第10話 妹で実験する

◆妹で実験する


 今回の件で透明化している時間は非常にあやふやなものだと分かった。アインシュタイン先生の眠くなる解説でも、2時間も透明化していなかった。

 こんな不確定な時間だと、やましいこともできない・・するつもりもないが。


 つまり、あまり役に立たない能力だということだ。

 水沢純子とご対面はできたが、透明化が直接役に立ったというわけでもない。

 普通の体であの時間に行っても会えていた。


 それにこの透明化は謎が多すぎる。


 第一、何で眠気と戦うと透明になるのかわからない。

 自分を律し、自己を保とうとすると、

 自分自身の姿がなくなるっていうのか。 


 そして、第二に・・

 透明化している間、鏡で見ると僕の姿は見えない。

 だが、母には僕が見え、後ろの席の速水沙織にも見えていた。

 おかしい・・鏡にさえ映っていない僕が二人には見えているのだ。

 おかしい、おかしいぞ・・この二人の共通点は何だ?


 母・・肉親・・

 速水沙織・・ただの女子高生・・血の繋がりはない・・当たり前・・

 うーん・・わからない、わからないぞ・・

 ただ、血の繋がりが関係あるとしたら、妹のナミだ。

 ・・僕はそれを試さないといけない。

 血の繋がりと、この透明化は関係があるのか?

 この実験は母のいない所でしないといけない。母には見えて、妹には見えないとなると大変だ。


 物は試し、さっそく・・僕は百科事典のコピーを取り出し、読み始めた。眠気を誘うためなのだが、あれ? ちっとも眠くならない。

 それもそうか、今日はあの初恋の女の子、水沢純子に会えたのだから。きっと体が興奮しているんだろう。


 そう思っていると、部屋のドアが荒くノックされた。

「兄貴、入るよ」

 妹のナミだ。

 まだ返事もしていないのに、ずかずかと入ってきやがった。

「兄貴さあ、和英辞典持ってるよね?」

 風呂上りなのか、髪が濡れているのがわかる。ちゃんと乾かせよ!

 僕が「持っている」と答えると「ちょっと、貸して」と言って、僕の差し出した和英辞典を取り上げた。

 そして、

「ねえ、兄貴、私の英語の発音っておかしい?」

「へ?」

 発音?・・何を言い出すんだ。お前、英語の発音以外でも全部おかしいぞ。

「ねえ、ちょっと、聞いてくれる?」

「何を?」

「だから、私の英語を!」

 少し怒ったようなナミは予め持って来ていた英語の教本を広げ読み始めた。

「I will never forget……

 確かに発音が悪い。それにイントネーションが間違っている。おそらく教師に指摘されたのだろう。

 もう終わりかと思っていたが、ナミはまだ読み続ける。

 どう言ったらいいのか? 

 褒めて伸ばしたらいいのか? それとも正直に言って・・


 あれ? 

 眠くなってきた・・さっきの相対性理論がまだ頭に残っていたのか、それともナミの下手な英語が子守唄に聞こえてきたのか?

 ここで眠ってしまったら・・

 ま、それでもいいのか? 元々実験をするつもりだったんだから。

 いや、今はまずいだろ・・

 ここで透明になったりしたら・・

 ああ、ダメだ。今度は自分自身の思考が子守歌になってきた。


「あれ、兄貴?」

 ナミが僕を凝視し始めた。大きな目が更にダイナミックに大きくなる。

「あれえっ?」

 まずい! 

 これはまずい。おそらく透明化したんだ。

 ナミは僕の方を、普段はまともに目も見ない僕の顔を直視した。

 ナミの顔がゆっくりと近づく・・お互いに目が合っているはずなのに、ナミはそうは思っていない。

 ナミ、結構、可愛い顔をしてるな。

 顔が近すぎて声が出ない。

 本当に僕は透明化しているのか? 壁掛け鏡を見ようとしたが、

 それより急務の問題は、

「おっかしいなあ・・」

 ナミは目を擦りながら「やっぱり、目が悪くなってんのかなあ」と言い、僕の体に手を伸ばしてきた!

 体に触れられでもしたら大変だ。ああっ、そこはダメだろ!

「ねえ、兄貴・・そこにいるの?」

 ナミの伸びてきた手から体をそらそうとしたが、ダメだった。

 ナミに触られた。胸の辺りでよかった・・それより、

 次の瞬間、

「うわああっ!」デカすぎるナミの絶叫。

 ナミのツインテールがブンブンと上下に揺れた。

 ナミの体はクルリと反転し、部屋の外に駆け出した。

「ひええええっ!」驚きの声は泣きべそのような声に変わった。


 階段をバタバタと駆け降りる音が響いた。

「お母さん! 兄貴がっ・・お兄ちゃんがああっ!」

 聞いたこともないナミの激しい声。久々の「お兄ちゃん」という呼び名を訊いたぞ。

「お兄ちゃんの体が・・うっす・・・うっすら・・まぼろしにっ!」

「まぼろし」・・まさか、透明でもなく、半透明になっているのか?

 僕は改めて自分の体、首から下、そして、下半身を見た。

 あれ? 見えているぞ。

透明じゃない。いや、待て待て、透明かもしれない。また脳の神経が実際の視覚を補っているということもありうる。

 鏡は・・

 透明だ!

 半透明ではなく、透明だ。しかし、妹は・・

「また、バカなことを言って」

 階下から母の妹を制する声が聞こえてきた。

 果たしてナミは母の言葉で納得するのか?

「お母さん、本当なんだってば!」

 まるでわが家の幽霊騒ぎだ。


 バタバタ、ドスドス・・

 今度は階段を二人以上の人間が、上がって来る音がした。

 開けっ放しのドアから母とナミが入ってきた。

「一体何なのよ」母がナミに言った。「別に何もないじゃないの」

「あれっ? おっかしいなあ」

 ナミは僕の体を舐め回すように凝視した。

どうやら、僕の体は元にもどっているらしい。

「道雄、ナミが変なことを言うのよ」

「ナミは何を言ってるんだよ?」

「道雄がまぼろしに・・って」

 まぼろし・・

「だってさ、さっき、お兄ちゃん、体がウスかったんだよ!」

 影が薄い・・体がウスい・・

 同じ親から生まれた妹に言われるとグサッとくる言葉だな。


 母が「この部屋、ちょっとウス暗いから、そう見えたんじゃない?」と言って「明日にでも、蛍光灯を取り換えといて」と続けた。ついでに母にも「ウスい」と言われた気がした。

「蛍光灯が、うす暗いせいじゃないんだよ!」

 ナミは何度も僕の体を見た後、触りはしなかったが、

「なんだ、私の気のせいかあ~・・」と言った。

「そうそう・・きっと気のせいだ」僕はナミの感情を抑えこむように言った。

「私、勉強のし過ぎで疲れてたのかもね」

 ナミの言葉に「それほど、勉強してるのか?」と僕が言うと、

「してるよおっ、・・私、頑張って英語の発音、直すんだからあっ!」

 そんなやり取りを見て母が、

「ほんと、バカなことばかり言ってないで、ちゃんと宿題もしなさいよ」

「は~い」

 そんな母娘の受け答えをした後、母とナミは部屋を出ていった。

 部屋を出る瞬間、ナミは僕の方をもう一度確認するようにチラリと見た。


 さて・・

 僕の体が透明状態の時、どうして妹には半透明に見えたのか?

 なぜなんだあっ!

 こんなこと、誰にも聞けないよな。

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