〇三 公私の別



「ずいぶんとりっな掘っ立て小屋ですね」

 すぎの机を前に、中央の席、雑に作られたやはり杉の椅子に腰を下ろしてからしばらく、屋内をくまなく見回してから、就任して幾日も経たぬ、新任のつら椿つばき国軍総大将、おとぶきむつは率直な所感を述べた。白銀を基調に飾り立てた総大将のためのよろいは、昨日初めてまとったばかりだった。無論、急ぎで仕立てるわけもなく、従前より用意されていたのだが、動きを制限してしまうような飾り気のないあたり、ゆくが気を利かせたらしい。前任の総大将は、いくさで動き回るより碁を打っている時間の方が長かった程だが、むつはそうではない。

 睦の右隣に座るのはゆくだ。自分が指揮官ではないゆえ、こんじきの陣羽織は着込まずに済む。せいであり、屋内ともなれば、もとより簡易な旅装だったものを、まだ暑い、暑いと、着る物を減らしてしまい、うわばりなど、椅子の上、今は座布団の代わりにされている。行は、きょうたいを着てきたことをとうに後悔していた。西さいごくで開発された胸部を覆う下着なのであるが、西国の者たちは、corsetコルセットが体に悪いと、ようやくながら気づいたらしい、その、胸部分だけが残った物だ。

 寸法を合わせるついで、ひと工夫がされている。これを着ると、行のな胸が、多少ながら膨らんでいるように見える。嘘偽りはことゆく十八番おはこだ。あらたいわく、文化のうえでは大きな胸は上品でないとされているが、男にとってそうではない、と、身もふたもないが、真実などそんなものだろうと行は思う。これで男の反応がくなったかはまるで知れない、そして、結論はひとつだ――夏に着るものではない。

 上半身をそのきょうたいが残るのみにしてしまってから、机に広げられた近辺の地図を見やりつつ、一応はとりなしておくべきかと思い、行は口を開いた。なにせ、見た目からすれば、この小屋は粗末にもほどがある。

「まあまあ、そう言わないでやってよ。こんなでいて、連中、相当がんばって建ててくれたよ。腕利きの職人引き連れてさ」

 小屋の内装、さらには外装も、国軍をとうすいする総大将、軍のみでない、つら椿つばきであれば、政治を差配するもっとも上の立場も兼ねる、その地位にある者を招き入れるには、およそふさわしくない。木材は肌があらいまま、ろくな広さもなければ窓もない。頭上から光が漏れ入るのみで薄暗い。就任からたった三日目とはいえ、よわい二十六の若さとはいえ、総大将であるのみか、しょうの位階さえ持つのだから、当人が睦でなければ、いずれかに処罰が下るほどには問題である。

 行のげんに疑問を持たず、むしろ理解し、睦も同じく地図に目を向けた。

「そうでしょうとも。皮肉で言ったわけではないですから。見たままの感想です」

 睦が確信のもとに言うのを聞いて、要らないとりなしだったようだと、行はひとつ納得した。

「立派……なのですか?」

 旅装で来たのは行と同じくだが、まさか一枚一枚脱ぎ捨ててしまうわけもなく、しかし暑さに文句も言わず、睦の左隣に座っていたならびおもいしずは、粗末がどうこうと言うつもりはなかったが、言葉の意味がわからなくなった。家を出た身とは言え、ならびおもいあてびとの名門、その令嬢を入れるとなると、本来ならばやはり問題である。

「立派?」

 皮肉だとか、気を利かせたとか、そのたぐいではないらしい。わからない。しずの知る立派の意味と、目の前の現実が一致しない。

 行は沈の疑問を拾わず、地図上、山頂近くの一点を指で差して言った。掘れば湯が湧いて出そうな土地だな、などと思いつつ。あるいは、知られていないだけで、とうにどこかで掘り当てているか。

「ま、爺ちゃん元将軍のいる山小屋と比べれば、豪邸みたいなもんだよ」

 沈には、今いる小屋が比して豪邸となる山小屋など、それはうさぎくらいのものではないかと思われるのだが、まさか人間がそこに収まるわけもない。行がわかっていればそれでいいことなのだろうと結論し、何も言わずにおいた。

 睦はめつけるよう、地図に視線をぶつける。まさか総大将となって初の指揮で、前任の総大将、よろづおやぬしたたを相手取ることになるとは思わなかったが、一部ではもとよりの予定であったらしい。その時分には睦はまだじゅしちであり、いっかいいくさびとに過ぎなかった、まさか、最高機密に値するような軍の計画が明かされるはずもない。

「いわゆる武力政変クーデターしていると、そのような話でしたが、いっちょういっせきで仕込めるものとは思えませんね。いったいいつ頃から?」

 睦に問われ、行は半ばまでは呆れ顔となりつつも、やはり称えずには済まないだろうというのが残り半分だ。

「いやあ、けんぼうじゅっすうの権化、。ちょっと上級過ぎて教科書にもならない。超上級。つきしずり攻めのすぐ後に諸々調査はしてるんだけどさ、ふたを開けたらびっくり。とうに。先のいくさの時にはもう仕込まれてたってこと。爺ちゃん元将軍、自分がくびになる場合まで想定に入れて手を打ってた」

 あの別千千行に、超上級とまで言わしめる。老いようとも追われようとも、知謀計略においては誰ひとり自らにまさる者なしと言いたげだ。そうもなろうと、睦は心構えに刻み込む。自分とは違い、よろづおやぬしたたは軍功を重ねることで総大将の地位まで上りつめ、さらには、長くその座を誰にも譲らなかった男だ。一筋縄でいくはずもない。思わず言葉が漏れる。

