124話 告白? シミュレーションデートの終わりは……

「どうかしら、この乳鉢。リィンもきっと喜ぶと思うのだけど」

「あ、ああ、そうだな」


 ハッとするほどの美人さんに腕を引かれている。

 明るく嬉しそうに笑って、片腕を俺の腕に巻きつけながら、も一方空いた手で言及した対象に指をさすエメロードの姿は、本気で俺と一緒にいることに対して楽しそうに見えた。


 なら、俺は喜ぶべきところなのか? もしかしたらそうなのかもしれない。

 でもいまは、自惚れとか、勘違いであってほしいと思った。


 元はこの状況、「ルーリィとのデートのシミュレーション」の為という事で、練習相手の名目でこのように彼女が振舞ってくれているというのは分かってる。

 ……どうにも、そのようには感じなかった。


 男の悲しいサガってやつ。

 マジで、俺は、勘違いしそうになっている・・・・・・・・・・・・


 ルーリィの代役を言い訳にし、演じているだけで、好意をあけすけに見せつけてくるエメロードこそ、本当の彼女なのではないかと・・・・・・・・・・・・・


(あり得ない。なんて恥ずい妄想たたえてやがるんだ)


 もしそうだったなら、「本気で嬉しい」とは思えない。

 それは、この半年以上で皆と培ってきた色々なものを壊してしまうから。


 ハハッ! 「モテない君の自意識過剰乙!」とか馬鹿にされて正直構わない。というよりその方が、気構えなくて済んだ。

 

「技術そのものより、その技術による出来合いの物なら私たちにも持ち帰ることができるはず。薬学に精通するリィンにとって、薬師道具一式というのは……一徹?」


(気構えてどうすんだ。じゃあ何か? 今日以降、エメロードを意識しちまうのか? ルーリィがいて、シャリエールがいて、ナルナイがいる。それでなお、ふとしたところでエメロードを目で追うってか? どんだけ節操ないんだ俺……)


「一徹、聞いてる?」


 可愛い。


 普段と違って、とても女の子らしく。

 自尊心というのを満たすわけじゃないが、ちょうど男心にとって気持ち良いところを持ち上げ、くすぐってくる。


 まんざらではないどころじゃない。エメロードと二人きりでいるのが、とてつもなく、楽しい。


「一徹?」

「……なっ!」

「大丈夫? ぼぅっとして、気分でも悪いのかしら?」


 声が、張りあがりそうになった。

 腕に抱き着いていた彼女は、立ち位置を俺の正面に改めたかと思うと、両手でそっと俺の顔を包み込む。ジッと、見つめてきた。


(いまのコイツは、こんなにも俺のことを気にかけ心配してくれて……)


 俺のことをうれいてくれる。

 その表情が、とてもいと……


「ッツ!」


 無意識のうちに、考えちゃならないことが・・・・・・・・・・・頭をよぎった。

 慌てて、思考を止める。そのためにも両眼を掌で覆った。


「いや、そのな……」


 鼻で、ゆっくりと大きく息を吸い込む。フッと、一呼吸のうちに、肺の中を空にする。

 こうして数秒。

 自分の行動だけに意識的になることによって、彼女に散じた気を、自分の中に回収することに努めた。

 

(よし、落ち……つけたか?)


「……大丈夫だよ。大丈夫」


 静かに、ちゃんと自分の正常な判断が保てているのを噛み締めるように。ゆっくりと、だが確かな声で返した。

 

「あ……」


 ……大丈夫。揺れることはない。

 紡いだ言葉に、エメロードの見上げるまなざしに、戸惑いと恐れの色が走ったようにも見えたとしても。


「薬師道具一式か。うん、良いんじゃないか? リィンの親友のお前の見立てなら、きっと間違いない」

「う、うん」


 エメロードに向かってばかりだった意識を己の内側に閉じ込める。外部的な働きかけに、簡単に揺れ動いてしまう自分の心を、胸の内の更に深いところへ。


 まるで、自分のことではあるけれど、一歩も二歩も退いて、客観的に物事を見るかのような感覚。


 自分のことを客観的に見ようとする意識のシフト。

 主観性はなくなる。

 少なくとも、外からのアクションに対するダイレクトなショックに影響を受けるリスクは少なくなる。


 さっきまで、体に感情が満ちていた。だから掛けられたエメロードの言葉想いや触れてくる肌の感覚を、全身が察知した。

 彼女の感情が肌を通り、体中に充満した俺の感情に触れてくるようにも思えた。

 

