第35話 水脈橋は、アイツの通った大学のあった街だから。
「ティーチシーフとアルシオーネだけが知っている、兄さまの秘密……」
「悔しいが、詮索するわけにはいかないのだろう。トモカ殿はあのような顔を滅多に見せないから」
「グレンバルドお嬢様の今日の行動が、それを示しています。ストレーナスお嬢様にいつもベッタリなあの娘が、今日は大家さんのそばに付きっきり」
「本当に気に入らないわね。いつまで心配をかけさせれば気が済むのかしら。あの男はは」
一徹がリィンと、《主人公・ヒロイン》小隊と東京に向かっているのは公休扱い。
しかしながら、他の四人はその限りでない。
学院に登校し、今は昼食時間、カフェテリアで同じテーブルを囲んでいた。
「私も学院通勤してから、グレンバルドお嬢様の欠席届が出ているのを知りました。それも、大家さんから出ていまして」
「どうして? 私たち二人の間に、秘密なんてないはずじゃない。アルシオーネ」
ここまでの徹底ぶり。きっと自分たちが帰宿したのちにも、きっと真相を知ることは許されないことが匂っていたから、この場にいない親友に対して、ナルナイも明らかな落胆を示した。
「どう思われます? ルーリィ・トリスクト様」
「私たちにも知らされていない今回の一件。だが、トモカ殿が一徹にリィンを付けたせた意味は何となく分かる」
「やはり……」
「え?」
しかし、
「「一徹を守るため/旦那様を守るためですね?」」
さすがは一徹に選ばれた二人。
ナルナイとエメロードを置いて、その結論にだけは至ることができた。
ルーリィとシャリエールの考えは重なり、取り残されたナルナイを尻目に、互いに顔を合わせて頷いた。
「少し似ている。お義父様義母様、そしてお義兄様が三泉温泉ホテルにいらしたときと」
「会わせるわけにはいきませんから。旦那様には大家さんが、ご家族は事故で亡くなられたと伝えています」
「鉢合わせしてしまったその時、聞かされた情報とのズレに苛まれることになるだろう。想像したくないな。その時の一徹に、どれだけの衝撃がかかるのか」
「えぇっ! 兄さまのご家族がっ!? いったい何時? 私は、そんな話を聞いていません!」
「そう、そんなことがあったの。一徹の両親かぁ」
「感慨深いかいエメロード?」
「……えぇルーリィ様。この中では、私だけですもの。両親共に、いまだ存命なのは」
「そうだったね」
色々と思い当たる節があるから、二人は実に悩ましげ。
エメロードは静かに受け止め、取り残されたナルナイだけが滑稽に見えた。
「問題は、何から一徹を守ろうとしたためなのか……かしら?」
「ふぅむ?」
「そうでしょうね。あの二人しか知らない、旦那様の何かがきっとある」
「あの、私を置き去りに、勝手に兄さまに関する話を進めないでください!」
「リィンと、アルシオーネか……あ……」
「ちょっと、聞いていますムグゥッ!」
それでも三人がナルナイに構うことはない。
むしろ、何か思い当たった表情を見せたルーリィを察知したシャリエールとエメロードが、話の腰を折りかねない噛みつきようを見せるナルナイを、後ろから羽交い絞めにして、口を無理やりふさぐほど。
「むぐっ! むぐぐ~っ!」
「ルーリィ・トリスクト様、何か思い当たる節でも?」
「いや、直接今回の件に関りがあるかはわからないんだが……」
ググっと、シャリエールはナルナイの口をふさぐ手に力を加えた。
何か言おうとするルーリィの様子に、ためらいが混じっているのを感じ取ったからだった。
「あの二人は、以前にも同じように、同じ何かを共有したことがあったなと思ってね」
「ふぐぅっ!」
「……そういうことですか」
「嫌なことを思い出させてくれるものですわ。ルーリィ様も」
ルーリィがここまで口にしたところで、シャリエールだけではない、ナルナイも理解した。
話の強さが、ナルナイの息を飲ませた。
ゆえに、暴れることもなくなったからなのか、シャリエールも彼女の口から手をおろした。
エメロードなど、表情も鬱陶しげだった。
「覚えているだろうかシャリエール。私と、貴女が殺し合ったあの戦場でのこと」
「《黒と白の大戦》……」
「あぁ、我らが創造主たるヴァラシスィ様と、異界神との世界すべてを盤面にした争い。人間族はエルフ族を味方に。魔族は獣人族を付けた、全面戦争にして神々の代理戦争。そして、私たちは……彼を殺した」
「生きて
「違うわフランベルジュ。私たちの世界から飛ばしてしまったと言った方が正しいのよ」
「生きた屍……」
苦悶の表情で、絞り出すルーリィとシャリエール。
冷静にフォローを入れたのはエメロードで、ポツリと呟いた、この場で最年少のナルナイの表情からは、生気が失われていたようだった。
「思い出した。確か私たちが兄さまを殺したその時……」
「一徹の
「ヴァラシスィ様が、その場にいてくれてよかった。そうでなければきっと、私たちの元から旦那様の
「瀬戸際よね。私たちの世界は、
「だが……そんな一徹を殺されたことで暴走したカラビエリは、その後、落ち着くに至った」
何となく、疑問には近づけている。直感が……あったのかもしれない。
「あの時殺し合っていたリィンとアルシオーネの二人が、どういうわけかいつの間にか和解をし、一徹の封印を打ち破って見せたことで、カラビエリに
「その、
シャリエールも、エメロードもナルナイも、ルーリィに視線を集めていた。
