第49話 気まずいです。いやマジほんとに居ずらいですっ!

 ……やっぱ、笑いは一切ないよね。覚悟はしていたつもりだったけれど。


「おかえり一徹♡」

「た、ただいま帰りました。トモカさ……がっ!」


 迎えてくれたトモカさんの笑顔、空恐ろしいと思ったもの。


 返事を返しきることも、許してくれなかった。


 結構な衝撃。顔は真横へ跳ね飛ばされた。

 掌で覆った左頬は、じんわりと熱くなった。


「鉄君の部屋に厄介になったって聞いた時。凄く安心した。でも、そのまま行方をくらますって。鶴聞にいて、シャリエールから迎えに行くと耳にするまで、私が、どれだけアンタを……」


 甘んじて受けるっつーか。喰らって当然だよ。平手打ちの一つや二つ。


「ッツ!」


 (……なんだよ。むしろもっと殴ってくれよ。どうして貴女は……抱きしめてくるん・・・・・・・・だよっ・・・!)


「……言いたいことはいっぱいある。それこそ一日二日じゃ足りない程、言いたいことは山ほどある。けど……」


(なんで、抑え込むんだよ。爆発させてくれればいいじゃないか)


 悔恨というか、怒りを何とかして飲み込む表情というか。


それはいまはもう・・・・・・・・私のすべきことじゃな・・・・・・・・・・。だから私からは、その一発だけにしておく」


(全部俺のせいだってわかっている、言えた義理じゃねぇけど。飲み込んでほしくねぇよ!)


 ここまで我儘わがままやったくせして、いまさらながらに思い知った。


「ごめん……なさ……」

「これから、いやっていうほど思い知ることになるから。アンタの勝手が、どれだけあの娘たちを心配させたのか」

「トモカ……姉さん」


 この人だけは、絶対に悲しませないと誓ったはずなのに。


 心からの失望が混じった声色。

 平手打ち一発。


 それだけで十分響いた。


 トモカさんがそれだけ言い残して、その場から、ホテルの方へと消えていく。

 その背中を眺めるだけで、こたえた。


「兄さまっ!」

「ナルナイ……」


 あぁ、トモカさんが口にしたセリフ。

 さっそく、よくわかる。というより、凄く心にしみた。


「兄さまっ兄さまっ兄さまっ兄さまぁっ!」

「ッツ!」

「ナルナイはっ! 案じておりましたっ! 兄さまがまた、ナルナイを置いて何処かに行ってしまうのではないかと! 私は……兄さまのことが心配で、たまらなくてっ」


(いや、本当に殴ってくれよ。なんで抱き着いて来るんだよ。正面から、俺の胸に顔を押し付けて。苦し気に声を絞り出してくるなよ)


「すまない。ごめん」


 両腕を俺に回して力が加わるのを感じた。

 絶対に離さないようにと、爪も立てているようで、少しの痛みの中に、必死さが伝わってくるからたまらなかった。


 わかっちまうじゃないか。その言葉が、本心からくるものなんだって。


「……どうして、一言も相談してくれなかったの?」

「エメロード……」

「私たちじゃ、信頼が置けなかった?」

「そんなことはない……と言いたいところだが、この結果を見れば、そう捉えられても仕方ないよな」


 必死さが圧迫感や、肌を伝わる熱でわかる一方。

 対照的に、少しだけ離れたところで静かに語り掛けてくるエメロードの、突き放したような雰囲気も、心に来た。


「貴方が言ったんじゃない。いい話し相手だと」

「そいつは……」

「誰にも何も言えなかったのは、記憶のない貴方にとって、その前を知っているように見えた私たちに対する疑念が生まれてしまったからなのでしょう?」


 たまらない。

 なぜ行方をくらましたかは、彼女には伝えていない。

 ピタリと、言い当ててきた。


「これで結構嬉しかった。あの合宿初日の夜。初めましてを繰り返し、はじめの一歩から繰り返そうとしてくれる私を、貴方はありがたいと言ってくれた」

「え?」


 その言葉に、思わず反応してしまった。

 

