〇五 三一〇秒



 悪意なく、じゅんぼくに、しかしうるはあどけなくもさいだんするのだった。そして潤はまたひとつ、黄色いおはじきを、さっと――悩む余地のいちごうも見出されずに、はじく。

「さっちゃん、ひょっとして弱いのかなぁ?」

 潤はさも意外とばかりに言うところ、ささやからすれば、確かにちらとも勝てる気配などないのだが、自分が弱いというよりは、潤が強いだけの気がしている。ちらと見れば、おどは一度きりで舌を出す。主人が疑問を言葉にしたゆえの返答、戯の返事は肯定であり、囁はおはじきが下手と蛇にまで言われたことになる。ただの芸だと囁には知れていも、腹は立つ。

 潤に友人がいない、すなわち潤に比較対象がないことが悪い。囁は一度の失敗もなく、自分の側のおはじき、赤色をしたそれをぶつけることをもって、見事、潤の側の黄色いおはじきを裏返した盆の外に弾き出している、普通、それを下手とは言わない。両者のどこで差がつくかというと、囁がひとつのおはじきで律儀にひとつずつ相手のおはじきを弾いているのに対し、潤は器用にも、一度にふたつみっつと弾き出してしまう。勝てる道理がどこにあるのか。

「ねえ、潤、そろそろ五分経つんじゃないの」

 どうしてこうして、自分の周りには何かとうわしかいないのかと、囁には悩まれる。ゆくを相手に将棋や囲碁で勝てるはずもなく、そもあてびとの名門出身であるしずは何かと教養が深い――れんを詠むまでもなく、例えばしりとりをすれば囁は必敗となる、あらたなど言わずもがな、殴り合いで勝てるはずもなく、そして花札でも勝てない。のひとつ、したくなってみてとうではあるまいか。

 思わず怒りを込めてしまったか、囁のぶつけた赤のおはじきは威力を持て余し、それを受けた黄色のおはじきのひとつは、勢い余って盆から跳ねて、湯の中に沈んだ。

「五分だったら、そうかもねぇ」

 潤はのんだ。正確に五分を数えることは、潤と囁、どちらもしていない。まさか行のほうだって、こちらが厳密に五分を計ると、そう思って伝えたことではあるまい。ちょっと後、くらいの感覚でいいはずなのだ。だいたいが、諸国連合内で暮らし、分という単位が今ひとつ掴めない。

 時間、分、秒、それらは西さいごく、海の向こうでの時間の数え方であるがゆえ。分だどうだという前に、なぜ真夜中にみょうにちが今日になるのだ、太陽が昇るというわかりやすい目印があるというのに、なぜそれを待たずして日付を変えるのか、と、囁には思われる。もっともそれは諸国連合内で日付のさかいが統一されていないということを意味して、実際、王城で行の誕生日が終わった時、新年が祝われたのはその真夜中だった。

 日付ならば、そちらはどこで区切っていますかで済むが、時間や分や秒となるとそうはいかない。西さいごく発祥の単位は、諸国連合内ではほとんど知られていない。しかし、一刻、半刻、四半刻、そういう時間の数え方をしていてはいくさではあまりに不便と、軍では西さいごくの時の単位、時間や分が採用されることが多い。

「んー、じゃあ見ておこうかなぁ、あっ、ねえねえ、一分って何秒か知ってるかなぁ?」

 ようようと言いつつ、風呂から身を乗り出す恰好の潤は、黄色のおはじきを弾く。ふたつみっつと、囁のおはじきを同時に飛ばすことがなかったのは、もはや囁の側のおはじきが残り少なく、この世の道理でもねじ曲がらない限り、一度に複数を落とすのはいかようにしても不可能であるからだ。あっなく、赤いおはじきがひとつ、岩の上に落ちる。

「うん? 一分? あー、いくつだっけ。秒、秒でしょ? 五十とか、百とか」

 囁は正しく答えられない。秒という単位が存在していると、そうと知るだけで、諸国連合においては、むしろ知見の深いほう。軍で時間や分という単位が採用されても、秒まで採用されることはまれだ。分が最小単位であることがほとんど。秒針のある西さいごくの時計は行き渡らず、四半刻が三十分、半刻は一時間、と、そういう理解をしている現状で、さらに細かいもの、秒まで持ち出すには至らないのだ。

「えっへへ、違うよぉ。西国の時計をもらった時、動くの数えてみたんだよねぇ、六十二だったよぉ。使わないもんだから、すぐにしまっちゃったけどねえ」

「へぇ、六十二秒」

 その時の潤は、自らに誤りがなかったか、二度三度と、数え直してみるべきだった。無論、一分とは六十秒なのであり、潤が余計なことに気を取られて注意力を欠いたために、秒を数えるうち、ふたつも要らぬ数が足されてしまったのである。それを訂正する者は今に至るまでなかった。潤があまりに自慢げに言うので、囁は「じゃあ、五分なら三一〇秒」と、そのまま信じた。

