〇三 公私の別
「ずいぶんと
睦の右隣に座るのは
寸法を合わせるついで、ひと工夫が
上半身をその
「まあまあ、そう言わないでやってよ。こんなでいて、連中、相当がんばって建ててくれたよ。腕利きの職人引き連れてさ」
小屋の内装、さらには外装も、国軍を
行の
「そうでしょうとも。皮肉で言ったわけではないですから。見たままの感想です」
睦が確信のもとに言うのを聞いて、要らないとりなしだったようだと、行はひとつ納得した。
「立派……なのですか?」
旅装で来たのは行と同じくだが、まさか一枚一枚脱ぎ捨ててしまうわけもなく、しかし暑さに文句も言わず、睦の左隣に座っていた
「立派?」
皮肉だとか、気を利かせたとか、そのたぐいではないらしい。わからない。
行は沈の疑問を拾わず、地図上、山頂近くの一点を指で差して言った。掘れば湯が湧いて出そうな土地だな、などと思いつつ。あるいは、知られていないだけで、とうにどこかで掘り当てているか。
「ま、爺ちゃん元将軍のいる山小屋と比べれば、豪邸みたいなもんだよ」
沈には、今いる小屋が比して豪邸となる山小屋など、それは
睦は
「いわゆる
睦に問われ、行は半ばまでは呆れ顔となりつつも、やはり称えずには済まないだろうというのが残り半分だ。
「いやあ、
あの別千千行に、超上級とまで言わしめる。老いようとも追われようとも、知謀計略においては誰ひとり自らに
「敵も
決して侮ることなかれ、気を怠るなかれ、その認識については行も同意見だ。どこにどんな布石を打ってあるか、知れたものではない。ただ、それとは全く別のところで、行は不服を申し立てた。
「睦姉ちゃん、相変わらず敬語で話すのやめない?」
当初こそ緊張したが、元来が適応の早い行である、繰り返して〈睦姉ちゃん〉と呼ぶうち、姉貴分がいるのだ、という感覚をすぐに体得して、自然とそう呼びかけられるようになった。しかし、敬語で返されるのでは、いかにも味気ない。
「公私の別というものがあってですね。みんなで
「
言われて、睦は押し黙らざるを得ないというのだ。無駄な抵抗で、行からの反論のほうが明らかな正論だった。先の
「行、あなたは軍に属さない、よって姉ちゃん呼ばわりでもかまわない。ただし、戦場で甘やかしてもらえるとは思わないように」
睦の言うことは理解した、が、いくらか、行は呆けた。ああ、自分の名が呼ばれたのだ、その理解に至るまでに時間を食った。
「何か不服でも? 行」
言わぬでもいいところで重ねて名を呼んでくる。「自分から言っておいて何だけど、けっこう恥ずかしいね、これ」と、行は
「かの天才戦術家、別千千行の言うところでは、恥じらいで
行としては、なまじな遠慮などないほうが喜ばしいには違いない、が、未体験のことを正しく想定せよというのも、
さて、何からどう説明したものか、命令に背く気はない、が、いかようにも話しうる中、経験不足ばかりは否めない姉貴分に、もっとも益をもたらす順序はどうなるか、行は頭を巡らせた。戦い抜けば、歴史に名を残すほどの
立派な掘っ立て小屋との
「目立たないように連れてきた列椿国軍の精鋭二〇〇は、この小屋の周りにいてもらう。戦端が開かれるまで、作戦の進行は山中に配置した
言いつつ、囁と改の位置等々、地図に書き入れて説明を深めようと、行はそこに転がっていた朱の鉛筆に手を伸ばした、皮肉なことに、
掴めなかった。
前触れなく、小屋の床板が重く
その何ものかは、鉛筆をたどたどしくも書き損じなく動かし、行たちの座っている一方とは反対から、何やら地図に書き込んでいく。動くにあたって狭いようで、何やら知れぬものが木材の壁を擦る音が断続的に続く。
逆さではあるが、わかる、最初に書かれたのは『う』だった。文字であろう。敵対行為があるでない、座ったままの三人は黙し、何ものかのやりたいようにさせていると、書かれる文字はすぐに文章となった。
――うるのとち あらすな
まさかとは思えど、我が目を疑うとも、こんな芸当で意向を伝えられる者など、この世にふたりはいなかろう。まして、文中に『うる』があるとなれば、悩む余地もない。『
これは、
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