第19話 そこにあったもの

「なんだ、文箱じゃない。えーと……昔の書類入れだよ」

「……つまり中身は紙?」

「失敬な! 御宝として紙を隠す風習はないよ! いっとくけど日本人は、貴女たち西洋人より先に紙文化を開始してたからね?」

 やや二人がピリピリしているのは扉を開ける為に緊張し、さらには弛緩した結果だろう。

 ……状況が次のステージへ移行したのも、無関係ではないかもしれない。

「そんな意味で言ってないわよ! でも……紙。ここまで厳重に隠さなきゃならない紙……どんなものなのかしら。例えば……そうね……宝の地図とか?」

「うーん? それって缶詰の缶詰にならない? 素直に、ここへ隠した方が良いような? とにかく一万両が金扱いされる情報だよ、中身が紙なら!」

「ああ、そうよね……書類入れだからって書類が――紙が入っていると決まってはいないのか。まあ考えるのは、もっと安全な場所でも良いわね。さあ――」

 そこでゼニヤッタは微笑む三世みつよに肩を押さえられた。

「ボクは、この場での確認を要求する。まだアメリカあなたたちの接収品と決まった訳ではないんだよ?」

「『弾より疾くはなれない』と言ってなかった、自分で?」

「こんな狭いところで、そんな風に凄んだら駄目じゃない?」

 二人の眼付は、どんどんと剣呑なものへ変化していく!

 しかし、あわやという寸前、ゼニヤッタは降参とばかりに溜息を洩らした。

「ねえ、ミツヨ? 繰り返しになるけど……仲間にならない? どこの機関に所属していて、どんな目的があるのか知らないけれど……受け入れには万全を尽くすわ。私の祖父の名に懸けて」

 しかし、三世みつよは悲し気に首を横へと振う。

「残念だけど……皆、色々とあるよ。ボクにも……ゼニヤッタあなたにも」

 物悲しく沈黙が下りる。

「よし、色々と諦めた! いえ、貴女のリクルートは諦めてないわよ? でも、今日のところは後回し! そして一つだけ警告させて! もし、このFUBAKO?を開けて、そこへ望ましくない情報があったら……貴女自身が『望ましくない人物』となるのよ?」