「三一〇秒なら、きっと経ったよねぇ。見なきゃだなぁ。家主はねぇ、家を守る責任があるからねぇ。住み込みの人もいるしねぇ」

 ぐさというのでなく、それもまた、潤のえいつわものの頂点としての品格というところだった。まさか、住み込みの使用人ひとりふたりの平穏が守れないで、どうしてそれが名乗れようか。それは同時に、囁が口を割る口実でもあった。つわものの頂点に恥を掻かせるわけにはいかないではないか、と。本心では、ただ茶が飲みたいだけだったとしても、ただのわるであったとしても。どうあれ、口にされる、じんには聞き取れぬことば、とがごとが。

魘魅えんみ

 潤は自然なままに目をつむる。開けたままでは、の景色は望めない。

 潤を頂点たらしめる咎言、これにより、潤は遠くの景色まで見通すことが可能になる。半里の遠くまでだ。潤を中心として、二千米キロメートル近い距離の半径を持つ球、その空間のどこであっても、咎言のを置ける。

 行たちのいる掘っ立て小屋まで、ゆうゆうけんない、見ることに不自由はない。小屋の中は薄暗いが、それは人の眼で見た場合であって、咎言の眼にあっては、昼の太陽のもとほどにめいせきに見える。

「しずっちが、潤の買った土地のさかいを読み取って、地図に書き込んでくれたみたいだねぇ。作戦変更だって。そう書かれた紙があるよぉ」

 もはやすうせいの明らかに決したおはじきを続ける意味があるか、ない、ないながらも、囁はどうしても悔しくて、せめてひとつでも黄色いのを落としてやると、もはや残りひとつとなった赤のおはじきを弾いた。やはり過剰な勢いで黄色のひとつは飛ばされ、潤の肌に当たってから湯に沈んだ。

「ゆっちからの指示、書き写すから、管理人さんに紙と硬筆ペンを用意してもらうね」

 潤はいったんを山のこちら側に置き直してみれば、具合良く、ぬいは窓から潤たちの様子を見ていたので、であれば潤は、縫に向け、大きく手を振って合図とするだけでよかった。

「あっ、さっちゃんたち、お仕事が終わったら、潤の別荘に泊まっていかないかなぁ。いつかそんな日が来るかもって、抜かりはないよぉ。お布団もだし、遊び道具もねぇ、だってあるし、ずっと遠くの東国から運ばれてきた、こっぱいっていう珍しいのもあるよぉ、そっちは遊び方、わかんないけどねぇ。ううん、歌留多だって、使ったことないけどねぇ」

 遊び方のわからぬものを遊び道具として提示されても、囁としては、どうともしようがないのだが、ぱいというからには、いっそ並べて倒して遊べばいいのだろうか。ふと、囁には疑問に思われた。

「んん? 管理人さんと遊べばいいでしょ」

 囁の見たところ、この世では珍しく、縫に潤を嫌っている様子はなく、頼めば喜んで相手をしてくれると思われたが、それは潤の品格には相容れぬものであったらしい。

「公私混同なんて、すっごいよくないよぉ。潤の遊び相手をするのは、管理人の仕事じゃないからねえ。さっちゃんたちが泊まってくなら、お客さんをもてなすのはお仕事だねぇ。泊まっていく?」

 囁としては、単に遊んで何が悪いのかと、そうとしか思われないが、長くつわものの頂点をやっていれば、仕事への意識もみつに形成されていくのかもしれなかった。

 どうあれ、いくら潤からの誘いであれ、囁の独断で決しても構わぬものではない、まして今ここには、国軍総大将まで来ている。

「僕は嫌じゃないけどね、泊まれるかとなると、ゆっちに聞いてみないとわかんないなぁ」言ってから、囁はふっと気がつくではないか。歌留多があるというのなら、遊び方もわからぬほど珍しいものがあるのなら、だ。「ところで、潤、遊び道具の中にすごろくってある? つまり、さいころで駒を進めるやつ」

 嫌ではない、のは囁の本心にしても、好んで泊まろうという気まで発展するではない。しかし、帰路に就く前に温泉と柔らかな布団――おそらくは最高級品の、それが味わえるのみか、野宿ないし粗末な宿への一泊が減る、魅力的に過ぎる。それよりも何よりも、元旦の借りを返す日が、早くも訪れたというのなら――


