第168話 初老の紳士・石坂氏の過去

「石坂、どういうことだ? 私には話がよく見えてこないのだが・・」

 怒り口調、男子口調で青山先輩は石坂さんの話を詰めていく。

 青山先輩に追い込まれたような石坂さんは、

「誰も私の姿に気づかないのですよ」と言った。

「石をぶつけられた、ということは、相手に見えているじゃないか」

「そんな時にだけ、皆には私の姿が見えるのです」

 そういうことか。

「私は、とにかく世に秀でようと、がむしゃらに勉強しました・・しかし、試験で一番になっても誰も見てくれない。懸命に走って、競争で一番になっても私のことを見ない。そんな時には誰も私のことを認めないのです」

「石坂は皆に無視されていたのか?」

「自分たちが苛めている対象が、自分より成績や運動能力が上回ると、そうなるのでしょうね・・でも、教室や運動場で優秀な位置にいても、学校の帰りには・・」

「そんな時には、苛めてる奴には見えるのだな」と青山先輩が言った。

「はい。そして、私は思いました・・どうして、石を投げつけられる時にだけ、私の姿は皆に見えるのだ・・と思いました」

 少し大きな声で石坂さんは言った。

 ずいぶんと回りくどい話だったが、石坂さんの言いたいことがよくわかった。


「なあ、石坂。投げられた石は、痛かったか?」青山先輩がそう尋ねると、

「ええ、とても。特に、顔は・・」と石坂さんは答えた。「特に大きい石は本当に痛かったですね」と付け足して笑った。

「そうか」と青山先輩は小さく言った。「そんな痛みは決して消えることはないな」


「そんな経験をした私の目に、鈴木さまのお姿が・・なぜか、現実ではなく、夢のような姿に見えるのです。そして、なぜか私には、そんな姿が羨ましく思えるのです」

 僕の姿が夢のような? 羨ましい?

 薄く透けるように見えているのだろうか。幽霊みたいに。


 石坂さんがそう言うと、また青山先輩が僕を凝視する。

「鈴木くん、君は本当にそこにいるのか?」

 青山先輩はそんな不思議な問いかけをした。

「ええ、いますよ」

 思い切って声に出して答えた。

声を出してもいい・・そう思った。この人達なら、きっと大丈夫だ。

 それにしても青山先輩の顔が近い。端正な顔立ちが眩しく映る。

 少し、時が止まったような気がしたが、再び青山先輩は石坂さんとの会話に戻った。


「石坂、私の目と、石坂の目が同時におかしくなることはありえないが、鈴木くんは・・彼は、自分で『ここにいる』・・そう言っている・・ならば、私たちの目がおかしい・・そういうことでいいな」

 青山先輩は石坂さんに強く同調を求めた。

 二人のやり取りがすごい。そう思った。

 石坂さんは少し笑って、

「私が、灯里さまに過去の話をしたのは、私も子供の頃・・今の鈴木さまのような姿に見えていたのではなかったのだろうか?・・そう思ったのですよ」

 なるほど、そういうことか。

 と、この状況では納得もしていられない。


「誰にも思われない者は・・存在感がなくなるのではないかと・・」

 そう石坂さんは言った。

 その言葉に僕は、

「そんなことはない、と思います」

 気がつくと大きな声を出していた。

 そう言った瞬間、僕の体は元に戻っていた。透明化が終わったのだ。

 長かった・・今までで一番長く感じた透明化だ。しかし、腕時計を見ても、20分も経ってはいない。いつもより短かく終了した。


「ほら、灯里さま・・今は、鈴木さまのお体がはっきりと見えるではないですか」

 青山先輩は改めて僕を見た後、「本当だ」と言って。

「やはり、私の目がどうかしてたんだな・・おかしかったのは私たちだったな」

 青山先輩はそう結論づけた。

「先輩は本の読み過ぎじゃないですか?」と僕は話をそらした。

 すると、青山先輩はくすりと笑って、「私はこう見えても受験生なのだよ。本の読み過ぎと言うよりも勉強のし過ぎだな」と僕の言葉を言い換えた。

 そして、石坂さんは微笑み、

「全く、人間の目というものは、あやふやで、不確かなものです・・」と言った。

「そうだな。不確かな目は私たちの方だ」

 石坂さんは青山先輩が「私たち」と言うのを聞いて、

「おや、やはり・・『私』もですか?」と言った。

「当然だ。私も石坂も彼よりずっと不確かだ・・鈴木くんはもっと純粋だよ」

 純粋という言葉を受け、僕は、

「青山先輩、そんなことはないです」と強く返した。

 決して、僕は純粋じゃない。

 青山先輩は僕の反論には応えずに、「なあ、石坂」と呼びかけ、

「彼は、昔ふられた女の子のことを、いまだに追いかけているらしいよ」と言った。

 そして、

「石坂には、そんな相手は今までにいたかい?」と問うた。

 石坂さんは、青山先輩の問いには答えず、「どうでしょうね?」と笑った。


 そんな諸々の会話を締めくくるように、

「さて・・鈴木くん、着いたよ」

 そう青山先輩は言った。僕らの通う高校の校門前だった。

「青山先輩、どうしてここに?」

「だって、君は言ったじゃないか・・『速水部長は部室にいる気がする』・・と」

 青山先輩はその言葉を拾い上げてここへ・・

「君は、沙織に会いたいんだろう?」

「そんな意味では・・」

「それくらいのこと、私でもわかるよ。君は顔に出やすい」

 しかし、時刻はもう6時前だ。いくらなんでも、もう速水さんは帰っているだろう。


「私が沙織に会う目的は、早川の件だけだ。しかし、それは君が沙織に訊いておいてくれ。別に隠すつもりもない」

「青山先輩は行かないんですか? さっき小清水さんのことを知りたいと・・」

 僕がそう訊くと、青山先輩は、

「もう遅い時間だ。これでも私には門限があるのだよ」と言って微笑んだ。「義母のチェックがうるさい」

 そして、

「沙希ちゃんのことも知りたいけれど・・・それを沙織に訊くのは君の方が相応しい気がする。それに、私がいることで、沙織が口を閉ざしてしまうのもよくない」と言った。


「鈴木くん、今日は楽しかったよ」

 青山先輩は車の窓から言った。

「僕もです」そう言うと、青山先輩は少し笑顔を見せて去っていった。

 僕の体には青山先輩の香りがまだ残っていた。


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