第121話 一緒に透明に・・
◆一緒に透明に・・
そんな状況の中で、ふいに速水さんが僕の真横を歩きだし、
僕に小さく「鬱陶しいわね」と言った。
機嫌が悪そうな速水部長。鬱陶しいというのは、男たちに声をかけられることを言っているのだろう。
この状況を楽しんでいるのは、おそらく池永先生くらいで、他のメンバーは辟易している。ただ、せっかく皆が揃う夜なので、少しでも時間を共に過ごしたいという気持ちもある。
だが、速水さんは僕たちのそんな共有感情を通り越して、この状況がイヤなようだ。
僕が「温泉地の夜って、いつもこうなのか?」と言って、すぐに後悔した。そんなことを速水さんが知る由もない。
「知らないわよ・・でも、温泉地に限らず、夜、人が集まる所なんて、みんなそうじゃないのかしら?」
男嫌いの速水さんにとっては、こういう場所は拷問に近いのではないのだろうか?
僕はねぎらいの言葉として「サークルの部長も大変だな」と言った。
速水さんは少し微笑むと、
「ねえ、鈴木くん」と声をかけた。
僕は「何?」と向き直ると、
「鈴木くん、一緒に透明にならない?」
そう速水さんは言った。「透明になってここから逃げるのよ」
は? 取り敢えず僕は他の部員が今のセリフを聞いていなかったか、どうか確認した。
僕と速水さんは先を行く4人より後方にいた。聞かれてはいないが、突然何を言うんだよ!
「透明になって、一緒に夜の町を歩くのよ」
「何だよ、それ?」
「面白そうと思わない?」
速水さんの言おうとしていること、やりたいことがわからない。
わかるのは、速水さんが、こういう場所が嫌いだということだ。そして、これはあくまでも推測だが、速水さんの養父の暴力に起因する男嫌いが更に拍車をかけている。
僕は速水さんに「ここから、逃げ出したいんだろ?」と言った。
速水さんはコクリと頷いた。「そうよ」
しかし、仮にお互い透明になったとしても、速水さんには僕が見えるが、
僕には速水さんの姿が見えない。
そう、あの旧速水邸の庭園のように、
水沢さんと僕を不良から救った旧校舎の裏庭のように・・
「速水さんには僕が見えても、僕の方は速水さんが見えないんだ。知ってるだろ」
「別にかまわないじゃない」
「そんなこと言っても・・二人で透明になったら、僕がおろおろするだけじゃないか」
みっともない・・ただの間抜けじゃないか。
僕は速水さんの声だけを頼りに歩く、そんな無様な事をしなければならない。
それに今は眠くないし、速水さんみたいに自分の体をコントロールできない。前のように自己催眠をかけても、透明になれるとも限らない。
・・と、ぐずぐず考えていると、
「鈴木くん、私、先に行ってるわよ」と速水さんは急かすように言った。
「どこにだよ!」
速水さんの声・・「神社よ!」
と聞こえた時には、速水さんは既にそこにはいなかった。
その時には速水さんは透明になっていたからだ。
先を行く部員たちは誰もそのことに気がつかない。夜の町の喧噪がその小さな出来事を隠してしまう。
速水さんはおそらく大通りをそれた脇道に入ったようだ。
確かに暗い道の向こうに、神社が見える。
夜の神社・・こんな時間にお参りでもするのか?
とりあえず僕は一番近くの小清水さんに声をかけた。
「速水部長がいないんだ」
小清水さんは「あれっ・・本当ですね」と言って辺りを見渡した。「部長、どこに行ったんでしょう? はぐれたのでしょうか?」
「僕、速水部長を探してくるよ」
小清水さんにそう言い残して僕は夜の神社に向かった。
「小清水さん、ごめん」そう心で謝った。
神社に着いたものの速水さんが、どこにいるのか、わからない。
速水さんが自らしゃべって声を出してくれないと、その位置がわからない。
参道の石畳を歩きながら、声に出して「速水さんどこにいるんだよ?」と言ってみた。
僕の大きな声に遅い時間の数少ない参拝客が振り向いた。やっぱり格好悪いじゃないか!
