第134話 湖畔に佇むギャツビー①
◆湖畔に佇むギャツビー
午後の予定、「グレート・ギャツビー」の読書会が小清水さんの司会で始まった。
男子の部屋に女子が3人加わり、テーブルを囲んでくつろぎながら意見を交わす。
顧問の池永先生は、会に参加する気がないのか、窓際の籐椅子で外の景色を眺めている。おそらくここに来た目的である感傷にでも浸っているのだろう。
「グレート・ギャツビー」・・僕はこの本をいつもの黙読会で二回も読んでいる。
そしてこの本は翻訳ものが好きな小清水さんの愛読書でもある。
和田くんは「ストーリーがよく掴めなかったよ」とぼやいている。確かに時代背景などは難しい。
青山先輩は「身分の違いは、こうも人を変えていくものなんだな」と身に染みているように言った。
ギャツビーは成り上がりの独身青年。アメリカンドリームを体現化したような男だ。
かつてギャツビーと愛し合った元恋人のデイジーと現在の夫は、元来の出生が金持ちの人間たちだ。ギャツビーとは人種が違う、と言っても過言ではない。
そんなギャツビーは元恋人、デイジー夫妻の家が立つ湖畔の向かいに豪邸を建てた。
そう・・ギャツビーは大富豪にのぼりつめたのだ。
デイジーの目に触れるようにと、ギャツビーは毎夜のように豪邸内で盛大なパーティを行った。
いつか自分の家がデイジーの目に留まり、彼女が自ら来てくれることを願った。
ギャツビーは湖畔の向こうのデイジーの家の灯りを見ていた。
僕は君を片時も忘れない・・と。
毎夜、ギャツビーはグラス片手に湖畔に佇んでいた。
彼の心の拠り所はその灯りだけだったのかもしれない。
なぜか、ギャツビーのデイジーに対する思いは、
僕の水沢さんに対する恋と重なるところがある。
僕も教室の水沢さんをずっと見ている。
けれど、僕の場合は、
・・水沢さんの向こうにある空の先も同時に見ているのかもしれない。
・・そして、ついにデイジーはギャツビー宅に訪れる。
デイジーは目の前に金持ちとなって現れたかつての恋人ギャツビーに夢中になる。
ギャツビーも同じくだ。ついに念願は叶えられた。
だが、現実にデイジーに会ってみると・・・
ギャツビーは現実を思い知ることになる。
デイジーには娘がいる。夫の間にも決してなくなることのない思い出がある。
それはデイジーの心から消すことのできないものだ。
それに・・
「ギャツビーが思っているほど、デイジーはギャツビーを愛してはいなかったのね」
綺麗な声で小清水さんはつけ加えた。
よくあることだ・・男女の思い入れの違い、
それに身分の違いは更に愛のすれ違いを生じさせる・・
そして、最後に悲劇が訪れる。
ギャツビーの愛したデイジーの夫には不倫相手の女がいた。
デイジーが酔っ払って車の運転をし、その女性をひき逃げしてしまう。
デイジーを庇ったギャツビーはその女の夫に銃殺される。
ギャツビーが築き上げたもの、叶えられた想いは・・一瞬で瓦解した。
「この話はラブストーリーであると同時に、アメリカンドリームの終焉を彷彿とさせるものらしいの」
みんなが論議を始める前、小清水さんのそんな丁寧な説明があった。
小清水さんの声を聞いていると、いかに小清水さんがこの小説を好きなのかが伝わってくる。
和田くんが「い、今の小清水さんの説明で、本の内容がわかったよ」と読書の喜びを告げるように言った。
そんな和田くんに僕は「最初読んだ時には、登場人物の名前を覚えるので精一杯だろ」と僕自身の経験を言った。
小清水さんが「そうですねえ・・でも漱石の小説も、同じ人物を表すのに色んな言い方をしているから読むのに結構大変ですよ」と和田くんに言った。
小清水さんに声をかけられた和田くんは嬉しそうだ。
きっと和田くんもこんな文学少女の小清水さんの方を好きになると思う。あの狂気じみた小清水さんや、男と遊んでいるように見える小清水さんは・・僕も好ましくない。
それまで籐椅子に座っていた池永先生が立ち上がり、テーブルの湯呑にお茶を注いでいく。
注ぎ終わると先生も座って読書会に参加するのか、速水さんの横に座り、
「主演のロバートレッドフォード・・格好よかったわよねえ」と言って感嘆の息を吐いた。
そんな先生の言葉にそれぞれが、
「なんですか、その人?」と和田くん。
「名前は、聞いたことがありますねえ」と小説以外に興味のない小清水さん。
速水さんが「池永先生、好きなドラマのことは、今は関係ないわ」と手厳しい一言。
青山先輩が「沙織・・先生が言っているのはロバートレッドフォード主演の映画のことだよ」と言った。
そんなわけで皆の暗黙の了解ができた・・感傷旅行の気分に浸っている先生の言葉は読書会には生かされないということがわかった。
そんな中だった。唐突な小清水さんの一声が発せられた。
「・・ずっと好きなんです」
静かな読書会の雰囲気の中・・不自然なほどの大きな声が響いた。
当然、参加者は司会者の小清水さんに注目する。特に和田くん。
「えっ?」
小清水さんは、なぜ、自分の方をみんなが見るのか、わからない様子で、
「ごめんなさい・・ちょっと、声が大きかったみたいでしたね」と慌てた。
声の大きさよりもその発言の真意のほどがわからない。
青山先輩がその様子を見て、
「沙希ちゃんは、よほど、この小説に思い入れがあるみたいだね」と言った。
続けて速水部長が「沙希さんは翻訳ものが好きなのよ」とあっさり言うと、
青山先輩は、「いや、さっきの口調だと、それ以上のものを感じたよ」と笑った。
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