 もはや自分の意識をエメロードに晒すことはない。

 自分の肉体を、胸の奥底に控えさせた平常心によってコントロールする感覚。

 こうすれば、エメロードに体を触れられようが、「肉」という名の、心を守る器に触れられるだけ。

 心が感じるものは少ない。


 こんな器用なことができるようになったのは、皮肉にも、これまで幾たびも《柔道少年》の一徹と、《視界の主》のオッサンの記憶を、主観視点で見せつけられつつ、客観的に捉えていたこれまでの経験があったからだ。


 改めて言ってしまう。いまのエメロードと行動するのは、リスク・・・だ。


 彼女が嫌いだとかとんでもない。

 ただ、彼女が好意から演じてくれる疑似カップルの関係性に、ここまで容易に心が揺れてしまう自分が嫌だった。


「アイツはエメロード以上に薬学に精通している。ま、現代医学的な薬というより、薬草学の見地的にだけど。調合、配合、加工。アイツオリジナルの薬で、俺も何度助けられたか」


(とはいえ、看護師と薬剤師ってのは違う。薬剤師免許もないのに、一看護学生がクスリを手掛けるなんて、本当はいいかわからんが)


「にしてもそれ、アイツにとってほしいプレゼントになりうるのか?」

「え?」

「いや、折角のクリスマスだ。女の子なら洋服とか化粧品とか、バッグにアクセサリー。そういったものに心惹かれるんじゃないか?」


 落ち着いて、遠くのものを見るように視線を送る。


「ま、なるだけ小隊全員分のプレゼントは用意するつもりで、予算の兼ね合いもある。そういったものは軒並み高いだろうから助かるっちゃ助かるけど。って、こんなセリフ甲斐性ないな」


 キュッと、つないだ手に力が入った気がした。


「どーなんすかね?」

「う、うん……」


 だけどそれもいまなら大丈夫。


「確かにこちら・・・のそういうものに興味がないわけじゃない。でも化粧品もお洋服も消耗品。あの娘には、着飾るような何かより、為になる実用的な方がいいと思う」

「エメロードが、リィンに薬師道具一式を勧める理由……か。納得したよ。コレを買おう。それで、今日の目的も果たされる・・・・・・・・・・・


 ルーリィの代わりを務めるエメロードとの、デートシミュレーション。

 気持ちを切り替えるまでは、そちらに振り回されてばかりだ。

 冷静になったいま、リィンのプレゼントを選ぶことが、三縞市から出かけるそもそもの目的だったことを思い出すことができた。


「あ、待っ……」

「まだ、他にすべきことがあったか?」


 何かを言いかける、顔を向けてくる彼女は、気まずそうに目をそらした。


「このまま……帰ろうとしてる?」

「寧ろ帰るべきじゃね」


 質問も歯切れが悪い。

 だが、このように答えを返したのにも理由はある。


「18時から合流。カフェ入って、映画はなんだかんだで2時間。そしてリィンのプレゼント。時間は、そろそろ22時になる」

「それは分かっているけど……」

「……ルーリィが・・・・・心配する・・・・

「ッツ!」

「俺はホラ、一度下宿を逃げ出した前科一犯だ。帰りが遅くなって、また脱走したんんじゃないかって思われるのは回避したい」

「それは……」

「折角プレゼント買って贈ろうとしてる先のリィンに、迷惑かけたら世話ないじゃない? リィンだけじゃないか。シャリエールも他の皆にも」

「い、いって……」


(いくら三縞駅が、沼都ぬまづ市の次の駅だとは言え、帰宿が23時を回るってのも……ね)


