第75話 《視界の主》の広がる光景。 これは誰の記憶なのっ!

ー兄弟兄弟! あーん・・・! 大きなお口で・・・・・・あぁぁぁん・・・・・!ー

ー黙れ兄弟! いくら何でも笑いものにしすぎだぞ!?ー

ーたりめぇだろ! こんな面白い光景、いじらないって手はないんだよ!ー


 突然視界が開けたと思ったら、全身、身を刺すような寒さに襲われた。

 ズキンッと、激しく鈍い激痛が、左腕の内に籠るんだ。


 しかし、俺が収める光景の持ち主は、その痛みに耐え、闊達に笑い飛ばしていた。


(な……んだ、この光景は……)


 厚く積もった雪層から、針葉樹林が突き出て立ち並ぶ。


(冬の森? そしてあれ……は? 化け物……なのか?)


 視界が収めているのは男女一組。とはいえ、まったく見慣れぬ格好をしていた。


 いや、見慣れる見慣れない以前の問題だった。


 ステロイド剤キメっキメのボディビルダーのような、血管が浮き出て、筋肉のはち切れそうな……カエル顔のガチマッチョが、全身至る所から血を流していた。


 そんなカエル男の口元に、心配そうな顔をして、スプーンですくった暖かそうなシチューのようなものを差し出すのは、人間離れした美しさ、しかし傷だらけのボロッボロな女。


ーホラ、良いから早く口を開けてくれ。オヤジー

ーし、しかし……ー


 女は浅黒い肌をしていて、全身には鎖のような紋様が走っていた。

 髪は長い銀髪を束ねていた。


 凄い美人さんな顔立ちだったから、顔にまで走る紋様になんと勿体ないことをするのだとも思った。

 が……どうやらそれは、文化的な風習によるものとはまた違うようだというのを感じた。


 耳が……上に長く、とがっていた。

 で、あればおおよそ人間ヒトではない。カエル顔の化け物と同様。


ーいいじゃんいいじゃん。そーんな美人から手ずからで食べさせてもらう。いいなぁ兄弟! 羨ましいなぁ!ー


(くぅっ! この視界の主は、なんてタフなんだ! 痛覚マヒしてやがるのか!? 全身、特に左腕が死ぬほど痛いってのに、なんだって笑い飛ばせてやがる!)


ーホラ、あんなの無視しろ親父。自らの弟分が馬鹿なのを忘れたかー

ーだが……ー

ーあーんだ。あーんー

ーあ、あぁぁぁん……あっづぁぁぁ!ー


 カエル顔の化け物は俺を……いや、この《視界の主》を忌々し気に睨んできた。しかし美女に促されて、観念したように口を開く。

 食べさせてもらったシチューは熱すぎたようだ。

 悲鳴を上げていた。マッチョなのに。


ーえ? なんだって兄弟? 『あっづぁ』!? それって、アッツアツゥ? お前と彼女アッツアツゥ?ー

ー……いいだろう。兄弟がその気なら乗ってやる。オイ!ー

ーハッ!ー


 それを《視界の主》が馬鹿にしたことに怒ったようで、カエル顔の化け物が一際大きく声を上げた。

 瞬間だった。

 この視界の主の前に、熊のような体躯の、赤毛で全身満身創痍の人間のオッサンが立ちはだかった。


ーお前の旦那様・・・とやらの兄が命じる。しかとお前のそのスプーンさばきで、見事シチューを口に運んで見せろー

ーかしこまりましてー


 カエル顔の化け物の声を聴いて、豪壮な男は、ニィッと笑った。


(いま、なんて言ったコイツら。旦那……様だとっ?)


