第135話 湖畔に佇むギャツビー②

 すると、発言の少ない和田くんが、

「こ、小清水さんは、この小説に特別な・・」と言いかけ、その先の言葉を失ったようだ。

 おそらく読書会に慣れていないせいだろう。適切な言葉が見つからないのだ。

 向かいの青山先輩が「和田くんは・・沙希ちゃんがこの小説に共感・・感情移入、もしくは、自己投射しているということが言いたいのだね」と優しく援護した。


「ごめんなさい・・私・・『好き』なんて・・変なことを言っちゃって・・」

 小清水さんが皆に謝ると、速水部長が、

「沙希さん、それは変なことでも何でもないのだけれど・・この場・・読書会においては相応しくない発言ね」と厳しく注意した。

「好き・・」

 小清水さんの一言は誰かに向かって発せられたように感じた。そう感じたのは僕だけだろうか?


 僕は、小清水さんを庇うわけではないが、

「小清水さんはギャツビーが、デイジーをずっと好きだったということが言いたかっただけなんだよな」と言ったが、速水さんに「それはわかっているわ」とあっさり返された。


 青山先輩は一連の話を締めくくるように、

「ギャツビーは、デイジーをずっと好きだった・・でも、それが幻想だということに気づき始めた・・けれど、もうその時には、全てが終わりを告げようとしていたのね」と綺麗な声で言った。 


 青山先輩の言葉を受け、

「ずっと好きな気持ち・・心は、何かによって曲げられてしまうのねえ・・」

 珍しく池永先生が哲学的なもっともらしいことを言った。先生、寝てたんじゃないのか?

 速水さんが「あら、池永先生、悪酔いしたのかしら?」と皮肉ると、

「私、飲んでないわよぉ・・ちょっと沙織ちゃん、ひどいわよぉ」

 飲んでなくても酔っているように見えるのは、池永先生の魅力の一つなのか?


「でも、何があっても好きな気持ちが変わらない・・恋心を維持するのには体力、知力が必要になるわ」

 速水さんの言葉を受け、

 僕は文庫本の最後の方のページを開いて、

「ギャツビーは、デイジーと再会するまでずっと頑張っていたんだよ」と言って、ギャツビーの日課を読み上げた。

・・ギャツビーのノートにはこう書いてある。

彼の日課だ。毎日欠かさず行うことを箇条書きしてある。


 午前6時、起床

 ・・ダンベル体操、腕立て伏せ、昇降運動・・それぞれ数十回。

 スピーチの練習、メンタルトレーニング、風格を身につけること。

 風呂に毎日入ること。

 煙草は吸わない。有益で、ためになる本を読むこと。

 両親に孝行すること・・


 ギャツビーは体力、知力ともに、伸ばし、維持し続け、

 デイジーに愛される男になろうと、自分を磨き続けた。

 だが、結局のところ、

 それらによって習得したものは、崩壊した。

 その原因は彼自身が愛したデイジーによってだった。


 そして、ギャツビーの最後のページ・・


「ギャツビーはデイジーの家の灯りを信じていた。

 けれど、それは年を経るごとに彼の前からどんどん遠のいていく。

 でもまだ大丈夫・・

 明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。

 絶え間なく過去へと押し戻されながらも、流れに立ち向かうボートのように、

 ギャツビーは前へ前へと進み続ける」


 読書会の終わりを小清水さんが告げると、池永先生が退出し、青山先輩は先生の座っていた籐椅子に腰かけ景色を眺めだした。長い髪が背もたれにふわりとかかっている。いつも思うが、青山先輩は絵になる。自然とその風景に溶け込んでしまう。

 そんな状態なので、テーブルを囲んでいるのは、

 僕と速水部長、小清水さんと和田くんだけだ。


 和田くんは小清水さんに「和田くん、読書会、どうでした?」と訊かれ、嬉しそうに応じている。

「人を好きになる気持ちって、そんなに長く続くのかな?」と和田くん。

 そんな和田くんの一言に小清水さんは、

「続かない気持ちなら・・そんなに軽い心なら、恋とは呼ばないんじゃないですか?」

 と意味深な発言をする。


 そんな小清水さんの言葉を聞いているのかいないのか、速水さんが、

「鈴木くんは、こんな生活をしているのかしら?」と訊いた。

「こんな生活って・・何だよ?」

「ギャツビーのような生活よ・・腕立て伏せや、心のトレーニング・・風格・・いえ、鈴木くんの場合は風格は無理として・・」

「今、僕には風格は無理! と決めつけただろ」

 そんないつもの会話を進めながら、

「僕は少なくとも、人生のスケジュールは立てているよ。受験勉強のだけど・・」

 僕がそう答えると、

「鈴木くんは何を目標にしていたの?」

 速水沙織はそう訊ねた。

 僕の目標・・例えば、ギャツビーのような人生の目標。

 それは速水さんに訊かれなくても僕自身が一番よく知っている。

 僕は中学3年の時、高校受験のために必死で勉強をしていた理由は、

 好きな女の子と同じ高校に行きたい、

ただそれだけを目標に勉強していた。

 将来のためとか、親に言われたからだとか、そんな理由は小さなものだった。


 速水さんは、僕が過去の想いに耽っているのを見て、

「鈴木くんの場合は、とても不純な動機だったようね」と的確に言った。

 僕は「なんで、そんなことがわかるんだよ」と怒り口調で返したが、

 速水さんの言う通り、不純な動機で勉強を重ね、

 それは今も続いている。


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