第68話 差し出された傘③

 だが、次の瞬間、

 僕は全く別の行動をしていた。なぜだかわからない。

 今は必要のない行動・・僕は旧校舎の方を振り返っていた。

 二階の部室のある窓、そこにはカーテンにその半身を隠した速水沙織が佇んでいた。

 

 僕は絶対にそこには速水さんの姿があると思っていた。

 速水さんは僕の行動を暖かく見守ってくれているのだろうか?・・

 それとも応援?・・

 違う・・速水さんはそんな人じゃない・・

 

 ダメだ。意識が・・別のことに飛ぶ・・僕が好きな人は・・

 僕は走ることをやめ、ゆっくり歩いていた。

 こんな迷いの中、僕は水沢さんに声をかけることはできない。

 だったら、どうすればいい?

 水沢さんはもう10メートル先にいる。

 このままだと、水沢さんは人の気配で振り返る。僕に気づいて「何の用?」と訊かれるだろう。

 僕は言葉を用意していない。言葉が消えていた。


 こんな時、体が透明だったら・・

 水沢さんに会わず、引き返せる。

 けれど、こんな状況だ。絶対に眠くならない。

 速水さんのように、何かの意識と同調できれば・・

 やってみよう!

 念ずるんだ。

 こんな不甲斐ない僕は・・

 影の薄い僕は、好きな人を目の前にして何にも言えない僕は・・

 そんなマイナス的な言葉を心の中に並びたてるのと同時に、

 あの透明化する時の、自己の存在を保とうとする、睡魔と闘う時の状況を頭に取り込んだ。


 なれ! 

 影のうすい僕は、透明になるしかない!

 全てを同調させる。腕を見る。足元を見る。

 ゼリー状だ。思念の同期化成功だ!


 透明状態のまま、水沢さんに会わず、引き返せばいい。

 透明だから気づかれない。

 僕は体を反転させた。

 と、その時、


「誰かそこにいるの?」

 僕の心臓が一瞬跳ね上がった。

 僕はその声に静かに振り返った。

 合うはずのない目が合った・・ような気がする。

 じっとしていろ!

 水沢さんには僕は見えないはずだ。

 しかし、

 おかしい・・

 水沢さんの目は正確に僕の方を見ている。 


 すぐにその理由がわかった。

 水沢さんは僕の姿が見えているわけではなかった。


 ・・それは雨だった。

 水沢さんは雨を見ているのだ。

 雨が僕の体に当たって・・その撥ねる雨が人型を作っているのだ。

 腕を見ると、雨がしきりに撥ねている。そして、それは腕の形となっている。


 水沢さんから見れば、僕は怖い姿をしているのだろう。本当の化物だ。

 ごめん・・水沢さん・・こんなことをして。水沢さんが怖がるようなことをして。


「鈴木くん?」

 傘を少し上げて水沢さんは僕の名を口にした。

 ?

 え?

 どういうことだ・・なぜ僕の名を口にしたんだ?

 水沢さんには絶対に見えていないはずだ。

 そう思った時、

 水沢さんは傘を僕の体の上に差し出した。

 どうして?

 それに体が近い・・近すぎる。心臓の音が聞こえそうだ。

 僕は声を出さない・・声を出したら終わりだ。

 僅かに水沢さんの匂いがした。

 校舎の裏庭で、互いの手が触れた時の匂いと同じだ。

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