「敵もる者、と」

 決して侮ることなかれ、気を怠るなかれ、その認識については行も同意見だ。どこにどんな布石を打ってあるか、知れたものではない。ただ、それとは全く別のところで、行は不服を申し立てた。

「睦姉ちゃん、相変わらず敬語で話すのやめない?」

 当初こそ緊張したが、元来が適応の早い行である、繰り返して〈睦姉ちゃん〉と呼ぶうち、姉貴分がいるのだ、という感覚をすぐに体得して、自然とそう呼びかけられるようになった。しかし、敬語で返されるのでは、いかにも味気ない。

「公私の別というものがあってですね。みんなで双六すごろくをした晩は、普通に話していたじゃありませんか」

はそれでいいけど、公ってどの公なのさ。国軍総大将が何のくらいもない傭兵に敬語を使うことのほうが、よっぽどめちゃくちゃだと思うんだけど」

 言われて、睦は押し黙らざるを得ないというのだ。無駄な抵抗で、行からの反論のほうが明らかな正論だった。先のいくさの天幕の内側の続きではないのであって、いくさに身を置く限り、もはや何処いずこにも、睦より上に立つ者は事実上存在し得ない。つら椿つばきのみか、諸国連合全体で、である。どこぞの大国――数カ国しか該当しない、その王が自ら出陣する奇異でもなければ。置かれた立場を自覚しろ、と、睦から睦に呼びかけるにしても、そのようにしかならない。観念するよりなく、睦は言った。

「行、あなたは軍に属さない、よって姉ちゃん呼ばわりでもかまわない。ただし、戦場で甘やかしてもらえるとは思わないように」

 睦の言うことは理解した、が、いくらか、行は呆けた。ああ、自分の名が呼ばれたのだ、その理解に至るまでに時間を食った。双六すごろくをしていた時とも違う。これまで一度も、呼び捨てにされたことはなかった。睦は十分に見透かしていた。

「何か不服でも? 行」

 言わぬでもいいところで重ねて名を呼んでくる。「自分から言っておいて何だけど、けっこう恥ずかしいね、これ」と、行はこらえかねて呟き、頬を掻く。ようやくのことで気付く、これまで、おおよそ『先生』もしくは『ゆっち』だった。そも、呼び捨てにされること自体、慣れていない。姉貴分を持つことへの気構えにも足りないところがあったということだ。

「かの天才戦術家、別千千行の言うところでは、恥じらいでいくさに勝てることはない、と。よって考慮に値しない。行、戦力の配置とこれからの展開を報告して」

 行としては、なまじな遠慮などないほうが喜ばしいには違いない、が、未体験のことを正しく想定せよというのも、いくさがみとてただの人間、無理なものは無理だ。

 ぐんえきのうえでのこととしては、誰かが行よりも上に立つことは初めてでない。が、今回、行は格別の安心感を覚えた。前回、大将の別千千行、副将の乙気吹睦という組みは、好相性のもと、予想を遙かに超えて活きた。行は軍師の立場にあるべきで、本来なら上下は逆であるだろう、すれば、乙気吹睦はきっと、別千千行のけいを最大限まで引き出してくれるに違いない。

 さて、何からどう説明したものか、命令に背く気はない、が、いかようにも話しうる中、経験不足ばかりは否めない姉貴分に、もっとも益をもたらすはどうなるか、行は頭を巡らせた。戦い抜けば、歴史に名を残すほどのえいけつにきっとなろう、とはいえ、その日が訪れるのは、一日でも早いほうがいいに決まっている。

 立派な掘っ立て小屋とのげんは、急造のわりによくこしらえたものだとの感心なのだろう、何も気づいていないではない、暗黙のうちの理解が多分にあるものとして、行は話を切り出した。

「目立たないように連れてきた列椿国軍の精鋭二〇〇は、この小屋の周りにいてもらう。戦端が開かれるまで、作戦の進行は山中に配置したなきひるささやあめのたくたぎあらたの両名で行う。よろづおやぬしたたが密談をするとの情報を得ている山小屋から、信号弾が上が――」

 言いつつ、囁と改の位置等々、地図に書き入れて説明を深めようと、行はそこに転がっていた朱の鉛筆に手を伸ばした、皮肉なことに、がんりょうを用いた芯の開発を試みさせ、黒でない鉛筆を実用化まで至らせたのは、前任の総大将であるたたの功績である。行の手が思わぬ形で空を切った。

 

 前触れなく、小屋の床板が重くきしむとともに、行が手に取ろうとした鉛筆が逃げ、そのまま宙に浮くではないか。力加減は心得ていようが、もともとが強すぎる、鉛筆も折れかねずに、ぎしりと木のじくゆがむ音を立てる。つまりは、鉛筆がひとりでに動いているという様子ではまるでない。目に見えない何ものかが、行が取るより先に朱の鉛筆を奪ったのだと、それが明らかだった。

 そのは、鉛筆をたどたどしくも書き損じなく動かし、行たちの座っている一方とは反対から、何やら地図に書き込んでいく。動くにあたって狭いようで、何やら知れぬものが木材の壁を擦る音が断続的に続く。

 逆さではあるが、わかる、最初に書かれたのは『う』だった。文字であろう。敵対行為があるでない、座ったままの三人は黙し、何ものかのやりたいようにさせていると、書かれる文字はすぐに文章となった。いわく――

 ―― 

 まさかとは思えど、我が目を疑うとも、こんな芸当で意向を伝えられる者など、この世にふたりはいなかろう。まして、文中に『うる』があるとなれば、悩む余地もない。『うるの土地、荒らすな。』と、そう伝えているのだ。

 これは、つわものの頂点からの通告に他ならない。




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