
小清水さん、ごめん。
まるで小清水さんの心の中を覗き込んでいるようで申し訳ない気がする。
「君の名前を教えてくれないか」
「私・・ミズキっていうの」
少女は自分の名を「ミズキ」と言った。
「じゃ、ミズキさんに訊くけど、小清水さんの体の中には何人の人格がいるの?」
少女は、しばらく考えるような表情をした後、
「わからないわ・・」と答えた。本当にわからないようだ。
そっか、
わかったよ、もう君に尋ねることはそんなにない。
本当はね、僕はミズキさんと話したいわけじゃないんだ。
君を呼び出したのには別の理由があるんだ。こうして初めて会ったのにごめんね。
今しかない。
自発的透明化だ! 何度かしているので慣れている。
僕は念じた。自己暗示だ。
影のうすい僕は、透明になるしか能のない男だ。睡魔と闘う意識とリンクさせる。
全てを同調させる。腕を見る。足元を見る。
ゼリー状だ。透明化・・成功だ!
目の前で少女は驚きの表情を見せた。
「あわわっ・・ひ、人が消えた!」
少女は仰け反るような姿勢でそう言った。
少女は辺りを見渡した。けれど、僕は少女の真ん前に座っている。
「僕はここにいるよ」僕は少女に向かって言った。
「ひっ」少女は目を見開いた。
驚かしてごめん。
こうするしか、僕には方法が見つからないんだ。
少女は声を震わせ「幽霊? 透明?・・」とうわ言のように言った。
そんな彼女に僕は、
「幽霊じゃないんだ・・僕は、透明になることができる人間なんだ」と言った。
少女は、「そんなのありえないわ」と言ったが、目の前の現実に目を背けるわけにはいかない。
「そんなの、信じられない」
少女の目はあらぬ方向に向いている。
「そう言われても、実際にそうなんだ」
そう言って僕は少女の方に歩み寄り、肩に触れた。
「ひいっ」少女は振り返ったが誰もいないのに気づき、また小さな悲鳴を上げた。
「君には僕が見えないんだよ」
僕が繰り返して言うと、少女は俯き、肩をガタガタと震わせ出した。
そして、がばっと顔を上げると、
「誰だっ、どこにいるっ」
そう大きく言ったのは、小清水さんの更なる別人格・・さっきのミズキとは異なる少女だった。
おそらく、彼女こそ僕が目撃した少女だろう。
顔が険しく、目つきが鋭い。表情が全く違う。
ミズキとは両極の人格のように見える。
「おいっ、どこにいるんだよ、透明人間!」
そう言って彼女は立ち上がり、辺りを見回し、
「ミズキが怯えてるじゃないかっ」と叫んだ。
そして、「どこかに隠れてるんだろ?」と言った。
どうやら、彼女は僕の透明化を信じていないらしい。
それにしても、三つ編みがアンバランスだ。
内面が変わるだけで、人のイメージはこうも変わるものなのか。
でも、一つ分かったことがある。この少女はさっきのミズキのことを知っている。別人格は互いのことを認識しているのか? 当の小清水さんだけが知らない・・そう推測でききる。
僕は、彼女の様子を伺いながら壁の時計を見る。時間が迫っている。
まもなく透明化が終了する。
今回、透明化した理由は、小清水さんの別人格にショックを与えるためだ。
ショックを続けるには、
・・再透明化するしかない。速水さんに教えてもらった再透明化の実行だ。
元の姿に戻る前に、また透明になる。それが再透明化だ。
眠いけど、自己を保つ・・睡魔と闘う時の思念を体に取り込む。
20分経過したが、体はまだゼリー状・・透明のままだ。
再透明化が成功した時、彼女は、
「誰もいないんだったら。フジタのところにでも遊びに行くか・・」と呟いた。
藤田は隣のクラスの男子生徒だ。僕は二人で歩いているのを見ている。
そして、彼女こそが、
須磨海岸であのキリヤマと遭遇した時、僕が突き飛ばされた様子を見て、キリヤマに向かっていこうとした少女だ。
彼女は小清水さんの心と同調していた。
彼女なら・・彼女の心に呼びかければ、小清水さんをこちらに戻せる。
僕は彼女に近づき、
「君の名前は何ていうんだ?」と言った。
その瞬間、彼女は「わっ」と大きな声を出し、
「なっ、な、なんだよ・・誰だよ?」と声を震えわせながら言った。
「君の名前は?」と僕は強く繰り返した。
彼女は耳を両手で塞ぎながら「ヒカルだよっ」と言った。
ヒカル・・それが、ミズキとは異なる小清水さんのもう一人の別人格の名前。
「ヒカルには僕が見えないんだろ?」
そんな僕の声に驚きを隠せないヒカルは、「見えないよ」と答えた。
そして、「お、おまえ・・人間なのか?」と言った。「それとも幽霊か?」
「僕は人間だし、幽霊でもない・・つまり、透明人間というやつだ」
僕がそう言うと、ヒカルは「信じられないけど・・信じるしかないみたいだな」と小さく言った。
ヒカルが少し落ち着くのを見て、どこでもいいから座るように促した。なんとかヒカルを座らせると、僕も彼女の正面に腰かけた。
そして、「僕は鈴木道雄だ」と名乗った。
「あんたが、鈴木か・・そう言われても顔が見えないんだったら紹介されても分からないよ」
ヒカルもミズキと同じく、小清水さんの心を通じて僕を知っているようだ。
「でもね・・この透明化は、僕が透明人間になっても、見える人と見えない人がいるんだ。またある人には半透明に見える・・僕にはどんな人には見えたり、見えないのかがわからない」
そう僕が言うと、
「私には見えないよ・・」ヒカルはそう答えた。
「だろうな・・君には見えないはずだ」と僕は言った。
そして、僕はこう言葉を続けた。
「けどね、君の、ヒカルの奥にいる・・その女の子は、僕の姿が見えるんだ」
「沙希のことか?」ヒカルは小清水さんの名前を出した。
「そう・・沙希さんなら、僕が透明でも見える・・今は、半透明にしか見えないけれど、それでも他の見えない人とは全く違う」
それがどうしてなのか? 僕にはまだ分からないけれど、小清水さんが他の人とは違うことだけは確かだ。
それが僕に対する思いなのか、青山先輩の専属運転手の石坂さんと同じようなものなのかはわからない。
しかし・・
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