第65話 二人きりの車内にて、最近余計に意識しますっ!
「すみませんでしたっ! 《
『ハハッ! 良いってことさ。明日明後日で店先に出す分の饅頭が、今日一日で売れるんだ。アンタらの売上げから還元されるウチへの支払代金が楽しみってもんさね』
「そう言ってもらえると助かります。女将さん」
こういうところで現れるのが、信頼だと思う。
無理なお願いに対する快諾。
もちろんそれは俺に対するものじゃなくって、これまでの2年と半年の間、この街を大切にして貢献してきた、《主人公》に対するもの。
アイツに引っ張ってもらっている三組の人間というステータスだけで、品切れ品を緊急発注した先の商店の女将さんも、とても快く接してくれた。
『今日はもう店じまいでもしようか。旦那叩き起こして、明日販売分の仕込みでもやらせよう。ちょっと多めに作っとこう。また明日も、大口発注待っとるよ?』
「はは、はははは。そうなってくれるといいんですけど」
(はっ、凄いね。《主人公》の影響力とか、どれだけ歓迎されているかが、わかっちまう。この場にアイツがいないからこそ、却って強烈に思えるというか)
『いやぁ、こんなことなら毎年三縞校の文化祭には物産展を開いてもらおうかねぇ。こっちの想定を上回るリターンが帰ってくるんだ』
「ハハハ。ご希望が叶えばいいんですが、俺たちは、今年が最後の年ですから」
「あぁっ! 忘れていた。そうだったねぇ。残念だよぉ」
(すげぇな。こんなに慕われて……)
別に、羨ましいとか、そういうのじゃなかった。
寧ろ、《主人公》なら、当然とも思った。
確か東北が地元だと聞いている刀坂鉄は、高校に入ってからこの三縞で暮らし始めた。
わずか二年。
だけど、ここは確かに彼の生きた証が深く残る彼の街。言っちゃあ名士みたいにすらなっちゃってる。
自分が住んでいる場所に愛される。それだけの努力と貢献をしてきたんだろう。
(鶴聞には、何もなかったからなぁ)
いや、鶴聞には俺のいた痕跡がないことは知っている。
だから、誰かの記憶というのはやっぱり誰かの記憶で、鶴聞は俺の街ではないことも、もはや理解していた。
とはいえ、こうして彼のいないところで慕われているのを目の当たりにすると、思ってしまった。
(……俺もいつかは、この三縞市を『俺の街』なんて胸張って呼べる日が来るのかな)
いまの自分を生きると決めた。
これまでの生きた証が、いまのところ……トリスクトさんたちの絆以外ないから。
(傲慢。あぁんな可愛い娘たちと俺みたいなフツメンが、繋がりある時点で満足しておけって)
そんなことを思わないこともないけど。
それでもやっぱり、俺は生きているんだっていう何かを、今年から少しずつ作りたかった。
いつまでも何もないままで彼女たちと共にあるっていうのも、いつかは辛くなる。そんな気がする。
(クククッ、ただでさえ、俺の足りなさを、アイツらの優秀さに助けられている身だもんな。ちょっとでも自分の生きた証とか、実績とかひっさげて、彼女たちの協力があったから成長したんだって思ってもらいたいじゃないか)
「お。じゃあ三泉坊やに託そうかね」
「……え?」
「三縞市永泉町の温泉ホテル。アンタの実家だろう?」
「……あ」
「なぁに呆けているんだい」
思い知らされる《主人公》の人望の厚さによって、この街がアイツの物なんだと思ってしまったのは事実だ。
ただ、女将が突然俺に対して「実家」という単語を持ち出してきたのが、息を飲ませた。
「他の子たちは卒業後に地元や東京に行くんだろう? アンタも同じかもしれないが。せめて文化祭間近になったら後輩に指導するため帰ってくればいい。うん、それがいい。ここはアンタの地元。いつだって帰ってきていいんだよ」
「……あ」
言葉を聞いて、一瞬絶句した。
「こ、ここは俺の地元っすか」
「何当たり前のこと言ってるんだい。おばちゃんも……アンタが交通事故が原因で、三泉温泉ホテルに引き取られているとは聞いているけどね、それから半年。ホテル手伝いにも精を出し、観光客のためにと三縞を知ろうと勉強しているのは分かってる」
「それは……」
「そうして、その観光アドバイスを聞いたお客さんがウチに訪れてくれるんだ。なのに他の土地の人間として見ちゃ罰が当たる。もう立派な三縞の男さね」
それと共に、自分が卑屈になっていたのだと実感した。
「それに今更別の土地からやってきたお客さんとして接するのも気持ちが悪いよ」
この街で生きてる。
女将さんのその言葉に、この半年間この街でやってきたことが見て貰えていた、認められた。記憶に、俺という存在がこの街にいるのだという事が分かってしまって、心が熱くなった。
『一徹。物資の調達は完了しただろうか?』
思わず、感慨深げになってしまって、黙り込んでいたところで、商店の引き戸の外からトリスクトさんの呼びかけ。
「ごめんごめん。いま行くよ」
酷いもんだ。
らしくもなく感動しちゃって、外に待たせていたのがすっかり頭から抜けてしまっていた。
「女将さん。在庫の補充有難うございます。お言葉も。それでは俺たちはこれで」
『はいよ。三泉温泉ホテルの女将に宜しくね』
ここにきているのは、三組の物産店舗の販売在庫がなくなったからこそ。
俺たちが戻らないと、彼らの販売の手が止まってしまう。
頭を下げ、踵を返した、
『あ、そうそう』
ときだった。
『その酷い女癖のだらしなさは何とかするんだよ?』
「ま゛っ!」
『おばちゃんが女だってこともあるけど。同じ三縞の人間として恥ずかしくないようにしとくれ』
「あぁ、俺の三縞で見られていた半年には、
結局最後の最後、締まらなくて。
トホホ~な心持で、商店を出ることになってしまった。
◇
「トリスクトさんごめん! お待たせ!」
三縞の名産品である饅頭が大量に詰め込まれた箱を数箱をもって、商店から出てまいりましたぁ!
