第78話 池永先生の言葉①

◆池永先生の言葉


 しばらくして腕や体をを見ると僕の体はゼリー状から元に戻っていた。

 今度は堂々と喫茶店のドアを開け中に入った。当然、誰も怪しまない。

 店内の席に戻ると、

 池永先生に「あれっ・・鈴木くん、今、外から入ってこなかった?」と訊かれたので、「違いますよ、トイレですよ。長くてすみません」と答えた。

 先生は続けて「すごく長い時間だったわよね」と言って、「鈴木くん、お腹の調子が悪いの?」と心配そうに訊ねた。


 僕は「昨晩食った牡蠣が今頃・・」と適当な言い訳をした。

「鈴木くん、ごめんねえ、先生、そうだと知らず、アイスコーヒーを無理やり飲ませたりして」先生はすごく申し訳なさそうに言った。

 確かにお腹は冷える。でも、先生は全く悪くない。


 僕は先生が落ち着くのを見て、

「先生・・あの男・・先生につきまとっている男、もう現れないと思いますよ」

「ええっ? 本当? でも鈴木くんにどうしてそんなことがわかるのよぉ」

 先生は空になったコップの氷をストローで回しながら言った。

「それに鈴木くん、その人の顔、知らないでしょ?」

「知らないけど・・なんとなくです」そう答えるしかない。

「あの人、けっこう、しつこいのよ」

 先生はそう言った。「そんな簡単に・・」


 先生は窓の外から男に監視するように見られていたことに気づいていない。

 今も、隣の席の中年男が先生のミニスカートから伸びた足やその大きな胸を見ていることにも全く意識が及んでいない。

 今度、先生の周辺、いや、校門の近くにあの男がまた現れるようなことがあったら、今度は別の方法をとろう。だが、そんな必要もない・・そんな気がした。


 先生との距離・・こんな事件めいたことがきっかけで、池永先生という学園のマドンナ的存在の人と親しくなった。

 他の男子のように先生を見ても胸がときめくこともない僕にとっては特に嬉しくもないが、母や親戚の叔母さんの次に親しい大人の女性ができた気がした。

 学校で困ったことがあったら相談できる。少なくとも担任の先生よりはましだ。

 それに何となく親しみやすい。

 けれど、世の男子はそんな先生の雰囲気よりも外見を優先するのだろう。

 さっきのつきまとい男や、まだ先生の体を時々盗み見ている中年男のように。


 先生との話題は、つきまとい男から、クラブ活動の話に移った。

 先生があまり本を読まないことの話や、部員の話・・小清水沙希さんは真の文学少女だとか。

 そして、速水部長の話に及ぶと、

「あれから、速水さんと個人的な話をした?」と先生は訊いた。

「ええ、まあ・・」僕は曖昧に答えた。

「速水さんの家の事情・・ちょっと複雑だったでしょう?」

 そう先生は話を切り出した。

 まだ僕は「家の事情」とか言っていないぞ。

 それ、言って大丈夫なのか? 先生として。

 けれど速水さんのことを聞き出すには丁度いいタイミングだ。


「でも、今の速水さんの家の・・・確か、叔父さんだったかしら?・・良い人でよかったわ」

 その話は、あの廃墟となっている家の庭で速水さんから聞いた。

 現在、速水さんがお世話になっている須磨の家・・それは速水さんの母親が無理やり押し込んだ家だ。救いなのは、子供のいなかった叔父さん夫婦がいい人だったこと。

 そして、実の母親は内縁の夫とこの町にに住んでいる。

 僕が知っているのはそこまでだ。

 池永先生はそれ以上のことも知っているのだろうか?


 僕は「速水さんの叔父さん、本好きらしいですね」と言って、僕の知っている情報だけを話し、先生から新しい話が出てくるのを待った。

 すると、先生は、

「私は、その叔父さんに会ったのは一度きりなんだけど・・あの男・・にはちょっと参ったわ」とイヤなことを思い出したように言った。

 先生はその男に会ったことがあるのだろうか?

 僕はすかさず、

「その男の人って・・速水さんの父親・・いや、内縁の・・」と少し曖昧に言った。

「そうそう・・内縁の・・速水さんもイヤな思いをしたわよねぇ」

 イヤな思い・・それだけではわかならない。

 僕は「確か・・キリヤマ・・という名前でしたよね」と返した。

 僕がそう言うと、

「ああ、思い出したくない名前だわ・・」

 先生は背筋をぶるっと震わせながら言った。

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