第47話 舌に感じる甘みと苦味。俺は今まで誰といたっ!
「たぁ~っ! さっすが若いの。凄い食欲じゃったわい」
高校を出て、適当に街をぶらついた俺たちは、通りすがりの焼き肉屋に入って昼食をとった。
止水さんの持つ現金は、止水さんの物ではないことを知ってる。が、ままよっ! 全力で無視して、好きなもの好きなだけ頼んで口に詰め込み、胃袋に収めた。
「いやぁ、あわや妾の手持ちがすっからかんになるところじゃった」
(何が『妾の手持ち』やねん。飯を食いつつ、絶賛、酒かっ喰らってたくせに)
絶対おかしいぜ止水さん。
もう昼過ぎの時点で、今日、合計七,八リットルは腹の中に入ってるはずだよな。
「ふぅむ、何かしら腹ごなししたいところじゃのう。そうじゃ、ゲーセンに行かぬか? ゲーセン!」
「ゲーセンって、ゲームセンターのことですか? 酒飲んで、ベロッベロなった大人が、ゲーセンって……」
「おぉっ! なんじゃ大人がゲーセンに行ってはいかんのか? 年齢差別反対じゃあっ!」
「だぁ分かりました。わかりましたから!」
大人なはずなんだがなぁ。
なんでこの我儘っぷりを、学生の俺が諫めているのか謎である。
(どっちが大人かわかんねぇ)
「じゃあ、いくぞぃ童。ゲーセンで一つ、全力ブイブイじゃっ!」
にしても、時折見せる、この数十年前の表現は一体何なのか。
っていうか、だから俺に抱き着いてこないっ!
◇
ーアンタ、こんなところでなにやってんの?ー
ー見てわかんねぇかなぁ。こちとら楽しく宜しくやってんだよー
ーそういう意味じゃないっ! なにやってんの! 学校には行かない。柔道部もやめた! アンタ、そういう奴じゃないでしょ!ー
ーそういう奴ってなんだよ。お前が、何か言うほど俺のことを知ってるって? どこから突っ込んでやろうか?ー
えぇーっと……うん。
焼き肉食ってお腹いっぱい満足して。珍しくゲームセンターなんて、密かに楽しみにしていたのに……
(なぁんで喧嘩の場面なんかに立ち会っちゃうかね。俺も)
実際に、喧嘩が繰り広げられているわけではなかった。
また、残像が目の前に思い浮かんだんだ。
誰かの記憶が、俺がこのゲームセンターに到着したことで、過去にあったのであろうこの場面を突き付けてきた。
ー少なくとも私の知ってるアンタは、いまみたいにそこまでカッコ悪くはなかった!ー
ーはっ! 無理すんじゃねぇっての! どうせ俺は、元からカッコいい方じゃねぇんだよ!ー
ーなに卑屈になってるわけ!?ー
ーお前がめんどくせぇから、さっさと話を終わらせてぇんだよ。気・づ・け・よ!ー
鶴聞高校で浮かび上がった柔道少年の残像。そして彼が、体育館で助けた、熱中症で倒れていたチアリーディング部所属の女生徒が口論を繰り広げていた。
たしか彼女は、最初に彷彿とした、定期試験準備の下りで、彼に噛みついていた少女だとも想うのだが、どちらも顔が、《のっぺらぼう》で、確信は持てなかった。
ーダッサ!ー
ーあ゛ぁ゛っ?ー
ーまだ、無駄に足掻いていた時の方が、アンタ見どころあったー
ーあ、足掻いただぁっ!?ー
ー
ーッツ!ー
あれま、言っちゃったよ。
よりによって《彼》に
ーけど、それでもまだいまより……ー
ーまた……兄貴かよー
ーちょっと、人の話を聞いて……ー
ーうるせぇっ!ー
ー……あ……ー
ま、そうだよねぇ。そうなっちゃうよねぇ。
そんな反応が返ってくるような気は、してた。
ー兄貴兄貴兄貴っ! 俺の前で、あのクソ兄貴の話をするんじゃねぇっ!ー
ーちが、私は……ー
ークソッ! 父さんも母さんも兄貴。学校の先公から友達まで兄貴! 部活の監督、先輩も兄貴! 好きだった人まで兄貴。お前、お前もやっぱり……ー
ーそんなことが言いたいんじゃ……ー
ーお前が見てるのも、やっぱり兄貴じゃねぇかよっ!ー
「ぐうっ!」
「……さて? 青春の叫びという奴じゃの。言いたい放題言って、
「えぇっと、止水さん?」
「なんじゃ?」
「よくわかりました。やっぱりこの記憶は、
「げ、現金なものじゃわい。先ほどはあれほど、記憶は自分の物ではないかと疑っていた童は、見たくないもの見た途端に、恥ずかしい過去を他人の物として斬り捨てる」
「いやぁ、どう見ても黒歴史。それを自分の物だって思うのは、ホラ、胸に来るものが……」
あ、流石に、この判断には止水さんもドン引きの顔を見せていた。
駄目ですかね。やっぱり。
でも、信じたくないじゃん。
高校に去年一昨年俺が在籍した記録はなかった。
だが、いまが高校3年生であることを考えると、俺
(しかも、またタイムリーな物を見せやがる。《旦那様》重ねられて苛立つ俺に、兄と比較される弟の葛藤図かよ。好き放題ぶつけて、逃げ出すところまで……そっくりじゃねぇか!)