重いっす! めっちゃ重いっす!
んなこと。店先だから叫べないけど。
「女癖を何とかしてくれだって?」
「うげ、聞こえていたのか」
バンの後部座席に詰め込んで、運転席に乗り込む。助手席のトリスクトさんに声を掛けた。
帰っていた言葉に、苦々しい顔を思わず作ってしまって、でも、彼女は気にしていなさそうにクスクスと笑った。
「いろいろ、議論したいところではあるけれど。そんな猶予はないようだ。さっき、灯里から連絡が入ってね。地酒も品切れになったらしい」
「ま・じ・か・よぉぉぉぉぉ!」
なんてことだ。
売り物無くなります。補充します。そのとき、また別の売り物が品切れになります。また補充します。
「これなんて、
「言葉が混ざっているよ一徹」
「うぅん……なんてこった。ここまで売れると思っていなかったなぁ」
「文化祭は残り二日。もう少し一日ごとの仕入れ量を多くしてもいいかもしれないね」
ご意見はごもっとも。
とりあえず。ま、酒屋さんに連絡を入れた方がいいかもしれない。
「ホラ、これが灯里からのメール文面……」
「ッツ!」
(ッッッ~! )
どうしたもこうしたもないんだなこれが。
《ヒロイン》から別在庫の売り切れの話は理解した。
携帯端末に表示された文面を、俺に見せようとするトリスクトさんが、さりげなく助手席から運転席の俺に身を寄せるものだから。
パーソナルゾーンを侵食され、一気に緊張状態が高まった。
俺に身を寄せようとすると、体を少し彼女は傾ける必要がある。
そうすると必然的に、頭は俺の目線より低い位置に来て。
(あ……は……)
首より上から、彼女が立ち上らせるのは、シャンプーの香りだろうか。
舞い上がる華やかな香りが俺の鼻孔を擽る。
「……って、どうしたんだい?」
(ヌ、ヌググググ……ッ!)
身は寄せられる。甘い香りが俺の自制心を惑わせてしまいそうで、さらに、低い位置に頭があるから、呼びかけてくるときに上目遣いになる。
(か、かか……可愛っ……)
「ッツ! 酒屋さんに連絡するとして、準備に時間がかかるかもしれないから、一度学校に戻ってもいいかもしれないなっ!」
「い、一徹?」
「で、酒屋さんから調達の目途が付いた連絡が着たら取りに行く。そう、ピストン的……って、ピストンって、何言ってるんだ俺はぁっ!」
(落ち着けっ! 落ち着け俺っ! 落ち着け、落ち着けぇっ!)
のぞき込んでくるトリスクトさんの表情が耐えられない。
一旦視界に入れないように、両掌で顔を覆った。
最近、おかしい。
あの、露天風呂の一件からどうにも、彼女をこれまで以上に意識してしまう自分がいた。
そうして、見つめられてきたならもう……
「フフフッ。何か楽しそうだね一徹」
(楽しんでるんじゃないんだ。一杯一杯の様子は、見ててお笑いなんだろうけど)
「授業や訓練の時よりも生き生きしているのはどうかと思うけど。やっぱり、お祭りというのは気分が上がるかい?」
「はは、そうだろうね。そうだと思うよ」
(悟られるな俺。なんとか取り繕って……)
目を覆ったから、暗闇の中に声と香りだけが認められる。
「私も、とても楽しい」
姿が見えなくても、ここにいるには変わりないとわかってしまうと、胸の中が弾けそうだった。
「そ、そうなんだ。よかった。ちょっと偲びないと思っていたから」
「どうして?」
「日本くんだり留学したんだ。文化祭の雰囲気をもっと味わってもらいたいじゃないか。それなのに会場じゃなくって、こうして調達を手伝ってもらっちゃって」
「場所は関係ないよ。何をするかも重要じゃない。私は、君と一緒に何かをできるなら、それだけで十分」
「グッ!」
(イカン。イカンぞイカンっ!)
百聞は一見に如かずという言葉を俺は知っている。
だが、こうして視覚に頼らないいま、それ以外の5感が、たったいま放たれた言葉の内容を捉えようとするのも含め、彼女を知覚しようと鋭敏になるのを感じる。
緊張から解き放たれたいとして、あまり意識をしないように努めているのに。
左を向こうが右を向こうが、耳を塞ごうが、目を瞑ろうが、俺の
「君の方はどうだい?」
「えぇっ!?」
「私といて、楽しいかな?」
(って、最近考えていること、タイムリーに、しかも二人きりの時に聞いてきたっ!)
柔らかな語気。
分かりやすく、短くゆっくりと口にしてきたところから、きっとその質問は、とても重要。
軽んじてしまっては駄目なのだと理解して、一つ、ゆっくりと息を吸って吐く。
今度こそ落ち着く。彼女の問いに、答えなければと思った。
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