 いっつも一歩引いている大人の様相。

 時に俺を子供扱いまでする彼女が、まさかそんなこと思ってくれていなんて、俺には気づかなかった。


「だったらせめて、私には話してくれてもよかった。でもそうじゃなかった。貴方から見て、私も他の娘たちと一色たにされていた」

「え、エメロー……」

「助けられないよ」

「うっく……」

「私だって貴方を助けたい。でも、それじゃあ助けられない」


 心配を、エメロードはしてくれていた。なのに……その想いを、俺は裏切っていた。


 メンタルキリング。違う。俺が、彼女たちを傷つけた。


「師匠」

「おかえり兄さん」

「あ、アルシオーネ。リィンも」


 まだまだ、この場が終わるはずもない。

 トモカさんの言葉の真意が痛いほどわかってしまって、逃げ出したくてならなかった。


「あの、二人とも。昨日は、今日も……」

「あぁ、良いよ俺は。悪いと思ってんならそうだな。何処かで一日全部、ナルナイの為だけに使ってやってくんねぇかな。本当はそれだけでも足りないことを、師匠はしたんだけど」

「怒ってるよ? 兄さん」

「あ……」

「《旦那様》? 《大事なその人》? 嘘、偽り? ねぇ、教えてよ。もし、それが兄さんの想像していた通りだったんだとしたら、この状況はなに?」

「そ、それは……」

「どこの世界に、身代わりの為・・・・・・ここまで心配できる・・・・・・・・・馬鹿がいるのよ・・・・・・・

「……すまない」


 普段彼女たちと付き合うときは、総じて空気が明るい物。

 明らかな落胆を見せられるだけで、体が強張りそうになった。


 突き付けられた。

 身代わり、誰かの影。そこに対する俺の想いというのは、リィンの心を見透かすかのような澄んだ瞳に射抜かれた気がした。


(って、あれ……?)


 どれだけのことをしてしまったのか、身をもって思い知ってるこの場において。

 本来は受ける叱責に対し、謝罪に集中するのは百も承知。だが……


(……いない?)


 気づいてしまった。


 一人だけ、この場にいないことに。


(いない……トリスクトさんが……)


「ッツ!」


 気づいたら胸が苦しくなった。


 顔を合わせたくもない。見限られた……そう思われても、おかしくないことをしでかしたことは分かっていたつもりだったが、それでも、そのことによる衝撃は、あまりにも大きかった。


「皆さん。お怒りはもっともですが、今日のところはこの辺で収めてください。一徹様が返ってきてくださったことで、まずは不安一つ消えたはず。明日も訓練に授業があります。休息をとってください」


 パンパンとシャリエールが手を叩く、一同に語り掛けた。


 この場が締まってしまう。まだ、この場にはトリスクトさんが現れていないのに。


(違う。どの頭が思うよ俺。何期待してやがるんだ。トリスクトさんとの筋にもとったのは、俺の方なんだぞ!)


「一徹様」

「あ……」


 考え込んでいた俺の背中に手を添え、顔を覗きこんでくるシャリーエール。

 俺と視線があったのと同時に柔らかく笑った。


「皆さんもう、下宿内に戻りましたよ」

「……そっか。そうだよな」


 聞きたくない言葉だった。


 確かに皆、すでに下宿の中に姿を消していた。


「一徹様もお疲れでしょうから。今日のところはすぐにでもお休みを」


 俺のしでかしたことを責める場。心苦しいのは事実。

 でも、反面その場は、みんなが俺を出迎えてくれた場でもあった。


 だけどそんな場は、結局トリスクトさんが姿を見せる前に終わってしまった。


 出迎えるに値しない。そういうことに、違いない。


 分かっている。そんなこと。


(……失ってから、大切なものに気付く……だったか?) 


 そんな言葉を、何処かで聞いたことがる。


 心苦しさが、否応もなく・・・・・その事実を突きつける・・・・・・・・・・

 彼女が、きっと俺にとってそうであっ・・・・・・・・・・ことに。


 だからいまなら、俺は自分に対してこう言える。


 失う前に、気づけよ。馬鹿野郎と。

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