第163話 青山灯里の日常②

 その後、僕は青山先輩から信じられないことを聞かされた。

 それは運転席の男がこう言ったことだった。

「灯里さま・・鈴木さまにも、早川の・・あのことを言った方がよろしいのでは?」

「ああ・・そうだな」運転手の言葉に青山先輩は頷いて、

「君には信じられない話・・というか、あまり君には聞かせたくない話なのだが・・」と慎重に前置きした後、

「あの早川という男は、私に言い寄っている・・それも執拗にね」と言った。

 あの男、不公平な点を付けているばかりでなく、そんなこともしているのか。

「それに気づいたのは、2、3か月前のことだが、私の義母に頼まれているとか虚言を吐いて自分の家に呼び出したりしたこともあった。すぐに私は気づいて断ったが、この早川という男は義母の信頼が厚いから始末に悪い。義母は私の言うことよりも、早川の言うことを信用している」

 青山先輩がそこまで言うと、白髪の運転手が、

「こんなことは運転手の私が言うべき言葉ではないですが」と言葉を前置きし、

「早川は奥さまと・・何かの関係があるとしか思えません」と言い難そうに言った。

 そんな話、僕が知ったところでどうなるものでもない。

 青山先輩は何かに気づいたように、

「あ・・君に紹介が遅れたな・・この男は、石坂と言って、私専属の運転手だ。石坂とは私が幼い頃からの付き合いだよ。信用のできる男だ」と僕に紹介した。

 紹介された石坂という男はルームミラーに映る僕に軽く会釈をした。 


「話の続きだが・・つまり、早川は、私の監視役と言うよりも、つきまとい男なんだよ」

 青山先輩はそう言って「全く、迷惑な話だ」とぼやいた。

 そんな説明をした後、青山先輩は僕の方を向いて、

「今は、私が君につきまとっている女みたいだな」と笑顔を向けた。

 そう言った青山先輩と思わず目が合った僕は「そ、そんなことはないです」と答えた。

 つきまとい・・

 そんな青山先輩のさりげない言葉は、僕の暗い過去を想起させる。


 時折、沈黙が訪れると、僕は窓に移りゆく景色を眺めたり、青山先輩の顔を盗み見たりして、車中の時間を過ごした。

 神戸の商業の中心、三宮に入ると交通量が多くなり、車のスピードも遅くなった。


「青山先輩は、和田くんや、小清水さんには、早川講師のことは訊いてないんですか?」

 僕がそう訊ねると、

「和田くんは家にいたよ。家の手伝いをしていた。電話はなかったようだ・・彼は部員としてまだ新しいから早川は把握してなかったようだね・・沙希ちゃんは不在だった。沙織に訊くのはこれからだ」

「それ・・すごく面倒な作業ですよね」

 電話は家の人に盗み聞きされるので、わざわざ、部員の家に家庭訪問する。

 何でそこまでするのか・・関わる方も関わられる方も面倒だと思う。


 僕の言葉に青山先輩は笑って、

「そう思うかい?」と言った。

「そりゃあ・・そう思いますよ」

 そんなことを僕はしたくないし、する必要もない。

 けれど、青山先輩はこう言った。

「意外と、傍から見るほどには、そうでもないんだよ」

「私には友達が一人もいない・・以前は、沙織がそんな存在だったが、今は少し距離を置かれている。だから、こんな風にして君の家や、部員の所に行くことをそれなりに楽しんでいる」

 なるほど・・

「こんな繋がりがね・・私は結構楽しいんだ」

 青山先輩はそう重ねて言った。そう言った青山先輩の表情を見ると、僕にそう言うこと自体を楽しんでいるようにも見えた。

「だから、電話をせずに直接家に行く・・電話で済ませれば、君とこんな風に直に話すこともできない・・そうだろう?」

「確かに」と僕は答えた。


 三宮に着き、地下の駐車場に車を停めると、上品そうな運転手の石坂さんは、「灯里さま、私はどこかでお茶でもして時間を潰します」と言って僕にも一礼をして去った。

 

 青山先輩は石坂さんの後姿を見送ると、僕に「さあ、行こうか」と促した。

 三宮のセンター街を歩き、青山先輩と本屋さんに向かった。

 街行く人が僕たちをちらちらと見ていくのが感じられた。

 不釣り合いとでも思っているのだろう・・だが、気にすることはない。クラブの先輩と歩いているだけだ。何を恥ずかしがることがある!


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