第162話 青山灯里の日常①

◆青山灯里の日常


 次の日の朝・・受験勉強の他に何一つすることがない一日が始まる。

 母の洗い物を手伝った後、庭に出て朝顔に水を遣り終えると、午前の勉強を開始。カリキュラム通りに進める。

 お昼、母の手作りハンバーグを平らげ、同じくどこにも行く予定のない妹と談笑し、また勉強部屋に戻る。

 これが夏休みの午前のパターンだ。何も予定が無い日はこんな過ごし方だ。

 40日間の内、大半はこんな日を送っている。

 英文法の問題集を解いていると、設問がマンネリ化していることに気づく。

 母に「ちょっと本屋に行ってくる」と言って、英文法の新しい問題集を買い求めに本屋さんに向かった。

 家を出て、数歩歩いた所でその車が現れた。

 忘れもしない・・合宿の開始日に、青山先輩を乗せて貫禄たっぷりに登場した高級外車だ。

 静かなエンジン音、更に静かで上品な走行で僕の脇にすっと停車した。

 後部座席のウィンドウがこれも静かに下がると、予想通り、青山先輩の端正な顔が覗いた。

「鈴木くん、お出かけだったんだね。丁度、よかった。これから君の家にお邪魔しようと思っていたところなんだ」

 そう言って青山先輩は車外に出てきた。

 服装は上下黒のパンツスーツ、いつもの格好いい長身姿が目の前に現れた。

 青山先輩の体つきで、そんな服を着ると女子高生にはとても見えない。どこかの政治家の秘書のように見える。

 運転席の白髪の男はハンドルを握ったままだ。

 先日、見たばかりの顔が新鮮に映るのは、髪を少し切ったせいだろうか?

 そんな風に青山先輩の顔を見ていると、

 青山先輩は、髪に手を当て、

「ああ、これかい?」と言って「今朝、切ったばかりなんだ。合宿中、鬱陶しくて仕方なかった」と説明した。

 しかし・・

「青山先輩、僕の家に、って・・」

 わざわざ、何の用事だろう? 予め電話をくれればいいのに・・と僕が思っていると、

 青山先輩は、

「おかしいだろ」と言って、「私の家から君に電話をかけると、家の者に盗み聞きされるんだよ」と笑った。

 なるほど、青山先輩の行動は監視されているんだな。合宿が唯一自由に羽ばたけた時間だったのかもしれない。

 僕は「おかしいですよ」と率直な感想を述べた。「青山先輩の家、厳しすぎです」

 青山先輩は「だろ?」と言って、

「もしやと思うが、早川講師から、何かなかったか?」と尋ねた。

「早川先生なら、昨日、電話がかかってきましたよ」不愉快な電話だった。

 青山先輩は「やはり」と一言言って、車の中に顔を突っ込み運転席の男に「やっぱり、鈴木くんの家にかかってきたようだよ」と報告した。

そして、僕に向き直って「迷惑をかけてすまなかった」と謝り「詳しく聞かせてくれないか?」と言った。

「いいですよ」

 そう僕が言うと、

「それで君はこれからどこに行くところだったんだい?」と青山先輩は訊ねた。

「駅前の本屋さんです」

「あの小さな本屋か?」

 確かに三宮の本屋さんに比べると小さい。

「問題集を買うだけですから」と僕は答えた。問題集を買えるのならどこでもいい。

 そう言った僕に青山先輩は、

「時間があったら、三宮の大きな本屋に行こう。その後、お茶でも飲もう・・奢るよ。早川の話は車の中で聞かせてくれ」と言った。男口調全開だ。

「たまには私にも先輩らしいことをさせてくれないか」

 そう言って青山先輩は素敵な笑顔を見せた。


 高級車の中はいい匂いがした。

 それが青山先輩の匂いなのか、それとも運転手の白髪の男が撒いた香水の匂いなのかはわからない。

 特に用事もない僕は高級外車の後部席に乗せてもらった。横には青山先輩が腰かけている。すらりと伸びたパンツの脚が綺麗だ。

 車の中で早川の電話の内容を一言一句洩らさずに話した。

 青山先輩は「早川らしい言い方だな」と苦い声を出した。

 そして、青山先輩は青山家のややこしい事情を説明した。

 青山先輩の話を聞くところによると、早川講師に探偵まがいのことをさせているのは、青山先輩の義理の母、つまり後妻さんらしい。父親は運転手の男も含めて、娘に自由にさせてあげたいらしい。放任主義をとっている。

 しかし、この後妻さんは、義理の娘を箱入り娘に育てたいという口実の元に、早川講師に金を払い、青山先輩を監視させている。

 聞こえはいい。それほど、娘のことを思って・・

 しかし、内情は違うようだ。義理の娘に何らかの行為・・つまり男癖が悪い、とかの類を探させているのだ、

 青山先輩は、

「そうやって母は、私の評価点を下げることを考えているんだよ」と言った。

 運転手がいる所で話しているところを見ると、この白髪の男は青山先輩の味方らしい。

「つまり、荒さがしですね」と僕が言った。

 青山先輩は「その通り」と答えて「いずれ何年かすると、株の配分や、相続の問題が出てくる。その時のための私のマイナス材料を溜め込んでいるんだ」と説明した。

「君には信じられない話だろ」そう青山先輩は言って笑った。

「けれど、それが私の現実なんだ」

 監視された生活というのは息苦しい。僕は絶対にご勘弁だ。

 青山先輩には「大変ですね」と言うことしかできない。

 だが僕は、「大変ですね」の代わりに「青山先輩、そんな生活によく耐えてますね」と言った。まだその言葉の方がいい。

 青山先輩は僕のその言葉に、

「辛いけれど・・慣れたよ」と苦笑して、

「しかし、君の家に電話をかけるなど、人様に迷惑がかかるとなると、そうも言ってられない」と言った。「何か方法を考えないとね」青山先輩はそう言った。


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