ーお、おい。さっき俺は言ったぞ? 兄弟と違って自分で食べられるってー

ーですが、旦那様のお兄様のご命令ですのでー

ー兄だよ!? だが、命令系統で言えばお前は俺の……ー


 《視界の主》は必死に抵抗を試みる。しかし、お下劣な笑いを浮かべた赤毛の男は、許してくれなかった。


ーホーレ旦那様。私めのシチューは熱々ですぞぉ? ドロッドロで栄養価満点ー

ーまて、やめろ!ー


 スプーンに入ったコッテリしてそうな、湯気立った白いシチューっぽい何かが料理であることは分かっている。

 だが、男のその口ぶりと、その顔で、近づいてくるのが、《視界の主》にとっては恐怖でならないようだった。


ーだ、旦那様っ!ー

ー助けてくれシャリエールッ!ー


(えっ?)


ーンぎゃゃぁぁぁぁぁぁぁ!ー


 そうして押し倒され、無理やり口を開かされた《視界の主》は、大男に無理やり白い汁物を流し込まれたことがショックだったのか、視界が真っ暗になった……


 俺にはそれでも分からなかった。

 どう考えても、この世界ではありえないような光景で……どうして、シャリエールがそこにいるのか。


 それもいまの彼女より少し歳をとっていて、全身、痛々しいほどの傷だらけになっていた。



ーありがとな。シャリエールー


 場所は変わる。

 本当になんなんだこの《視界の主》は。

 場所が切り替わるたびに、この《視界の主》の感覚を俺はトレースする。


(ぐ……が……)


 全身がきしむ。左腕に至っては感覚もない。倦怠感が異常で、吐き気がしそうだ。

 が……そんなことよりも気になることがあった。


 俺……もとい《視界の主》は見下ろしていて、その目を……地面に崩れ落ちた、放心した表情のシャリエールが見上げていた。


ーありがとう。いつもそばにいてくれて。俺のことを助けてくれて。そして……俺のことを止めてくれてー


 感情全て空っぽのようなシャリエールの、がらんどうな瞳。

 少しずつ水が湧き出るかのように感情が染み出、膨れ上がり、そして……


ー心配……したんですよ?ー


 あふれ出した。


(なに……してんだ? まさかこの《視界の男》、シャリエールを泣かして……)


ー心配したんですよ! すぐ近くにいるはずなのに、旦那様・・・は私の言葉が届かない程に遠くて、目の前で堕ちていくっ!ー 


(また、また……旦那様)


分かりますか! 目の当たりにしたときに感じたこの恐怖を! 私はっ! 私は……っ!ー


 シャリエールは、涙ながらに叫びを絞り出す。《視界の主》の胸に飛び込んだ。


ー貴方がいなくなってしまうかと思った!ー


(旦那様。この《視界の主》のオッサンに向かって呼んでるのか?)


 《視界の主》は……答えない。

 ただ、胸に飛び込んできた彼女を、おおらかに優しく、強く抱きしめていた。


 そしてほどなくして、別の、《視界の主》の仲間だろう美少年を呼び、同じく抱擁に加えた。


 そして……


ーそれで? お前はいつまでそこに突っ立っているつもりだ? 加わってこないのか?ー

ーい、いやぁ、私は……ですなぁ。すでに40も超えていますし、恥というものを知っております。ですから……ー


 次いで視界の主が語り掛けたのは、さっきの回想で、シチューを流し込んできたコワモテの赤毛の男だった。

 壮年の男は、明らかに遠慮を見せていた……


ーお前にはすでに、分かりきっていることだろうが、改めて言っておくー

 

 が、《視界の主》は許さなかった。


ー俺には、お前の力が必要だ・・・・・・・・


 その言葉に、壮年の男は目を見開く。《視界の主》は、さらに言葉をつづけた。


ーそれに、お前の主が、命令で来いって言ってるんだ。ならそれは俺の責であって、お前が恥じる必要が?ー

ーそ、それは……ー

ー主人をあまり待たせるなよ。思いっきり……来いっ!ー

ーあい。わかりましたぁぁぁぁ!ー


 力強い声が、強き風格を纏う男の恥じらいを吹き飛ばす。

 吹っ切れた赤毛の壮年の大男は、気合と共に、シャリエールと美少年を抱きしめる《視界の主》を、そのさらに上から抱きしめた。


ーぜ、前言撤回! も、も少しやさし……ー

ーうぉぉぉぉ! 旦那さまっ! 俺の旦那様ぁぁぁ!!ー

ーぎ、ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!ー


(ぎやぁぁぁぁぁぁぁ!)


