第49話 オーラと雪国

◆オーラと「雪国」


 クラスの田中が水沢純子にふられた・・そんな噂を右隣の男子、佐々木が言っているのを耳に挟んだ。

 田中は佐々木の更にその右に座っている男だ。僕なんかと違い、スポーツもできるし、成績も10番以内だ。顔もそれなりにいい。これも僕とは大違いだ。

 当然ながら、影も濃い!

 そんな奴も水沢さんにはふられる。

 特に珍しい話でもないらしい。

 高校一年の時、水沢さんとクラスが一緒だった奴の話によると、その一年間の間に、一〇人以上は水沢さんにふられたということだ。その告白が、電話なのか、手紙なのか、それとも口頭によるものなのか、まではわからない。

 そんな噂を聞いているから、僕の初恋は、永遠に片恋なのだ。

 ずっと、片恋の状態でいいとも思っている。


 けれど、最近は少し、その気持ちが変わってきつつある。

 それは水族館で一緒になってから、裏庭で彼女の手に触れてから・・そんな過程があって・・もっと彼女のことを知りたい、そう思うようになってきた。

 水沢純子には、好きな男子がいるのか? いたとして、もうその相手とはつき合っているのか?

 それは水沢さんの友人である加藤ゆかりに訊けばわかるんじゃないのか?

 いや、それを、悪い結果を知ってしまえば、辛くなるだけではないのか?

 

 僕はこのままの状態で、水沢さんとの繋がりをもっと深く求めている。

自分に都合の悪い・・自分が傷つくことは避けて通ろうとしている。


 はっ!・・

 思わず、眠く・・透明になるところだった。

 いや、眠くではなく、放心状態と言った方が正しい。


 僕は今、文芸サークルの部室にいる。本を開いたまま、ずっと水沢さんのことばかり考えていたのだ。

 僕の正面にはテーブルを挟んで前髪を綺麗に揃えた小清水さん。僕と同じように文庫本を開いている。

 速水沙織は、現在、図書室で本日の黙読用の本を物色中だ。


 小清水さんの読んでいる本は、以前僕が読んでいた川端康成の「雪国」。

 僕は、前回の読書会の課題図書の「冬の夢」が気に入ったので、同じ作者の「ギャツビー」を読んでいる。翻訳は野崎孝。小清水さんのおススメだ。

 

 僕が本から顔を上げたので、同時に小清水さんも顔をあげ、僕を見た。

「鈴木くん・・何だか、無心に本を読んでいるから、声をかけ辛かった」

 いや、本を読んでいたわけじゃない・・水沢さんのことを。でも、それは言えない。

「ほ、本を読みながら、別のことを考えていたんだ」

 本の内容が全く頭に入っていなかった。

「えっ・・なになに・・教えて、鈴木くん」

 小清水さんは本をパタリと閉じ訊ねてきた。

「・・好きでないことはない・・」

 いや、違ったか、好きなことはない・・だったか。いや、それはもう好きじゃないだろ。

「何、それ?」

 訳の分からない顔をする小清水さんに、先ほどの水沢さんとのやり取りを説明した。

 かなり後ろの席の小清水さんには僕たちの会話は聞こえていない。

 話を聞き終えると、小清水さんは「言葉って、難しいわね」と言った。

「私が思うのに・・たぶん、『好き』をまわりくどく、言ってるだけだと思うけど」

「ややこしいな」

 もうただの文法を超えてるんじゃないか? まわりくどすぎるぞ。


「私なら、ストレートに『好き』って言うなあ」と天井を見ながら小清水さんは言った。

 いや、そういう話じゃないんだけど・・とは言わないでおいた。

「僕も・・そうかな」

 僕がそう言うと小清水さんは「鈴木くんも?」と言って、なぜか嬉しそうにする。

「そっかあ・・鈴木くん、一緒だね」

 満足そうに言った後、

「鈴木くん、最近、水沢さんたちと仲がいいのね。今日も楽しそうに話してたし」と小さく言った。

 小清水さんの席から見えていたのか・・


 僕が「加藤さんや水沢さんとは席が近いからな」と言い訳のように言うと、

「水沢さんは男子に人気があるし、綺麗だから。普通、遠慮しちゃって、あまりしゃべれないらしいの」

 それは僕も・・そうだった。今は、ぎこちないが、何とかしゃべれる。


 小清水さんは「私、勝ち目ないなあ・・」と誰ともなく言った。

 続けて「水沢さん、成績、トップだし、綺麗だし・・」と水沢さんを称えるような言葉をたくさん並べ立て、

「私なんて、何の取り柄もないし、本ばっかり読んでいる、ただの内気な女の子だもの」

「そうかな・・そんなことはないと思うけど・・小清水さんには、水沢さんとはまた違う魅力があると思うけどな」

 そんな僕の慰めのような言葉に少し笑みを浮かべたかと思うと、その顔はすぐに曇り、

「ううん、違うのよ・・意味が違うの・・・『オーラ』っていうのかな?」

「オーラ?」

 それ、本当に人の体から出ているのか?