「そんなことはないと思うけど……言ってることは理解できる。でも、この文箱の中身を分からずじまいで帰るくらいなら、死んだ方がマシだよ!」

 紅潮させて昂る三世みつよは、美しかった。

 その在り様が見る者の魂を震わせ……同時に危うさを悟らせるだろう。

「……ねえ? 貴女、本当に狼なの? 猫じゃなくて?」

「どういう意味だい!? なんか失礼な感じするよ!?」



 再びコイントスで争い、逆に三世みつよが開け役となった。

 ……勝ったのは三世みつよなのだから、前回とは逆であっている。

 まずは文箱を結わいている紐を外すのだが……まるで危険物でも扱うかのようだ。

「……警戒しすぎじゃない?」

「そう? 正直、少しボクは怖いよ。だって、この紐……絹なんだ!」

「……シルク? そんな馬鹿な! シルクなんて百年も持たないわよ!?」

「確かに脆くなっているみたいだけど、まだギリギリで紐としての用を――残念、千切れちゃった」

 そのまま手元に残った切れ端を懐へ入れかけ……微笑むゼニヤッタに押さえられていた。

 三世みつよも無言なまま、大人しく机の上へ戻す。

「ますます興味深くなってきたね! どうする? 開けた途端に煙が噴き出して来たら!?」

「煙? またジョーク?」

「あー……ごめん。えっと……日本の定番御伽噺シェイクスピア。じゃ、開けるよ!」

 おそらく三世みつよは集中しすぎていて、脳のリミッターなどが外れてしまっていた。

 その反動なのか思ったことが直通で、そのまま口から出てしまっている。

 ……ただ蓋を開けるという単純な動作に、全精力を注ぎ込んでいる証拠だろう。


 しかし、それだけの覚悟で開けられた文箱は、なにも特別なことを起こさなかった。

 ただ一枚の和紙が蔵い込まれているきりだ。

「なに……これ? 少なくとも……宝の地図では無さそうね?」

「うわー……達筆だなぁ……こんなの、ほとんど読めないぞ。それに透かし見えてるのは――」

 親指と人差し指だけで摘まむように三世みつよは、少しだけ隅を捲る。

「これは確か……牛王宝印とかいう……えーと……誓紙だっけかな?」

「なによ、それ? 自分だけ分かってないで、私にも教えなさいよ!」

「ボクだって専門じゃないから、けっこう適当だよ。うーんと……血判状を書く時の作法なんだけど……あー……血判状って英語圏の何に当たるんだろ!?」

 あまりの難題に三世みつよは頭を抱えてしまうが、それでもゼニヤッタは大人しく待っていた。 

「昔、誓約書を書き留める時、サインのところへ血で拇印を押す習慣があったんだ。これは凄く本気だよって証の意味でね。そして正式には熊野神社さんから牛王宝印という紙を貰ってきて、その裏へ書くんだよ」

 ちなみに三世みつよは知らぬが、牛王宝印へ書いた約束事を破ったら、血を吐いて死ぬ上に地獄行きだ。……かなり本気度の高めな呪いまじないといえよう。

「この右側は、おそらく本文。ちょっと読み解けないけど……まあ、なにか約束の内容を記しているんだと思う。で、左側は見たまんま署名。二人だけだから一対一で交わされたんだね」

「ここの……薄っすら赤いところは血?」

 ゼニヤッタの指さしたのは花押――戦国武将などが名前の下へ付けていたトレードマーク文字だが、確かに赤い拇印が押されている。

「そうなるね。……うん? この最初の人、ボクでも署名が読める! 家康だ! 間違いない!」

 驚くべきことに、今日の我々でも家康の署名は判別可能だ。

 文字といったら草書崩し字が当たり前な時代であり、どちらかというと連想ゲームにも近くなるが、それでも簡単な部類といえる。

「もう一人は……うーん……下の字は……もしかしたら『義』かな? いやもっとシンプルな感じで……『秀』?」

 考えながらも三世みつよは、指先で中空へ書くようにして何度も署名を真似る。

「一文字目も『志』じゃないよなぁ……『芝』だと書き順が変だし……うん? ああ、もしかして『光』!? つまり、光秀だ!」

 ゴリ押し気味に三世みつよは連想ゲームを突破したが、その意味にはまるで気付いていない。

「IEYASUは分かるわ。江戸キングよね? でも、MITUHIDEは誰?」

「え、江戸キング!? いや、間違いでも……ないのかな? 光秀は信長を討った人で、西洋でいうところのブルータス? その場合、殺したのはカエサルじゃなくてマリウスになるけど」

「IEYASUの方を準えたら、誰になるの?」

「カエサルかアウグストゥス。初代将軍だからアウグストゥスよりかな」

 しかし、その奇妙な例え話でゼニヤッタは理解の色を示した。

 実はローマ初代皇帝まで、日本の三英傑と同じように大英雄が連続している。

 つまり、マリウスが信長、スッラが秀吉、カエサルが家康と置き換えられなくもなかった。

 各自で面識があったり、部下となっていたり、ライバルとして殺しあったりで……掘り下げていったら限がないくらいだ。

「じゃあ……ブルータスとアウグストゥスの密約書ってこと?」

 ゼニヤッタはガッカリしている様子だが、そんなものがあったら大事だ!

 アウグストゥスは大叔父のカエサルから後継者として指名され、その地盤と権勢を引き継いで初代ローマ皇帝となった。

 だが、ブルータスとの密約書なんて存在したら――カエサル暗殺にアウグストゥスが関わっていたら、歴史の解釈は大きく変わる!

「密約書じゃなくて血判状ね。まあ、秘密でもあったのだろうけど」

「どっちでも良いわよ、そんなの! アーク・ウィザードTENKAIの秘宝が密約書一枚だったなんて!」

「アーク? 大魔術師? 『てんかい』? ……誰?」

 噛みつかれた三世みつよは面食らいつつも、なぜか艶々とほっこりしていた!

 心の奥底から満足気で……文箱の内容が何であろうと、開けれた時点で嬉しかったようだ。

 もしかしたら手段と目的がひっくり返っていて、すでに末期状態なのかもしれない。冒険中毒とか……その類のだ。

 なおもゼニヤッタが言い募ろうとしたところで――


 微かな銃声が聞こえた!

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