 ただでさえ、全身が悲鳴を上げている中、さらに怪力に締め上げられる。

 《視界の主》だけではない。感覚を共有している俺も、思わず悲鳴を挙げてしまった……



ー君は、どれだけ自分が危ない橋を渡ったのかわかっているのか!ー


 また、場所が変わった。


(本当、《視界の主コイツ》どうなってんだよ。また、全身が痛くてたまらない)


ー自分だけではない。君の軽はずみな振る舞いは。周りをも危険にさらした!ー


 襟首を締め上げられ、怒声を浴びせられたところからその光景は始まった。


 肩まで伸びたサラサラの金髪。碧眼。白磁のようなきめ細やかな白い肌。


 女性じゃない。男だ。

 ただ、世界的トップモデルレベルの美青年が、《視界の主》に対して超至近距離で怒りを解き放っていた。


ーどうしてあんな挑発をした。君なら、その結果がどうなるかわからなかったなんてことはなかったはずだ。相手は誇りを己が至上とする貴族。アルファリカはその筆頭格で、エメロード嬢は、その第二令嬢だぞ!ー


(……アルファリカ。エメロード? まさかエメロード・ファニ・アルファリカ。アイツのことじゃ?)


ーわ、悪かったって。もうその辺で勘弁してくれよ。反省している。もう二度としないから……ー


 ここまでこの美青年に怒られたこともないのだろう。

 《視界の主》も困り果てていた。


ー万が一、侮辱されたとして君が処刑されたらどうする!ー

ーいやぁ、でもこうして帰ってきたしー

ーあぁ、帰ってきた。アルファリカ家の兵による私刑を食らってね!ー


 美青年は終わらせない。突き飛ばすように襟首を離すと、一瞬踵を返し、落ち着こうとした。

 が、両手で髪をかき上げるところに、怒りは抑えきれていないことがありありとわかった。


ー私は、リンチされたボロボロの君を見るなり、生きた心地がしなかったよ! 君の身体を存分に痛めつける環境がそこにあった。それはつまり、君の命に届きうる場・・・・・・・・・であった・・・・ということだからー

ーな、なぁ。もうその辺にー

ー君は、自分がどのような存在なのかわかっていないのかい?ー

ーお、おいー

ー君の兄上殿は、獣人族一大一派の大幹部となった。《獣王》の側近だ。そして以前の事件の折、君もその立場を賜るようになった・・・・・・・・・・・・・・・。わかるだろう? いまや君も・・・・・獣人族の中の貴族・・・・・・・・なのであると!ー

ーそ、そんなに大層なものじゃ……ー


 これほど美青年が怒っているのだから、《視界の主》も少しは黙ればいいのにと、そう思いながら、俺も静観してしまった。


ー万が一、人間族の貴族が、獣人族の貴族キミを処刑したなら、とんでもないことになるぞ!? 少なくとも君の兄上殿が報復に動き出す。さすれば奥方が飛び出す! 君の大事な使用人やシャリエールだって復讐の為、命を危険にさらすだろうー


 あぁ、《視界の主》の口が減らないことが藪蛇やぶへびだっ。

 背を見せながらなんとか口にしていたのが、怒りを抑えきることができず、再びこちらに顔を向けるきっかけとなってしまった。

 美しい男に違いない。が、浮かべるのは、とても恐ろしい顔。


ーそうしたら今度は彼方あちらがやり返してくるぞ。その応酬はやがて規模が膨れ上がり、戦にまで発展するかもしれない!ー

ーそ、それは……ー

ーそれだけじゃない! 全てが無になってしまうんだ! これまで必死に生きてきた君を旗印として、私たちは一つの勢力としてまとまった。もし君がいなくなってしまったら? また烏合の衆に逆戻りだ!ー


(あ……これは、まずいね)