「ほら、私が人と話さないでいると、ただの暗い女の子になるでしょ・・でもね、水沢さんのような女性は黙っていても、暗くはないし・・口数が人より少なくても、そんな感じはしないの・・逆に素敵に見えるくらい・・」

「うーん・・何となく、言いたいことはわかるけど」

 それ、おそらく、影が濃い、薄い・・のことだよな。

「それがオーラの違いなの・・」

 オーラという言葉をすごく自己憐憫に使うんだな。

「でもなあ・・」と僕は切り出した。

「それは受け取り方の違いなんじゃないかな・・」

「受け取り方?」

「オーラを疎んじる人だっているだろ」

「そ、そんなことないよ。人の・・女の子の魅力って・・やっぱり、オーラだよ」

 小清水さんはムキになって反論する。「私、オーラ出てないもの」

 どう言えばいい?

「私の横に座っている男の子なんて、授業中、ずっと水沢さんのことを見てるいるし」

「それって、わかるのか?」

「わかるわよ」

 自信たっぷりに小清水さんは言った。

 それって・・ちょっと、まずいよな・・僕が水沢さんを見てるのも、誰か気づいているのか?

 加藤ゆかり? 速水沙織?

 当の小清水さんは?

 いや、そんなのわかるわけがない。視線の先まで、わからない。心の中だって、誰も読むことはできない。


「しかし、人の心って」

 僕は「人の心はわからない」・・と、そんな意味のことを言おうとすると、

 小清水さんは、急に、

「・・・その時は、好きだとも言わなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね・・忘れられないのね・・」

 え? 何、それ? 小清水さん、何を言っているんだ? 

 でも、その言葉、どこかで聞いたような・・

「いいセリフですよね・・この『雪国』の中に書いてある言葉」小清水さんは雪国の文庫本を開いて言った。「鈴木くんも読んだのよね」

 あ・・僕は読んでいるはずなのに、すっかり忘れている。


 ・・好きだと言わなかった人の方が・・いつまでも・・残る。

 具体的にはどういうことなんだろう?

 僕が水沢さんに告白すれば、その先、どうなるのだろうか?

 いや、そんな意味じゃない・・


 そんなことを考えていると、

「楽しみだね。合宿・・」

 小清水さんはそう小さく言って、

「鈴木くん・・こ、この前、池永先生が言ってたこと、気にしないでね」

「池永先生、何か言ってた?」

 小清水さんは「鈴木くんが、私のことを・・」と言って、途中で澱んだ。


「ああ、あれなら、全然、気にしてないよ」と僕は言った。「池永先生の冗談だろうから」


 僕と小清水さんの会話が終わりかけた頃、

 バンと部室のドアが開いて、

「やっと、見つけたわ」

 と、速水部長が一冊の本を抱えて現れた。外国文学のようだ。

「まったく、フローベールの『ボヴァリー夫人』を書棚から探すのにこんなに苦労すると思わなかったわ」

「また、変な所にあったんですかぁ」と小清水さん。

「そうそう。本当に変な所よ。ボヴァリーだから、ハ行にあると思って探すじゃないの」

「そうですよねえ」

「けれど、この本、マ行にあったのよ・・『マダム・ボヴァリー』よ」

 何だそれ? 英訳の題名を日本のアイウエオ順に突っ込んでいるのか。

「そんなの誰だってわかりませんよねえ」

「分からないわよ。図書委員も、ちょっとマニアック過ぎるわよ。少々文句を言ってやったわ」

 そんなぷんぷん顔の速水さんに小清水さんは静かにお茶を入れた。


 そんな風にして、いつもの放課後の黙読会が始まる。

 小清水さんは川端康成の「雪国」

 速水部長沙織はフローベールの「ボヴァリー夫人」

 僕はフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」


 互いに本を読んでいる時は沈黙を保つのが、礼儀らしい。

 それなら、互いに家で本を読めばいいじゃないか、と最初は思っていた。

 だが、今はそうは思わない。これはこれで楽しい。

 沈黙を保ってはいても、時折、思い出したように、本の感想や、名言が飛び出す。先ほどの小清水さんの「雪国」のセリフのように。

 そこから話が派生して、他の話になったりする。これは経験した者にしかわからない楽しみ方だ。


 僕の読んでいる本・・「グレート・ギャツビー」

 ギャツビーは失った恋人、デイジーの家の立つ湖畔の向かいに家を建てた。

 いつか、デイジーの目に留まり、来てくれることを願った。

 毎夜、ギャツビーは湖畔の向こうのデイジーの家の灯りを見ていた。

 だが、現実にデイジーに会ってみると・・・

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