昨日、アイツらに、特にトリスクトさんにぶつけてしまったことへの後悔が猛烈に湧きあがったのも、いま見た光景を切り捨てたい理由だった。
「人生というのは、総じて酸いも甘いもある物じゃよ。にしても失敗したのぉ。腹ごなしにダンスゲームで遊ぶつもりが、侮れんのぉ。この鶴聞。何処に童の記憶を呼び覚ます
「どうするも何も、追いかけるしかないでしょ。あの柔道少年を」
「思い当たることは?」
「あんなもの見せつけられて、すっごく複雑ですが、一応」
やっべぇ。まぁじ頭が痛くなってきた。
止水さんの手を引く。
たったいま入ったばかりなのに、ゲームセンターの自動ドアくぐって、外に出た……
「ッツ!」
瞬間だった。
「どうした?」
「今、声を掛けられたような……」
声を、どこからか聞いた気がした。
「誰にじゃ?」
「たぶん、柔道少年の記憶で話に上がった兄なんだと思います。だけど構わず逃げ出した。だから……」
「だから?」
「
おかしいよな。本当。
記憶をたどっていくほど、鮮明になっていくのに、それなのに、柔道少年の顔も、喧嘩相手の少女の顔も、思い出せないんだ。
なんで俺、いま呼び止められたとおもったんだ? 名前は聞こえなかったのに。
◇
「こっちです」
「童、焦るのは分かるが少し急ぎすぎじゃ」
止水さんが全力ブイブイなら、俺は全力ぐいぐいだった。
あんな喧嘩の場面を見せつけられて、詳しく追及するのは本来乗り気ではないが、その後の出来事、勃発する場所に、急いでいた。
なぜか気持ちがとても逸った。
(なんで気づかなかったんだ。学校? ゲームセンター? 違うだろう? 柔道少年はずっと鶴聞に住んでいた。だったら、もっと関係深い場所があるじゃねぇかっ!)
