第166話 西陽差す高級車の長い時間②

「おかしいな・・」青山先輩は小さな声を出し、

 目を凝らしながら、

「君の姿が見えにくいのだが・・」と言った。

 見えにくい?・・やはり、少しは見えている。完全透明ではない。半透明でもなく、見えにくい・・薄ぼんやりということか?

 青山先輩の声に反応していいかどうかもわからない。

 この際、僕の透明体質のことを説明する・・それはダメだ。それを話してしまうと、速水さんのことまで言ってしまいそうだ。速水さんに迷惑がかかる。


「私の目がおかしいのかな?」

 青山先輩は続けて声を放った。同時に僕の足がガクガク震える。

 どうすればいい?


 その時だった。

「灯里さま、きっと、西陽のせいでしょう」

 それは白髪の運転手の石坂さんの声だった。

 そして、石坂さんはこう言った。

「私も、鈴木さまのお姿が見えにくいと思っていたのです。けれど、何のことはない。西陽のせいですよ。黄色く眩しい光のせいです。それでぼやけて見えるのですよ」

 石坂氏の言う通り、夏の陽射しが僕の体を黄色く染めている。

 夏の高い陽射しのせいで、光が青山先輩の位置まで入り込んでいない。

 夕陽は僕だけを照らしている。

 しかし、

 夕陽で人の姿がぼんやり見えるなんて聞いたことがない。

 だが、僕の体・・ゼリー状に見える体に、夕暮れの光が当たり、粒子のようになってキラキラと点滅するように輝いている。石坂さんはこのことを言っているのか?


 これまで僕は、この透明化は小清水さんのように僕に少しは好意を抱いている人が半分見えたりする。服が透けて見えたり、ぼんやり見えたりする。

 ・・そう考えていた。

 だから、青山先輩も僕を嫌いではなく、少しは好感を持ってくれるようになった。だから、ぼんやりと見える。

 だが、今日初めて会った石坂さんに、僕の体がぼんやり見えるとはどういうことなんだ?

 初めて会った人間が僕に好意を抱くはずもないし、しかも、石坂さんは男だ。

 人の何かの感情、資質がそうさせるのか?


 僕は思い切って声を出した。

「青山先輩・・夕陽がきれいですね」

 僕の声に青山先輩は窓の方を向いた。

「本当だ・・綺麗だ・・」

 タイミングよく夕陽が黄色から、赤色に転じていくところだった。

 しばらく青山先輩は窓の外を眺めていた。このまま時が過ぎればいい。その間に元の姿に戻ってくれればいい。

 けれど、そんなに長い時間、景色を見たりはしないだろう。


 石坂さんはミラー越しにこう言った。

「これまで、私はいろんな風景を見てきました」

 そう切り出すと青山先輩が「石坂のキャリアは目を見張るものがあるな」と褒めた。

 そう言われた石坂さんは、

「灯里さま・・そんな御恐れ多い」と言って、

「風景もそうですが、私は様々な人間も見てきております」

 職業柄、そうだろうな。

 しかし、今は・・僕の姿がどう見えるかということの方が問題だ。


 そんな僕の不安をよそに石坂さんは、

「けれど・・」と話を続ける。

 きっちりと安全確認をしながら石坂さんの言葉は続いた。

「いろんな人間を見てきたのは何もこの職業についてからではありません」

 それ以前、ということか。もっと若い頃。

「私にも若い頃がありました・・灯里さまのお年位、そうですね、鈴木さまのような年の頃、思春期の頃・・」

 思春期? なぜかその言葉に引っかかる。

 いや、それよりも、僕の姿は二人にどう映っているんだ?

 二人に僕の体がどう見えているか、そして、どういう人間に僕の体が見えるのか?


 思春期という言葉に青山先輩は、

「石坂にも若い頃があったんだな」と冗談めかして言った。

「もちろんですよ。灯里さま」と石坂さんはミラー越しに笑って、

「思春期は、体も変わっていきますが、同時に心も成長していきます」と続けた。

「私は成長したのだろうか?」

 石坂さんの言葉に青山先輩はぽつりと言った。

 青山先輩、少なくとも体は成長していますよ・・それは口に出さないでおく。

 すると、石坂さんは大きく笑い、

「だって、灯里さまは、幼かった頃、よく泣いておられたではありませんか。あの時に比べたら、ずっと大人の立派な女性になられましたよ」

 石坂さんとは幼い頃からの付き合いだと青山先輩は言っていた。僕の知らない面を石坂さんは見ていたのだろう。

 青山先輩の小さかった頃を知っている石坂さんが少し羨ましく思えた。


 そんなことを思いながらも、僕の透明化は続く。体はまだゼリー状だ。

 汗がしたたり落ちる。クーラーが効いているので冷や汗だ。

 だがその汗は、僕の膝の上に落ちると、ゼリー状と同化する。

 どうして、二人は僕の体のことに触れないのか?

 恐る恐る青山先輩の方を向いても、彼女の視線はルームミラーに映る石坂さんの顔を見ている。

 僕の体は相変わらず差し込む夕陽でキラキラと光っている。


 その時、僕は当たり前のことに気づいた。

 太陽の光は僕の体を抜けはしない。若干光沢のあるゼリー状の体に反射して光を散らしている。

 僕にはそう見えるが、青山先輩や石坂さんの目にはどう映っているのだろう?

 光に包まれている状態を「ぼんやり見える」と表現していたのだろうか?

 それとも、

 元々影の薄かった存在が、本当に薄い人間に見える。ただそれだけのことなのだろうか?

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