第131話 その二つの胸の感触は?②

 青山先輩が「どれ、鈴木くん、私にも触らせてもらえないかな」と男性口調で言った。

 青山先輩、冗談でしょ!

 速水さんが、蕎麦の箸を置いて「あら、青山さん・・私が先よ」と更に煽り立てるように言った。

 小清水さんが「やめてくださいっ! 鈴木くんに触るのはっ」と慌てだした。

 小清水さん、そんなにムキにならなくても・・

 みんな冗談で言っているだけだから。本気では・・

 ・・ん!

 下を向くと、女性のしなやかな手が僕の胸の上にあった。

 それはまさしく青山先輩の右手だった。

「和田くんが触ったのは、こんな感触だったのね」

 さっきの和田くんのガサツな触り方とは違って、青山先輩の手は優しく・・もみもみ。

 ・・って、そんなことに感心している場合かよ!

 青山先輩は「確かに、これは人間の胸の感触ね。それも男性の・・」と言った。

 当たり前ですよっ!

 それを見た速水さんが眼鏡の奥の目を光らせ「青山さん・・悪い趣味よ。感心しないわね」ときつく忠告すると、青山先輩は手を離した。

 青山先輩は速水さんの心をワザと逆なでしているようにも思える。

 小清水さんが「青山先輩、今の冗談ですよね、本気じゃないですよね」と問い質している。

 小清水さん、ごめん。僕には何が本気なのか、冗談なのか、もうわからないよ。


 僕の胸から手を離した青山先輩は、「君の胸はかたい」と言って、

「私の見た幽霊・・部室で見たのは、女性のような胸をしていたよ」と言った。「どう考えても、鈴木くんの胸ではない」

 それは速水さんの体だから。速水さんの胸がどれほどの大きさなのかは知らないけれど。

 それに、比べようもない。

 現実に触れるものと、見たものとでは、比較の対象にはならない。

 そう思いながら僕の視線は自然と速水さんの胸元に移動した。

 目線を速水さんの顔に移すと、その顔は僕を睨んでいた。


 青山先輩の幽霊騒動の経緯を知らない小清水さんと和田くんは、

「ええっ、青山先輩、部室に幽霊が出たんですか? 私、そんな話、知らないですよぉ」

「やっぱり、この部はおかしいよ」と和田くん、本日二度目のセリフ。


 小清水さんは気持ちを落ち着けながら、

「青山先輩・・その幽霊って、僕が触った胸と何か関係があるんですか?」と青山先輩に訊ねた。

 関係あるわけないだろ! 


 青山先輩は小清水さんの問いを否定するどころか、真顔になり、

「沙希ちゃん。意外と関係があるのかもしれないよ」と優しく答えた。

 そして、この場にいる全員に話すように、

「世の中、全く関係のないものが、実は一緒だったりする・・そんなこともあるんだ」と言った。


 青山先輩の言ったことはご明察だった。

 二つの現象・・

 つまり、和田くんが、透明化した僕の体に触れたのも、青山先輩が部室で透明化中の速水さんの姿を見たということも、

 そのどちらも「透明人間という現象」に触れたということでは同じだ。


 ただ、青山先輩の場合は透明化している速水さんの体自体に触れたわけではない。

 遠目に見ただけだ。その時、青山先輩は怖くなって逃げ出した、ということだ。  普段の青山先輩を見ている限りでは、ちょっと信じられない。

 すると、小清水さんが、

「青山先輩・・その幽霊さんは女性だったんですよね?」と青山先輩に訊ねた。

 青山先輩は首を横に振って「残念だけど、男か女か、と訊かれたら、わからない・・人であることは分かったけれど・・」と言った。

 和田くんが「でも、さっきは女性のような胸と・・」と言いながら、また僕の胸を横目で見た。女の子の胸と比べるなよ!


 今度は小清水さんが「でも、胸があったんですよね?」と質問した。

「そんな気がした・・そう見えたんだよ」少し自信なさげに青山先輩は答えた。

 和田くんが悪乗りして「そ、それは大きかったんですか?」と訊ねた。

 僕は条件反射でまた速水さんの胸を見た。案の定、また睨まれた。

 速水さんの胸、意外と大きい・・改めてそう認識した。


 小清水さんと和田くんの質問責めに苦慮して、青山先輩は、

「私も、あの時、和田くんのように触ればよかったんだ・・」と言った。「そうすれば、男か、女かくらいはわかったのに」

 ・・青山先輩が速水さんの胸を触る! 今、なんかすごいことを聞いたな。


 その言葉に最も強く反応したのは・・おそらく速水さんで、

 青山先輩に半透明状態で見られたと思っている速水さんの顔を再び見ると、眼鏡の中の目を丸くしていた。

 思わず吹き出しそうになった。もし、青山先輩が透明化中の速水さんの胸を触っていたら・・・と想像しただけで笑える。速水さんにしてみれば、それどころではないだろうが。


 それまで黙っていた速水さんがようやく口を開き、

「ゆ、幽霊に触るものではないと思うけど・・鈴木くんはどう考えるのかしら?」とずいぶん遠まわしに僕に訊いてきた。

「そうだな・・僕もそう思う」僕は速水さんに合わせた。それは二人の共通の考えだ。


 その時、僕は思い出していた。今朝、登った山の上で青山先輩が言っていた言葉を。

「部室で見た幽霊は、沙織の心のような気がしたの・・・」

 まさか・・青山先輩はその時の幽霊・・すなわち透明人間を速水さんだと気づいてはいないだろう。

 それを知っていて、理解しているのは僕だけだ。

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