「深夜の徘徊ってのも興味がないわけじゃないが。俺たちも言うてまだ学生セーガクだ。お巡りさんに見つかったらホド―喰らっちまう。そりゃ勘弁だ」


「……どうして、急に……通らない……」


 説明するさなか、次第に顔を俯かせるエメロード。俺にも表情が読めなくなっていた。


 だが……


「エメロード。聞いて……」


 俯いた顔は、ふとばっと上がった。

 フッ、フッ……と、短く、しかし強く息を吐きながらあらぬ方向に目と顔を向けていた。

 次いで、フゥ―ッと思いっきりため息を、自らの足を見やりながらついた。


「良い。帰りましょう」


 最後、また顔をあげた。

 俺の瞳に視線をあわせるときにあっては、薄く笑っていた。



 非常に非常に気まずい帰路になっている。

 俺たち二人、口数も少ない。


 沼都駅からたった一駅。三縞市には帰ってきた。

 18時に合流したとき、からかい合ったものだったが、その事実はなかったかのように、いまとなっては二人とも視線が交わることはなかった。


「……ありがとうな。今日」

「え?」

「リィンのクリスマスプレゼント探しを手伝って貰っちまって」


 とはいえ「このままハイ終わり」というわけにもいかない。

 特に、俺一人じゃ考えもつかない女の子向けのプレゼント選びを手伝ってもらったならなおさら。


「……それだけ?」


 返ってきたのは、感謝に対する反応じゃない。さらなる問いかけ。


 今日あったのは、それだけじゃない。そんなことは分かっている。


 それ以上の何か別の答えを聞きたいように見えたが、俺には口をつぐむしかできなかった。

 ここで更に言及をしてしまうと、プレゼントを購入して沼都を出るとき、一旦自分の中で終わったものだとでも思っていたもの・・・・・・・・・・・・・・・・・が続いてしまいそうだから、正直怖かった。


「……じゃあ、終わりにしましょう。私たちのデート」


 恐れていた話題。俺には答えることができないから、先に切り出したのはエメロード。


「ねえ、一徹?」

「なっ! エメロー……くぅっ」


 変な声が出ちまったのは、しょうがない。


 切り出したエメロードの少しだけ高くしてみせた声色。

 出逢った時から今日のシミュレーションデート開始までの長い期間、スンとした高慢混じりな声を聞きなれていた俺にとって、女の子らしくって、可愛くって。

  

「デート終わりの練習……してみない?」


 んな彼女が、不安そうに言葉を震わせながら、正面からゆっくりと近づいたかと思うと、キュッと俺の両手を、自らの両手で強く包み込んで来るもんだから、もうね。


 俺の方がずっと広い掌。

 包みきるには小さすぎる、この柔らかで細い手が、いつも憎まれ口をたたくエメロードの手。

 

(やっぱり、女の子なんだな)


「恋人同士過ごせた一日を終える。別れる。デートには、別れ際の挨拶も、必要だと思わない?」

「いや、あの……」

「ねぇ、見て?」


 キュッと手を包んだ彼女は、さらに一歩俺に向かって前に出た。

 二人の立ち位置なんて、互いの吐息が柔らかく届くくらいの近さで……


「エメロー……」

「私を見てほしいの」


 女性としては背の高い方だと思う。だけど俺は図体ばかりはデカいから。

 俺の胸板すぐ近くから見上げてきた。俺の瞳を射抜き、通すことで心の中を見透かすような。


「貴方は、ルーリィ様とデートしたそののち、いつまでも有耶無耶に済ませるつもり?」


 蠱惑こわく的。目が、離せなくなる。


「う、有耶無耶にって。感謝は伝えた。その気持ちは本当。これ以上何を……」


(だめだ。やめろ。エメロー……違う)


「貴方は頼りないもの。だからルーリィ様は貴方をよく助け、貴方はあの方に良く感謝を見せる。ならその言葉は、あの女性ヒトの心にどれだけ残るかしら?」

「多すぎる『ありがとう』。感謝の価値の陳腐(安くなっていく)化ってことか。だからって、感謝を怠れっていうかよ」

「違うけれど。まさか分からないなんて言わないでよ? 貴方がデートの終盤、別れ際、何を言うべきか。『気持ちは伝えた』と言ったわね。でも、貴方がルーリィ様に伝えたい気持ちは、本当に感謝だけ?」

「っく!」


(やめろ俺。これ以上乗っちゃだめだろ)


「言いたいことがあるはず。恥ずかしくて、到底普段の貴方では口に出すことがかなわない想いが。それこそが、ルーリィ様が本当に貴方から引き出したい一言」

 

 エメロードは、一層俺の掌を包む力を加える。スゥっと目を閉じた。


「聞かせて? 一徹」

「お前……」

「私にできることは……ここまで。今日の練習を本番に活かせることを祈って。これを最後に、今日を終えましょ」


 頬が少し紅潮していた。異性を前に、女の子がその表情を見せる。


ルーリィ様に、貴方の想いを、頂戴?」

「あ……」


 なんというか、決定的な瞬間を……


(待ってるかのような。エメロードが? いや、ルーリィが……か。どっちだ?)