◇
「ごめんねアルシオーネ。やっぱり辛いかな。親友にすら隠し通さなければならない秘密。それも、あの子たちは、秘密を貴女が握っていることに気付いてる」
「師匠が、記憶なくしてこの世界に帰ってきた時点で、あらかた覚悟はできてらぁ」
学院のカフェテリアで四人集まり
三泉温泉ホテルでは、女将のトモカが休憩中に下宿に足を運び、自室でゴロゴロしているアルシオーネに声を掛けた。
「まぁ、勉強とかつまんねぇし。この際良いサボりの口実ができたと思って我慢すらぁ。それより……」
タンクトップにパンイチと、年頃の女子としては非常にあられもない姿なのだが、異世界出身のアルシオーネの性格を、この世界で生きてきたトモカは、ルーリィやシャリエールらの性格以上によくわかっていたから気にも留めていなかった。
「師匠たちは、鶴聞駅を通るのか」
「懐かしい?」
「そりゃな。あの町でリィンとともに、トモカに厄介になってた半年間が鮮烈だったし」
「
「あった、あった」
「台所の包丁を抜いて、斬りつけ合って。貴女達みたいな可愛い子たちが」
「直前まで戦場にいたから。リィンは《白色軍》の要だった。『ここで殺せれば』ってな。余計に……トモカを心配させちまったな」
「当然よ。それにそんな場所を、一徹が駆け抜けているなんて聞いてしまったらね」
「だから殺し合いはやめた。トモカに師匠のことを問い詰められたから。それにこの世界に来たのだって、ナルナイから師匠を、カラビエリに取られないようにだから」
「カラビエリは、
「それもあの女の、トモカに対して果たすべき義理だったんだ。だが俺たちは許せなかった。彼方から此方への転移術が師匠の器にかけられたとき、身代わりになるべく、その軌道上に割り込んだ」
週刊少年雑誌内、迫力満点の格闘漫画を開いていたアルシオーネ。
そこまでくると、雑誌を閉じ、体を起こして胡坐をかき、トモカを見上げた。
「水脈橋か。トモカにも何度か連れて行ってもらったっけ」
アルシオーネの言葉に、トモカはバツが悪そうにボリボリと頬をかいた。
「鶴聞生まれの、高校まで鶴聞育ち。とは言ってもね、水脈橋はアイツが通っていた大学のあった街だから。一人暮らしもしてたし、四年の記憶は、結構濃密のはず」
「だけど師匠の持っている記憶は18歳までだろ? だったら……」
「第一志望校だったから。受験のモチベーションを上げるために、何回かオープンキャンパスにも行っていた。むしろねその時の記憶が、一番大学と、水脈橋への熱意が大きい時期のものなんだ」
「そいつぁ……」
歯切れの悪いトモカの言に、アルシオーネも苦々しげだった。
「だからもし、何かの拍子で思い出しでもしてしまったら」
「安心しろって」
が、それ以上にトモカが落ち込もうとするのを、アルシオーネは許そうとしなかった。
「先月の夏祭りの後。リィンの奴がアルファリカとともにこの下宿に来た時にさぁ、アイツともう一個誓い合ったことがあんだ」
「リィンと?」
明らかに己に向けられた言葉。気になってトモカはアルシオーネに目を向けて、黙り込んだ。
「俺たちは、師匠だけじゃねぇ。トモカのことも守ると誓った」
「私を?」
ここで恥ずかしそうに、アルシオーネが頭をボサボサと掻きむしるのならなおさらだった。
「気が気じゃねぇだろうよ。同じ屋根の下ぁ、婚約者と、身も心も捧げた、二人の女が住んでやがんだから」
「アルシオーネ……」
ハッと驚きに目を見開くトモカは、やがてフッと優しいまなざしになった。
「そこに、ナルナイはいないんだ」
「もとの世界に戻れて、全部が全部元さやに納まった後、全力で後押しさせてもらうさね。そのときにはトモカもいない。それなら義理もへったくれもねぇだろ?」
「本当、せっかく優しいのに。粗野なのが勿体ないねぇ貴女って娘は。もっと女の子らしくなれたらスッゴイモテるのに。ナルナイの本当のお兄さんのことが、好きなんだって?」
「うっせ! 俺の心配するよりも、テメェの心配をしろよ!」
優しい娘だ。アルシオーネのことは以前からわかっていたが、改めてそう思った。そして、安心した。
一徹の周りには、アルシオーネのように心配してくれるものがいてくれるのだと。
「うぅん、私が、貴女の心配をすることをやめてあげない。貴女はリィンちゃんと同じく、私にとってもう、可愛い妹分なんだから」
「だぁ! やめろ! そういうのこっぱずかしいんだって!」
「そういえば、一つだけ考えすぎ。ルーリィにシャリエール。別に気後れはないよ。私には、愛しの旦那様がいて、娘だってあと少しで生まれるのだ」
それは、異世界で彼を孤独にさせなかった大きな味方で、頼もしかったに違いない。
トモカは確信していた。きっと学院ではいま、ルーリィとシャリエール、ナルナイにエメロードが、一徹のことを心配していることに。
アルシオーネはご覧の通り。そして、
「寧ろここまでくると、一徹に怒りさえ覚えてくるわね。あの甲斐性なしが、どれだけ女の子を心配にさせてるんだって話」
少しばかり昔の話。一徹のことを考えると、幾たび空虚な気持ちになったこともあった。
いまは、違う。
あるはずのない一徹の帰還。
それが現実になっているこの状況で、トモカは一方で、少女たちの存在に安堵もしていた。
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