第120話 夜の町へ
◆夜の町へ
有馬温泉は日本三古湯の温泉地だ。それほど広くない土地に、大きなホテル、小さな旅館、大小の土産物屋がひしめき合っている。
塩分と鉄分を多く含んだお湯が出ることで有名だ。健康にもいいし、肌にもいい。
だが、そんな地でもあるにもかかわらず、高校生の僕たちはお湯の成分など気にしない。唯一、池永先生だけが、肌にいい、という効能を聞いただけで、旅館に着いた時から何度も入っている。
どのあたりが感傷旅行なんだか・・
旅館の晩餐を一番多く食べていたのも池永先生だ。あのナイスバディの根源はあの食欲にあるのだろう。と、その場にいた誰もが納得した。
速水さんが食べ終えた先生を見て「先生、もう恋の傷は癒えたのかしら?」と訊ねた。
「じゅうぶん癒えたわよぉ~・・もう誰が好きだったのか忘れちゃったわよぉ~」
先生だけがお酒・・主に日本酒を飲み、浴衣の裾をはだけて一人酔っている。
確か体育の先生だったな・・僕も忘れていた。どちらかというとつきまとい男の方が鮮烈に記憶に残っている。
優雅に食べる青山先輩が「池永先生って・・以前からこんな風だったかしら?」と誰ともなく言うと、速水さんが「前からこんなよ」と答えた。
そして、夜の自由時間、またまた池永先生が「町に繰り出すわよっ」と号令をかけた。どうやら先生は有馬の夜を満喫するつもりらしい。僕たちサークルメンバーはその巻き添えを食らっているようだ。
夜と言っても温泉街だ。昼間よりも多いのではないかと思うくらい人が多い。日帰り温泉の人、旅館にじっとしていられない人達が愉しみを求めてぞろぞろと歩いている。
家族、カップル。中には出会いを求めている男女もいる。
都会の派手なイルミネーションとは異なり、店の灯り、街灯・・光が優しい。
そんな中、僕たちはサークルの合宿だ。
昼間の暑さが和らいだ町の中を練り歩く。
女性陣は全員浴衣姿。
長身で、風呂上りの髪を夜風になびかせながら優雅に風のように歩く青山先輩。
夜の道は不慣れな様子の大人しい文系女子の小清水さん。
一人、周囲の浮かれた気分に一番似合わない眼光の鋭い速水部長。
そして言うまでもないこの団体でひときわ男子の視線を惹くであろう池永先生。
その後を、何かの糞のようについていく和田くんと僕。
今晩も一段と影が薄い。お互いに。
和田くんが「青山さんって・・目立つよね」と言った。
和田くんの言う通り、青山先輩のオーラはすごい。本人は気づいていないだろうが、女の子目当てで町をうろついている男連中はみんな見ていく。
僕と和田くんのような男がいなければとっくにナンパされているだろう。微力ながらでも僕と和田くんは役に立っているのだろうか?
池永先生も道行く男子が振り向くオーラを持っている。違う意味で。
いや、池永先生の場合、声をかけられたら喜ぶんじゃないか?
僕たちは、温泉街によくある昔懐かしいゲームセンターでスマートボールをしたり、途中で買い食いをしたりして楽しんだ。
土産物屋に立ち寄ると、それぞれが、家族への土産や自分へのご褒美を買っていた。池永先生のような一人暮らしの女性は同僚への土産。僕も合わせて買い物をする。
そんな中、速水さんが割と大きめの鈴を買っていたのが印象的だった。
青山先輩が「こういうのも意外と楽しいわね。休部するんじゃなかったわ」と悔しそうに言うと、
速水さんが「青山さんは、文芸サークルが怖いんじゃなかったのかしら?」と皮肉った。
「幽霊の話でしょ・・あれは、部室だけの話よ。今思い出しただけでも、ぞっとするわよ」
そう言った青山先輩に小清水さんが「私もその話、聞いたことがあります」と合わせた。
それを聞いた池永先生は「こんな夜に幽霊の話なんてやめてよぉ」と大きな胸元を両腕で抱き言った。
一通りのことを済ませると、僕たちの歩みは目的を失い、ただのぶらり散歩に変わる。
時刻は8時・・人通りも多い。特に幽霊の出番のような状況ではない。
それよりもさっきから男どもの視線が気になる。
中年の酔っ払い連中。ガラの悪そうな若い奴ら。
そんな男の視線はサークルの女子たちが男連れだと分かった時点で、たいてい興味の範疇外になってしまうのだが、中には僕と和田くんの存在を無視して声をかけてくる輩もいる。
そんな場合、わが文芸サークルの女子たちは・・
小清水さん・・ひたすら逃げる。
青山先輩は相手を完全無視。眼中にないことに徹する。
速水沙織・・相手を睨む・・「何か用かしら?」眼鏡の奥がギラリ!
そして、予想通りの困った人は、池永先生・・その都度、声をかけられる度にご丁寧に相手をする。
一応は「ごめんねえ。私、この子たちの引率者の先生なのぉ」と断る。
いや、僕たちが先生を引率していると思うのだが。
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