「そこです。その角」
「ちょっと、待っておくれ童!」
「この角を曲がったら、そしたらそこに……」
興奮を、抑えきれなかった。
歩くのは早くなって、途中から走り出してしまっていた。
見覚えのある陸橋を超える。見知った踏切も通り過ぎる。
なぜならそこには……
「住んでいた家が……っ!」
住んでいた家があるはずなんだ。
これまで数えきれないほど通ってきたであろう道、目的地に吸い込まれるように。
最後の角を、曲がった。
「ッツ!」
「……何もないの」
「そ……んな……」
「少し、残酷のようじゃが童。そこは……」
「そんな……」
「
何もなかった。
「あ……」
家一軒分の更地。
他が建物にひしめいていたから、ぽっかり空いていた空間は、とてつもなく寂しく見えた。
「童?」
「あ、ああ……」
なんだよ。
滑稽じゃねぇか。
色々、記憶は湧き出たはずなんだ。
だけどさ、俺がこの町に存在していたとする、目に見える痕跡は一つとしてなかった。
更地なんて、最低。
凄く背の高い雑草がひしめいていた。一、二年でそんな生い茂るはずがない。
「そんな。じゃあ俺は、一体何のためにここまで来て……」
「童よ」
高校の受付に言われたことももちろんだが、改めて思い知らされた。
去年も一昨年にも、この更地に家が建っていたなんてことは、状況を見れば明らか。
分かってしまったら、急に力が抜けて、へたり込んでしまった。
「どうして、あんな記憶ばかり目にして……」
「……
「止水さん」
「大丈夫じゃ」
今日出会ってばかりで、いろいろ面倒事に巻き込んでくれる止水さん。
初対面なのに抱き着いてきたりなんかしちゃって、驚くことも多かったが……会えて本当によかった。
「俺の家がないんです」
「大丈夫」
「俺の家が……ないんだ」
「大丈夫じゃ。
心が読めるからかな。気を効かせてくれたのかな。
耳元で、ささやいてくれた。
後ろから、抱きしめてくれたのが、心強い。
「
そうじゃなきゃちょっと、耐えられない。
「……
「……ハイ」
「一つ置き土産をしておく。あとは任せてよいな?」
「つつがなく」
「……え?」
あれ、止水さん何を?
まるで、
「一徹様?」
「シャッ……!」
そんなことを思ったとたん。
耳元に感じたのは、聞き馴染みのある声だった。
「一徹様。よかったぁ。安心いたしました」
「シャリエー……」
待ってくれ。
後ろから抱きしめてくれていたのは、止水さんだったはず。
なのに、声に反応して、抱き着いてくれる彼女に振り返った俺は……
「ん……んっ!」
口一杯。唇に、歯茎に、それから舌に……甘さを感じた。
「んんっ! んっ……」
逃がしてもらえない。
舌を
甘い痺れが、後頭部から首筋を走る。
頭の中をくすぐられているかのようなむず痒さが、あまりに気持ちよすぎて、何も、考えられなくなった。何もだ。
そうして、やっと唇は開放された。
振り向いた先、ゼロ距離。ジッと見つめてくるのはここにいるはずのない相手。その上、たったいまの出来事に、俺は、何もできなかった。
「鶴聞高校の受付の方から、三縞校に連絡がありまして」
「しゃりえー……」
「お迎えに、上がりました。一徹様」
「え? なんで……だって鶴聞には、止水さんが。受付の人には催眠が……」
「止水さん? 私が来た時は、貴方一人でした」
駄目だ。頭がぐるぐるしてまともに働かない。
止水さんは確かにいたはず。なのに、じゃあどうして
彼女が、止水さんを見ていないといったのは?
(だったら俺は今日、誰と一緒に街を回ったっていうんだ)
「サボタージュの件は、三縞校で叱責されると思います。ですがご安心ください。私が傍におります。たとえどんな時でも、貴方が、私をどう思おうとも」
「しゃりえ……んん……」
……まただ。
唇をふさがれた。
一度目の、歯も、舌も、上顎、下顎。口内全てをシャリエールに染め上げられたことも驚いてならなかったが。
あまりに普通に顔を寄せ、今度は軽めに自身の唇を、俺の口に押し当てた二度目のキスも、絶句させた。
「帰りましょう一徹様。
少しだけ顔を赤くし、優しく笑うシャリエール。
目が、離せなかった。
わけが、わからない。
俺の十八年の記憶に、シャリエールはいない……はずなのに。
(なんだ、どうしてこんなに、シャリエールとのキスに、安心感がある)
あり得ない……ことのはず、
しかしどこか俺は、彼女の唇の味も舌遣いについても、心当たりがある気がした。
(なんで、なんで俺なんだ。だって、《旦那様》……クゥッ!)
分からない。
全然わからない。
次に浮かんだのは、あの《旦那様》の件。
だけど、ズキンっと頭に痛みが走って、考えることができなかった。
大切にしてくれる。気にかけてくれる。
それは、《旦那様》と繋がりがあるから……だからと言ってキスまで至るはずはないんだ。
全然状況に追いついていない。
しかし、なぜかは分からないが、たったいまの彼女との二度のキスと、俺と、《旦那様》を、繋げてはいけない気がした。
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