あめのたくたぎに、、と? 天地をひっくり返せと言われたほうが、よほどやすい」

 むらに紛れ、山中で身を潜めていたあらたはひとりでいたには違いないが、誰に聞かれずとも、口にしなければ気が済まなかった。ぬきを握る手が震える。煮え返るほどの血の気を無理に抑えようとするゆえか、憤怒か、ともかくも恐怖ではない。

 戦場で何十人を相手にしようというのではなかったため、今日の改は合金の防具をまとうことを選ばなかった。うぐいすの描かれたふかみどりどうを着るのみ、金属は光を反射するために目につきやすい、深緑の衣服なら森に紛れられる、手抜きではなく常道だ。戦をするつもりなのであれば、髪は両に分けることなく、後ろでひとつの三つ編みにしていた。結局、またも眼鏡はかけているのだが。

 囁がここに来て、作戦の変更を伝えたのは先刻のこと、その囁は今頃、自らの持ち場についているであろう、ならば、改はまさに行動を起こすべきなのだ。わかっている、わかってはいるが悩ましい。武芸を極め、戦いにのみ生きる天栲湍の誇りばかりが問題なのでない。

 ――決して戦うな、何も壊すな、しかし追い出せ、敵の持っている信号弾は絶対に上げさせるな。

 これは和語として成立しているのか、そのことからもう、改には怪しく思われてくる。もとより信号弾は上げさせるなとは伝わっていた、逃げ口があることも伝わっていた、しかし一方――信号弾は当然に許せる行為ではなく、もう一方――逃げ口は万一取り逃がした際、逃走経路はそこに限定しておけという言わば保険の一種だった。保険を使えと言われたことになる。無理難題とはこのこと。

あめのたくたぎあらたは、いかなる指示であっても、必ず遂行する。必ず。」

 常ならばおのれを奮い立たせるための言葉も、今に限っては、自分を納得させるためのにも近しかった。怒りも一周すればすいの心持ちになるものだ、改の震えはいつしか収まり、難なく、小太刀をさやに収めた。小太刀を選んだというのは、山小屋で戦いやすいように長柄ながえである槍を避けた結果なのであるが、脅かすだけならば向くまい。相手は鉄砲を持っているとも伝え聞いている。であれば――

瓊矛ぬほこ

 改は言った、己が身にのみ許された比類なき武威の神髄、その核となることばを。口にするとともに、生まれたけんらんな光がたばと集まり、改の右手のもと、光のみでその形状を成す二叉ふたまたほこが立ち現れる。

 こうともなれば、見た目に恐ろしいものがよかろう、盾の代わりとなるならなおよかろう。彩光の眩しい瓊矛ぬほこは、並みのたんりょくの瞳では、異様にしか映るまい。触れたものを塵芥ちりあくたとする矛であれば、鉄砲の弾は矛で受けさえすれば、無力に散る。

 思わぬ幸い、ここで改が咎言を言うのは、改の表情をあまりに、あまりに鬼気迫るものとした。

 もとよりが、いくら破門された身とはいえ、天栲湍の本家とは、諸国連合内に武名を馳せて余る武家の頂点のひとつであり、改はさらにその頂点になりゆく次期当主の妻だったのであり、自らも武人――

 自慢の矛をに使うなど、いかにして我慢なろうか、いな、断じていな

 しかしこれ幸い、無理難題だったはずのものが、改にはそうでもないように思われてきた。改は葉を掻き分け、ゆるりと歩き出し、堂々と山小屋に向かうのみなのだ。

 気づかれてやる義理もなく、光は漏らしながらも巧みに進み、さっと小屋の前まで歩み出ると、窓から外を見張っていたらしい一党のひとりと目が合った。だからどうということもない、改はにこりと微笑んでさえやった――怒りの発露のひとつであるとしても。こそこそしていて相手が脅えようものか。それに、戦うなというのである。ならばいっそ、礼儀良くしてやる以外にどうしようというのだ。

 開き直る思いで、見張りの男が目を見開くのをにかけず、改は山小屋の幾分か朽ちた戸を、矛を持たぬ左手の甲で数度叩いた。

「ご機嫌いかが。申し訳ないのだけれど、この山小屋の地下から坑道に入れるのでしょう。今すぐに、そこから全員で逃げてもらえないかしら。そう、こなじんにされたくなければ。」

 何もかも無考え、というのではない。頭上が開けていなければ当然に信号弾は撃てない。小屋の中から撃てるはずもなく、窓は矛の届く距離にある、いくらでも阻止しようがあるはずだった。

 とはいえ、温厚な声音の奥からほとばしる暴威は計り知れぬというのだ。

「ねえ、私にも、我慢の限界というものがあるの。言っていること、わかるかしら?」

 暴発寸前の自棄やけなのであり、果たして暴発を防げるのかどうか、改自身が誰よりもわからなかった。




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