 安らかな顔。まるでその一言をぶつけられたなら・・・・・・・・・・・・・・受け止められる。そんな抱擁力でも満ちたような。


「んっ……」


 ビクリッと、彼女の身体が小刻みに震えるのを腕を通して感じた・・・・・・・・


(オ……イ、俺ぇ。いったいいつの間に……)


 俺の手を包み込んでいた、静かに何かを・・・待つ彼女の掌を離した俺。いつの間にか、彼女の肩を両手で抱いていたことに気付き、ゴクリっと、喉が鳴ったのを知覚する。


(ルーリィへの想い。彼女へ伝える練習。それにしちゃあこの雰囲気はまるで……いや、だってだなぁ……)


 「ルーリィに相対したときの練習をしましょう」とエメロードは申し出た。

 とんでもない。俺の目からは、エメロード自身が俺の言葉を待っているよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うに見えた・・・・・


(どうする。またさっきみたいに、感情を自分の中に落とし込んで……)

 

 体の奥底に再び心を落とし込めば、身体にくの器が、彼女が匂わせる何かをを遮蔽しゃへいしてくれるかもしれない。


「……隠さないで。貴方のまっすぐな言葉を、聞きたい」

「ッツ!」


 しかし意識のシフトを始める前、釘を刺されてしまうと、もはや手はなかった。


(駄目だ……)

 

 すなわち、言うか、言わないかのどちらか。


(駄目なんだ!)


「たった一言、その一言だけ聴けたなら、私は満足だから」


(言っちゃダメなんだ!)


「……なら、一徹が聞いてくれる? 私の……」

「くぅっ!」


 (言わせちゃダメだろうが!)


 息を、飲んだ。

 目を瞑って静かに待っていたエメロードが、まぶたを開けた。


「お、俺は……」

「……私はね……」


 俺たちの顔の距離、30センチも離れていない。その状態で彼女の瞳は、じっと俺の目を捉えていた。


「貴方のことが……」

「そこまでっ……だ」


 両肩を抱いた手を滑らせる。

 彼女の外腕を強く締め付けるように挟み込み、言葉を絞り出した。

 言葉と共に、腕力にモノを言わせて彼女を推す。無意識中にそれを選んだのだろうか。まだ心も元ないが、二人の間合いが少しだけ開いた。


「一徹?」

「言わせない」


(もしその想いを口にされたら……)


「そう、なら、貴方の方から言ってほしいの」

「口にも、出来そうにない」


(もし、その想いを口にしたら……)


「……どうして?」 

「勘違い……しそうになるから」

「あ……」


(……好きになっちまう・・・・・・・・)


 エメロードの問いに、返した俺の言葉は、脳裏に浮かんだものそのまま。


「お前が、俺の前に立ってるんだ」

「何を言って……」

「ルーリィの代わりとして今日一日付き合ってくれたはず。なのに、フリであっても好意を向けてくれるお前に、どうしてもルーリィの姿は重ならなかった」

「今日のデートで伝えてきた想い。それが、貴方の目から見て……」

「まるでお前さん、エメロード本人から伝わっているようで・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 言い切った時、恥ずかしさの許容量はとっくにオーバーフローだ。


「いつもと全然違う。頭がよくて自他ともに厳しいお前が甘えを見せる。感じたのはとんでもない可愛らしさだよ。ぶっちゃけ超魅力的。変な妄想が浮かぶほどだ」


 エメロードどころじゃあない。思わず顔は地面に向いていた。


「お前の感情はお前にしかわからない。ただお前が俺に、俺がお前に。どちらか一方がたとえ練習でもそれを・・・口にしたら、たぶん俺たち、これまで通りにはいかなくなる」

「……一徹?」

「マズいだろうがそれはっ」


 そこまで、言ったところ。

 エメロードが急に後ろに下がった。それによって彼女の外腕をはさんでいた俺の腕が空を切る。


「私……貴方を困らせてる?」

「がっ!」


 言われた瞬間、体が熱くなる。俯いていた顔は跳ね上がった。

 すべては、勘違いしそうな俺のせい。なのにその物言いをエメロードに口にさせたことが申し訳なかった。


「え、エメロード?」


 一歩、また一歩、ゆっくりと彼女は俺から離れて行く。

 そして……


「エメロードッ!」


 脱兎のごとくというのが正しい。

 一目散に、俺のもとから走り去って逃げて行く。


 見る見るうちにその背中は、小さくなっていく。

 どこかで、見たことがあるような光景だった。


 そう、それは……逆地堂看護学校の文化祭。

 二人で入ったメイドカフェで突然別れたあの時とまるで同じで……


「待て! 待ってって! どこに……エメロードッ!」


 あの時、どうして彼女が消えてしまったのか。その時の俺には理由が掴めなかった。

 そしてたったいま逃げるまでの、ここまでの経緯というものもある。


 放っておけるはずがない。

 それが彼女の背を、俺に追いかけさせた。

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