 《視界の主》として、物事を見ているから、《視界の主》の心境まで覗ける気がした。

 ここまで言われ続けてきて、とうとう彼のストレスも限界に来ていたようだった。


ー何を言ってんだ! 烏合の衆だぁ? 違う! 俺は俺のすべてをお前たちに譲渡した。それをお前たちは使って、自分たちの努力で発展、成長してきたじゃないか!ー

ー本気で言っているのかい?ー

ー俺たちはハッピーエンドを迎えたじゃないか。ハッピーエンドだよ! お前には愛する奥さんと娘との幸せな生活! それを応援してくれる多くの仲間! 俺は俺の人生を! それが物語の結末なんだよ! なのになんだ!? 『俺がいないから』だと!?ー

ーそれ以上、言葉を紡いでみろ? 私は君を……ー


(本当にまずい。ただでさえ怒り狂っている美青年の……目の色が変わった)


ー俺に依存しなきゃ何もできない雑魚だってのか! テメェらは!ー

ー依存? ハハッ? 君が、私に依存という言葉を使うのか。守れなかった女の亡霊・・・・・・・・・・に縛られ・・・・、依存し、五年もの間、あらたな一歩すら踏み出せないような君がよく言うー


 ……決定的な発言。


 美青年が怒りに任せて口にしたセリフ。それを聞いた《視界の主》の頭の中で、何かがブチィっとちぎれた音を、俺は確かに聞いた気がした。


ーじょーとうだテメェ!ー

ーそこまでっ! 両者ともそこまでー


 これまでは怒られていた側だったから黙っていた《視界の主》。とうとう、美青年に殴りかかろうとした。

 が、その間に入ったのは、《視界の主》と縁の深そうな、赤毛で壮年のクマのように背が高い男。そして……


ーお願いします。抑えてください旦那様。お願い。抑えてっ!ー


 《視界の主》の男の、胸に頭を、そして体を預け、その前進を阻もうとする悲しげな顔をしたシャリエール。


(旦那様。俺が視界ジャックをしている、この《視界の主》のオッサンが……シャリエールの旦那様?)


ー頼む。頼むよ……ー


 昂った空気は、仲裁が入ったこともあっていったん沈静化した……から、


ー君が……私が心の底から忠誠を誓う君だけは……ー


 次の言葉と、その言葉を紡ぐ美青年の懇願する苦し気な表情が……


ー私を、失望させないでくれ!ー


 とても印象的だった。



『皆、山本が目を覚ましたぞ!』


 うーん。また、光景が変わった……というかぁ。今回はさっきとはちょっと違うらしい。


 疲れは全身にあるけど、痛みは全くない。

 それに、広がる視界は見慣れた天井だった。下宿の、いつも飯食っている居間の天井。


 ちょーっと見慣れぬものがあるとするなら、ホッとしたように笑いながら、少し興奮気味に周りに呼びかける《政治家》の顔が目に入ったくらい。


『フン、俺たちの方が忙しかったはずなんだがな。遊び疲れが祟ったんんじゃないか?』

『まぁそういうな。もしかしたら山本も、俺たちの知らないところで何か動いていたのかもしれない。なにせ3000万円なんて突拍子もない目標を掲げるぐらいだ』


 その《政治家》の声が響いた瞬間だ。

 天井を見上げる俺の視界は、のぞき込んでくるクラスメートたちの顔によって埋め尽くされた。


 さっそく認められたのは《王子》の皮肉、《縁の下の力持ち》の理解。


 なんてことはない。俺はいま、クラス全員に取り囲まれていた。


『大丈夫か山本。気分とか悪くないか?』

「しゅ、《主人公》。あれ? 俺は一体どうして……」


 そうして、その後に呼びかけてきたのが《主人公》。


『フランベルジュ教官と、私のところのお節介メイドに感謝しなさい?』


 状況がいまだよくわかっていない俺の問いに返したした者。 


「え?」

『ツアーガイド途中に倒れた貴方を、私たちがいる物産展まで運んだ後、この下宿まで、バンを運転して運搬したのだから』


 困ったように笑う《ヒロイン》だった。

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