その時だった。
チリンッ・・小さいが十分に耳に届く音がした。
・・鈴の音だ。
僕は音の出どころを確認するために、境内中を見回した。
もう一度鈴の音がした。二回目の音は最初よりも大きく、近くなったのがわかった。
「鈴木くん、私はここよ」
速水さん!
すぐそばに速水さんがいる。
・・透明化した人間が触れた物は透明になる。着ている服はもちろんのこと、眼 鏡、鞄・・
そして、鈴も例外ではない。
僕が「さっきの土産物屋で鈴を買っていたのは、このためだのか?」と訊くと、速水さんは、「そうよ。これだとさすがの鈴木くんもわかるわよね」と言った。
少しムカついた。
鈴の音は速水さんが動く度に小さな音を立てる。
チリンッ、チリンッ、と音の方向に僕は歩む。何かの動物実験みたいだな。
「僕が透明になる必要なんてなかったな・・なってもならなくても、速水さんには見えるんだから」
速水さんは、「それもそうね」と答えて、
「でも、鈴木くんが透明になりたかったら、透明になってもかまわないのよ。私、止めないわ」
「ならないよ!」
速水さん一流のジョークが炸裂だな。
「それにしても、何でいきなり一緒に透明になろう、って言いだしたんだよ」
「思いつきよ」
「思いつきって・・」
「神社が見えたからよ」
声が大きくなる。速水さんは僕の隣・・すぐ近くにいる。彼女の息遣いまで聞こえる。
二人の距離が近いほど、声を小さく落とせる。周囲にも気づかれない。
「お参り・・というか、神さまに私の願いを聞き届けて欲しかったの」
「神さまにお願い?」
速水さんには色々と事情があることを僕は知っている。けれど、神さまにお願い、というのは・・
「神さまに、私の・・・この透明の体を見てもらうためよ」
「神さまには見えるのか?」
「相手は、あの神さまよ」
「それもそうだ」
僕は納得した。
拝殿に立つと、真横に速水さんも立っているのが感じられた。
僕が賽銭箱に小銭を投げ入れると、
僕の横で速水さんの投げた小銭が、速水さんの体を離れるのと同時に実体化し、その姿を現した。
そして、拝殿の大きな鈴が揺れ、カランカランと音を立てた。
・・不思議な現象だ。
おそらく両手を合わせているであろう速水さんは、
小さな声で「見えますか? 私は、こんな体です」と言った。続けて何かを言っていたが聞き取れなかった。
最後に速水さんが「どうか・・元の体に戻りますように・・」と言っていたのはわかった。
そして、余計なひと言・・「鈴木くんの分はお祈りしていないわよ」と速水さんは言った。
僕は神さまの前で透明になっていないからな・・仕方ない。
それに、僕は全く違うことを願った。
・・好きな人に僕の想いが届きますように・・
拝殿を降りながら僕は速水さんに、
「お祈りってさ・・声に出して言うものなのか?」と訊いた。
「だって、口にしないと、神さまに聞こえないでしょ」
「相手は、神さまだぞ」
速水さんは少し間を置いて「それもそうね」と答えた。
そして僕は速水さんに続けて訊ねた。
「速水さんは透明化できる体がイヤなのか?」
速水さんはまた鈴をチリンと鳴らして、自分の位置を正しく示した。
どうやら、僕はあらぬ方向を向いて話しかけていたようだった。
「当たり前でしょ・・私はこう見えても女の子よ。男の子の鈴木くんみたいに女子更衣室を覗けたら・・なんて思わないし」
「僕も、そんなこと考えないよ」
一度考えたけどな。女風呂も考えた・・そんなことは女の子には言えない。
「透明化しても何一ついいことなんてないわよ」僕の横で小さな声が聞こえた。
「そうだな」僕は曖昧に答えた。
そうでもなかった気がする・・いいことも少しはあった・・そう思う。
でも、そんなことは速水さんには言えない。
速水さんはお母さん・・実の母親と養父に化物扱いをされたのだから。
速水さんは二人の前で透明になった。それを見せたのだから。
「化物っ!」二人は娘にそう言った。
「鈴木くん、そろそろみんなの所に戻りましょうか?」
気がつくと、
いつもの眼鏡の速水沙織がそこにいた。その手には小さな鈴が握られていた。
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